「森博嗣さんの小説にね、『実験的経験』って本があるんですよ」
「あ、読んだことあります。あれって小説ですかね?」
「ボクが読んだのは文庫本だけどね、そのオビには『小説を飛び越えた新しい小説のカタチ』とか『超小説』とか書かれているから、小説だね」
「超小説? 小説を超えちゃったら小説ではないのでは?」
「いや。たとえば『超スピード』は、とてつもなく速いという意味だろう。程度の差があるだけで、スピードはスピードだよ」
「超小説も程度の差ということですね」
「『サラダうどん』はうどんの一種で、『うどんサラダ』はサラダの一種だからね。『超小説』も小説の一種だよ」
「なんか、本題から外れていっていませんか?」
そもそも本題から外したのはキミだろうとボクは思ったが口には出さなかった。代わりにちょっとした疑問が湧いた。
「キミの名は?」
「いきなり話が飛びますね。映画の話ですか?」
「いやいや、映画の話をするなら二重括弧で括るよ。『君の名は?』って」
「そんなこと、会話ではわかりませんよ。二重括弧とか、カタカナと漢字の違いとか」
(わかっているじゃないか……。)
(また本筋から逸れていますよ……。)
「……キミは心が読めるのかい?」
「心は読めませんが、文字は読めます」
だったら話が早い。普通に書けばいいということだ。
「まあ、そうですけど……。それだと会話をはじめた意味がなくなってしまうのではないですか?」
また話がズレていく。そもそもキミは「本題から外れる」とか「本筋から逸れる」と言うが、ボクが書こうとしている本題や本筋が何なのかわかっているのか? それならば、会話をはじめた意味もわかるのではないか?
「だから、こうしてつきあっているんじゃないですか」
そうだね。読んでくれてありがとう。
2017/03/06
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