では、最近ときどき見かける「2045年問題」も、現状とあるべき姿のギャップとして定義できるだろうか。
まずはお決まりの口上から。私は専門家ではないので、2045年問題について詳しいことは知らない。
「2045年問題」でWEB検索し、ざっと見たところ、以下のようなことが2045年問題と認識されているようである(以下の引用は日本経済新聞の記事)。
本記事におけるシンギュラリティとは、コンピュータ・テクノロジーが指数関数的に進化を遂げ続けた結果、2045年頃にその未来を人間が予測できなくなるとする仮説のことである。
人工知能が自らを規定しているプログラムを自身で改良するようになると、永続的に指数関数的な進化を遂げる。この結果、ある時点で人間の知能を超えて、それ以降の発明などはすべて人間ではなく人工知能が担うようになる。つまり、人工知能が人間の最後の発明になるという、仮説である。
結論から書く。
もし現状とあるべき姿のギャップを問題と定義するならば、2045年問題とは問題ではない。
現在、コンピュータ・テクノロジーが発展していることは間違いないだろう。一昔前までは、コンピュータの発達が著しいことを表現して「ドッグ・イヤー」といっていた。先の日経新聞の引用では「指数関数的」という表現がなされている。パソコンなどの性能は年々向上し、最近はAIやIoTなどがメディアを賑わせている。
「現状」はある程度わかるが、「あるべき姿」がどのようなものなのかまだわかっていない。
このままいくと『2001年宇宙の旅』のHALのようなコンピュータが現われ、それを危惧しているということならば「問題」といえる。人類に危害を加えないようなコンピュータが作られているという(明確ではないにしろ)「あるべき姿」があり、人工知能を持ったコンピュータが暴走する可能性があるという「現状」があるので、「問題」と捉えることができる。ただし、その問題のネーミングが「2045年問題」とは思えない。
Wikipediaでの情報だが、技術的特異点(シンギュラリティ)という用語を提唱したレイ・カールワイツは、「100兆の極端に遅い結合(シナプス)しかない人間の脳の限界を、人間と機械が統合された文明によって超越する」瞬間のことをシンギュラリティと呼んでおり、それが2045年ごろではないかと予想している。「問題」というよりは「仮説」である。
「2000年問題」は問題であったと思う。コンピュータに内蔵されている時計が2000年を認識できない可能性があり、多くの人々が課題として捉え、解決した。しかし「2045年問題」として言われていることを聞いたり読んだりしても、何が問題なのかがわからない。もしくは別のネーミングをつけた方がよさそうな問題である。
コンピュータ・テクノロジーの「あるべき姿」、あるいは人類の「あるべき姿」を求める方が問題であり課題ではないかとも思う。
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