正岡子規による『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』は「子規三部作」と称されているようである(Wikipedia「正岡子規」の項参照)。図らずも、この三部作(と『歌よみに与ふる書』)を最近購入し、ときどきぱらぱらとめくっている。
最近俳句に興味を持ちはじめ、漱石つながりで正岡子規を読んでみようと思い上記3冊を購入したのだが、3冊ともに俳句よりは短歌(和歌)についての話題が多い。正岡子規=俳句というイメージしかなかったので、『歌よみに与ふる書』を含め、和歌の改革もなしていたことを知り驚く。若くして亡くなったということは知っていたが、死の直前まで俳句そして短歌、文章を書いていたということも知った。
『墨汁一滴』は、新聞「日本」に連載されていた文章を集めたもので、ジャンル分けするとすれば随筆にあたる。明治34年1月16日~7月2日にほぼ毎日連載されていた(途中数日の抜け有)。
『病牀六尺』も、新聞「日本」に掲載されていたもので、明治35年5月5日~9月17日(これも途中抜け有)。随筆となるだろう。
『仰臥漫録』は、日記である。明治34年9月2日から書かれているが、途中書かれていない時期もある。『仰臥漫録』で確認できる最後の日付は(明治35年)9月3日であった。
子規は明治35年9月19日未明に亡くなった。結核を患っており、闘病生活を続けていた。
『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』ともに、闘病生活の中で書かれたものである。しかし内容は、自身の病気のことも多々書いているが、闘病生活だけを書いているわけではなく、日ごろ考えていることを書いたもので、俳句や和歌についての言及もある。
とくに『墨汁一滴』の書き出しあたりには、『枕草子』あるいは『徒然草』のような趣きがあるように感じる。文語で書かれているからそのように感じるだけかもしれないが、なんとなくそう感じる。
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