2013/07/30

龍安寺

(「仁和寺」からの続き)

仁和寺から少し歩き、今回の目的地である龍安寺へ行きました。

なかなかいい雰囲気です。


緑に挟まれて石畳の上を歩いていると山門が見えてきました。


緑のトンネルを抜けていきます。


時折、鏡容池が見えます。


参道を行くと龍水があります。



さらに歩くと石の大佛も。


道なりに進んで、石庭のある方丈へ。


中に入ります。

(「龍安寺石庭」に続く)

2013/07/26

仁和寺

「そうだ、京都、行こう。」

と、某鉄道会社のキャッチフレーズに乗せられたわけではありませんが、以前より行ってみたかった「龍安寺」に行ってみようと思い立ちました。

ずっと、龍安寺の石庭を見たかったのです。

早速行き方を調べて、と。

「フムフム、京都駅から50番系統のバスに乗ればいいんだな」

と、龍安寺のホームページから確認。

地図を見ると、仁和寺とか妙心寺とか金閣寺とかも近くにあるようなので、龍安寺を見て時間があれば回ってみよう、とイザ出発。


まぁ、京都駅までは普通に電車に乗って、難なくたどり着きました。


「さて、バス乗り場は…」と探すも、50番系統のバス乗り場はどこだ?

で、見渡すと「妙心寺」とか「仁和寺」とか「金閣寺」とかの行先の書かれたバス乗り場を発見。

26番系統のバス乗り場でしたが、時刻表を見るともうすぐバスが来そうなので、「これでも行けるだろう」と26番系統のバス乗り場で待つことにしました。


バス乗り場では、「京の駅ミスト」と銘打って、心地好い霧吹きが行われていました。


26番系統のバスに乗って、降りた停留所は「御室仁和寺」というところ。

もちろん、仁和寺の前です。




歴史的なことはいざ知らず(←知っとけ)、仁和寺の名前を聞くと、吉田兼好の随筆『徒然草』を思い出します。

「これも、仁和寺の法師。云々」


拝観料を払えば、庭園なども見れたようですが、今回の目的は龍安寺の石庭を見ること。

ここに時間をかけるのも何だなと思い、拝観料なしで見れるところを回りました。

『徒然草』の仁和寺の法師の話で、石清水八幡宮へのお参りの話も思い出していましたし…。


仁王門を過ぎ…


中門へ。


途中、御室桜と呼ばれる桜がありました。


金堂は写真撮り忘れ…。

水掛不動尊。


経蔵。


五重塔。


九所明神。


と、少しばかり足早に見て回り、近くにある龍安寺を目指しました。


と、ここまで書いてみて、金堂の写真がないのは、石清水八幡宮の仁和寺の法師と同じことでは…、と少し思ってしまいました。

『徒然草』第52段
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時、思ひ立ちて、ただひとり、徒歩より詣でけり。極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て、帰りにけり。
さて、かたへの人にあひて、「年比思ひつること、果し侍りぬ。聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」とぞ言ひける。
少しのことにも、先達はあらまほしき事なり。

(「龍安寺」へ続く)

新訂 徒然草 (岩波文庫)
新訂 徒然草 (岩波文庫)

2013/07/20

わもんな言葉47-場づくり

最近、「場づくり」をする機会があり、ヤブログ放送室の「場づくり」と「最新の場作り」を聞き直しました。

聞いているときに、蜘蛛の巣の張り方を思い出していました。

会場の四隅に、二礼二拍手後、「スパイダーマンが中指から糸をシュッと出すように」という表現があったからだと思います。

また、以前に「動態聴力」の例えの際に、蜘蛛の巣を挙げたことがあったことも影響しています(「絡新婦の教え」参照)。


蜘蛛が巣を張るその方法は、蜘蛛の種類によって異なることもあるでしょうが、まずは縦糸を張っていきます。

中心から外枠にのびるように放射状に縦糸を張ります。

縦糸を張り終えると、中心から螺旋状に横糸を張っていきます。

巣を張り終えると、静かに獲物が網にかかるのを待ちます。


会場の四隅に絶対尊敬の糸を張り、その間にも糸を張り八方陣を敷く。

それは、蜘蛛が巣を張るときに縦糸から張るのに似ています。


では、横糸はなんだろう?

そう考えたときに、横糸は「人」ではないかと思うのです。

会場に集まった人たち、その場に参加した方々、皆さんが一本の横糸ではないかと思うのです。


八方陣の縦糸を敷いた会場に次々と人が集まって横糸が張られていきます。

始まるときには、巣が張られた状態。

そして、どこが揺れるのか、どんな反応があるのかを静かに待ちます。

始まってから蜘蛛の巣を張っていては遅くなります。


よく知られている(?)ように、蜘蛛の糸は縦糸はくっつかず、横糸はくっつきます。

人間は協力する生き物です。

くっつきます。

魅きつける力があります。


ちなみに、縦糸のことを「経(けい)」、横糸のことを「緯(い)」といいます。

地球の「経度」「緯度」などに使われています。

縦糸と横糸が合わさると「経緯」です。


始まる前に場づくりができている、事前に決まっているというのは、縦糸と横糸が張られている状態、「経緯」が張られている、できている状態。

後は、それに従ってハンドリングするのみ、です。


【参考】


(以下の本は蜘蛛の巣とは関係ありません)
聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2013/07/13

わもんな言葉46-さとり

「さとり」という妖怪がいます。

人の心を読むことができる妖怪です。

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』では、「覚(さとり)」という名前で、猿のような姿が描かれています。


Wikipedia「覚」より


さて、この「さとり」という妖怪ですが、なぜ妖怪なのでしょう?

人の心が読めるというすごい能力を持っていながら、神様や仏様ではなく、なぜ妖怪なのでしょう?

人の言葉を解し、人の心を読めるけれども、獣として描かれた理由は何でしょうか?


柳田國男(だったと思います)は、妖怪を「神の零落した姿」としました。

零落した理由は何でしょうか?


妖怪「さとり」に対して、鳥山石燕は「覚」という漢字を当てています。

一方、妖怪のことではありませんが、「さとり」を「悟り」と書くことがあります。


「覚り」と「悟り」の違いは何か?

これが、妖怪と神様仏様とを区別する違いだとしたら…。


手元の漢和辞典には、「覚」と「悟」のそれぞれの漢字の成り立ちからの意味について、次のようにありました。

【覚】見聞きした刺激が一点に交わってまとまり、はっと知覚されること。

【悟】神経が分散せず、×型にある一点で交差して、はっと思いあたること。


似たような意味ではありますが、何となく私はこのように考えます。


「覚」には「見」という漢字が使われています。

ちなみに「見」が部首だったのを漢和辞典で知りました。

妖怪「さとり」は、人の身体のちょっとした動きや反応で相手の心を読むことに長けている人(?)だと思います。

見て覚るのが「覚り」。

見たこと聞いたこと、知覚したことをひとつにまとめることができることが「覚り」。


一方、「悟」には、「吾」という漢字が使われています。

部首は「心(りっしんべん)」。

自分の思い、自分の心がひとつにまとまる、まとめることができることが「悟り」。

また、「心」を「言」に換えると「語」になります。


「覚」は外側から一点に収斂する、「悟」は内側から形作り一点になるのではないか、と。


「わもん」には、「聞くわもん」と「話すわもん」があるとのこと。

「覚」を「聞くわもん」、「悟」を「話すわもん」とすると、「わもん」とは「覚悟」となります。


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2013/07/11

わもんな言葉45-わもんの現場

禅画の中に、悟りにいたる道筋を牛を主題として表した「十牛図」というものがあります。

牛を「人の心」と見立てたとも、また、牛を「悟り」、童子を「修行者」と見立てたとも言われている十枚一組の画です。

十枚にはそれぞれ名前がついております。

以下の図はWikipedia「十牛図」より。
  1. 尋牛(じんぎゅう)
  2. 見跡(けんせき)
  3. 見牛(けんぎゅう)
  4. 得牛(とくぎゅう)
  5. 牧牛(ぼくぎゅう)
  6. 騎牛帰家(きぎゅうきか)
  7. 忘牛存人(ぼうぎゅうぞんにん)
  8. 人牛倶忘(にんぎゅうぐぼう)
  9. 返本還源(へんぽんげんげん)
  10. 入鄽垂手(にってんすいしゅ)

1. 尋牛


童子は牛を尋ね歩いています。

どこに牛はいるのだろう?


2. 見跡


牛の足跡を見つけます。

足跡をたどれば、その先に牛がいるぞ!


3. 見牛


牛を見つけます。

まだ尻尾ですが見つけました!

追いかけます!


4. 得牛


牛を捕えます。

よっしゃ!!


5. 牧牛


牛を飼いならします。

逃げないように念のため手綱をつけておこう!


6. 騎牛帰家


牛に乗って、家に帰ります。

手綱はついているものの、もう大丈夫!


7. 忘牛存人


牛のことは忘れて、ただ人がいるのみ。

牛は自分の心にいます。


8. 人牛倶忘


人も牛もともに忘れます。

いわゆる「無」の状態。

しかし、ここで終わりではありません。


9. 返本還源


もともとのありのままの状態に戻ります。

そこにあるのは自然の風景です。


10. 入鄽垂手


街に入り、手を垂れます。

布袋様の姿になって、人を導いている様子です。


わもんは「現場で通用してなんぼ」です。

修行はまだまだ続きます。


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門