2012/01/24

「直感」と「直観」

「直感」と「直観」。

音は同じですが、漢字で表記すると違います。

ということは、意味も違う。

手元の国語辞典をひもとくと、

直感
説明を抜きにして、感じでわかること。ぴんとくること。
直観
目の前にあるものについて、直接見てわかること。

違いがわかるような、わからないような…。


yahoo!知恵袋、Okwaveにも同じ質問がありました。
「直感」と「直観」の違い、分かる方おられますか?
直感と直観は何が違うんですか?辞書で調べてみてもいまいちいがいがわからないのですが
直観と直感


他にもいろいろなサイトがありましたが、読めば読むほどわからなくなります。


「直観=直感」でもいいような気がするのです。


Wikipediaには「直観」はありましたが、「直感」という独立したページはありませんでした。

「西洋哲学における直観」の項の中には、
西洋哲学(philosophy)において、直観(Intuition)は直感と区別された用語である。一方で直感は、感覚的に物事を瞬時に感じとることであり、「勘で答える」のような日常会話での用語を指す。他方で、直観は五感的感覚も科学的推理も用いず直接に対象やその本質を捉える認識能力を指し、認識論上の用語として用いられる。第六感という表現は、ほぼ後者を指す。その混同は注意されることが一般的だが、特に(排中律)論理志向の強い研究者のなかにはこだわらない者もいる。
との言葉が。

私は、「論理思考の強い研究者」に近いのかも(笑)


【追記】
公開してから思ったことですが、「直感」と「直観」は下の図のような関係ではないかと思いました。

そうなると、やはり「直感」と「直観」は違いますね(^-^;)

2012/01/17

自分との約束

帰りの電車の中でツイッターを眺めていると、高橋源一郎さん(@takagengen)の「午前0時の小説ラジオ」が流れていました。テーマを決めての連続ツイートで、本日のテーマは「教育」。

高橋源一郎さん (@takagengen) 午前0時の小説ラジオ・「世界一素敵な学校」


最初の方に、アメリカ・マサチューセッツ州にあるサドベリー・バリー校の話があり、それを読んでいくうちに、あるひとつの物語を思い出しました。

それは、以前にツイッターで紹介してもらった物語。

『気まぐれな魔法使い』の中の、「約束」という物語です。


「自分との約束」

この言葉が頭に残っています。


高橋源一郎さんの話にあるサドベリー・バリー校の考え方は、「人間には自己教育への鮮烈な欲求がある」という考え方。
人間には、おとなになりたい、必要なことをどうしても知りたい、という本能が埋め込まれている。「教育」とは、本来、誰もが持っているはずの、そんな「自己教育」の本能が発動するのを助けることだ。
子どもたちを「おとな」として遇すること。子どもたちに「自分の主人は自分なんだ」と気づかせること。子どもたちに「自分の人生を自分の意志で歩ませること」。だから、この学校では、「自己責任」は、もっとも美しく、峻厳なことばでもある。


これを子どもの側からみると、他の誰が決めたのでもない「自分との約束」。


自分と約束したことを守っていくことは、やる気にも、達成感にも、そして自信にもつながっていきます。


自分との約束は、他人との約束に比べると、破りやすいものです。

私も恥ずかしながら、「次からはこうしよう」とか「明日からは○○しよう」とか、自分との約束をするのですが破ってしまうことが多いです。


しかし、自分と約束をして、ひとつだけ、今まで守り続けているものがあります。

そこは、自分でもよくやっていると認められること。

これからも守り続けることですし、「約束を守る」と普段意識しなくとも、できるようになっていることです。


こころからの欲求は、強い。

あらためて、そう感じました。

2012/01/14

花の名前

携帯電話のカメラで撮った写真を整理しています。

その中で、数年前に撮った写真で、名前を思い出せなかった花の写真がありました。

どちらも実家の庭に咲いていたもの。

うちの祖母が育てていて、楽しそうに話していたので写真に撮っていました。

その際に名前も聞いていたのですが、忘れておりました…。


ひとつはこれ。



サギソウ」です。

鳥の鷺(サギ)に似ているからこの名がついたのでしょうね。

漢字にすると「鷺草」。


もうひとつはこれ。



ヒオウギ」です。

こちらは、漢字にすると「檜扇」。

葉っぱが長く、扇状に広がっているからこの名が付いているようです。


「サギソウ」の方は、鳥の形をした花という特徴があるので、WEB上で名前を調べるのに時間はかかりませんでしたが、「ヒオウギ」はなかなかわかりませんでした。Googleの画像検索で、「オレンジ色」「夏」「斑点」「6枚」など、写真からわかる特徴をもとに検索して、いろいろな画像を見ながら確認した次第。

画像を入力して、それをもとに検索できる検索エンジンがあったらいいな、とも考えました。


まあ、一番いいのはだれかに聞くことなんでしょうけど。

今回の場合は、祖母ならわかるはずでした。


実家はもともと農家であるためか、祖父母は花や草木、植物について詳しいです。

そして父親は造園業を営んでいるので、やはり詳しい。


私は、あまり知りません(^-^;)

2012/01/10

月の裏側には何があるのだろうか?

先日、恩田陸さんの『不連続の世界』を読んだ関係で、この連休中に『月の裏側』を読み返していました。


先日の記事では、「『粘着質な水』のイメージが残っている」と書きましたが、読み返してみると「粘着質な水」のイメージはあまり出てきませんでした(^-^;)
代わりにでてきたイメージは、「わもん」のイメージ。

小説全体の印象は「わもん」とは異なりますが、小説の端々にわもん的なものが感じられました。


小説のジャンルとしてはSFあるいはホラーとなるのかもしれませんが、そのどちらともいえないような作品です。

文庫版には山田正紀さんの解説が載っているのですが、そこには、『月の裏側』の単行本の帯には「郷愁の傑作ホラー」というコピーが印刷されていた、ということが書いてありました。

ついでに言うと、先日の記事でPink Floydの『Dark Side of the Moon』にも触れましたが、山田正紀さんの解説のなかで『月の裏側』に「ダークサイド・オブ・ザ・ムーン」というルビがふってあり、私はそこからPink Floydに結び付けていた模様。


この作品の内容が実際にあったならば怖いと思いますが、作品全体としての印象は、ぼんやりとした懐かしさや寂しさを感じさせる小説です。行ってみたいけれどなかなか足が向かない、というような感じ。

どなたの詩か失念してしまいましたが、「故郷は遠きにありて思うもの」というフレーズが浮かんできます。


私の好きな作家は、自分とは視点が異なるというか、「うまい表現だなぁ」と思うフレーズがたくさんある作家です。恩田陸さんはそんな作家のひとり。

以下、自分が面白いなと思う文章やフレーズを挙げていきつつ、その文章・フレーズについて自分が思ったことを記していきます。


2012/01/06

「ひがしやま」の語源

実家に帰ったときのお土産(?)に、「ひがしやま」をもらって帰りました。

「ひがしやま」というのは、「干し芋」のことです。

子どもの頃から「ひがしやま」といっていたので、「干し芋」の方が違和感があります(^-^;)


実家では、祖母がひがしやまを作っています。

今回もらって帰ったのは、祖母の作ったひがしやまではありませんが、祖母の妹(私からみて続柄は何というのだろう?)が作ったものです。

実家では、「これから作る」と言っていました。


サツマイモ(かな? ちょっと違うような気がする)をふかしてから皮をはぎ、薄く切って網に並べて天日干しにします。何日もかけてできあがるものです。おいしいのですが、私にとって「食べたい」と思うようなものではなく、量を食べると嫌になってくる味です(^-^;) お茶によく合います。番茶がおすすめ。この「ひがしやま」の甘さが「素朴な甘さ」といえる気がします。


「ひがしやま」のことを「干し芋」という(通常は逆か…)のですが、「干し芋」という言葉を知ったときに、なぜ「ひがしやま」というのか、という疑問が生まれました。小さな疑問なので、今まで調べようという気はほとんど起こらずほったらかしにしていた疑問でしたが、何かブログを書こうと思ったとき、目の前の「ひがしやま」が目につきました。


「ひがしやま 干し芋 語源」でGoogle先生にお伺いをたてたところ、以下のブログ記事が最初にヒットしました。

梅さんの独り言2-Y「「干し芋」を「ひがしやま」と呼ぶのは愛媛の南予と高知だけ!」

「ひがしやま」は、私の実家近辺だけの呼び方と思っていました(^-^;)

で、由来・語源ですが、上記記事によると語源が2説、載っていました。

  1. 干してかちかちにするという意味の古い土佐弁「ひがちばる」より
  2. 山でとれる干菓子で「干菓子山(ひがしやま)」より

あ~、なるほど。

「ひがちばる」という言葉は聞いたことないですが、干すことを「ひがす」と祖母が言っていたような気がします(ウロ覚えです…)。

「干菓子」から来たという説も納得できる。

材料に「人参芋」ともありました。確かにサツマイモよりは中が赤っぽい色をしていて、繊維っぽいように思います。

正確なところはわかりませんが、なかなか洒落た語源です。

2012/01/04

蛇行する川の流れのように

年末年始で帰省した際、移動中は恩田陸さんの短編集を読んでいました。

行き(下り)は『朝日のようにさわやかに』(新潮文庫)。
この本は、文庫本発売当初に買っていたにも関わらず積読になっていました。しばらくして、「あ、まだ読んでない」と、買っていたことを忘れて2冊目を購入した本のひとつ…。帰省の際に読んで、1冊は実家に置いて帰ろうと目論んだものです(笑)

その中の一編で印象に残っているものは「冷凍みかん」。ジャンルとしてはSFで、発想がおもしろく、興味深く読めたのはもちろんなのですが、このタイトルを見たときに、「そういえば、冷凍みかんって見たこともないし、食べたこともないな」と思ったため印象に残っています。さて、冷凍みかんはまだどこかに売っているのでしょうか? 


帰り(上り)の移動中は『不連続の世界』(幻冬舎文庫)。
こちらは、帰りの電車中に読む本がないかな、と帰省先の本屋で眺めていると見つけて購入したもの。2冊目ではなかったです(笑)

こちらの短編集(中編集?)は、同じ幻冬舎から出ている長編『月の裏側』の登場人物が主人公。帰りに読んだからかもしれませんが、こちらの短編集の方が印象に残っています。しかし、この本の内容というよりは、この本を読んだ感想を含む自分自身のイメージの方が印象に残った感じです。

『月の裏側』も読んだことはありますが、すみません、内容は忘れてしまっています。しかし、柳川を舞台としていたこと、そして「粘着質な水」のイメージは覚えています。

私は、小川とか川のせせらぎといった、なんとなくさらさらとした水の方は好きなのですが、淀み溜まっているような水はあまり好きではありません。言葉からなんとなく嫌なイメージが湧きますね。(「湧く」という言葉のイメージは好きです。)『月の裏側』は、その嫌な方の水のイメージです。

水が生き物のように蠢く様子、粘り気があるような水。

京極夏彦さんの小説にも、何かそんな水の描写があったように記憶しています。

そして、『月の裏側』で連想してしまうのが、Pink Floyd。

Pink FloydのCDアルバムに『Dark Side of the Moon』というのがあります。ちょうど恩田陸さんの『月の裏側』を読んでいる前後に買って聞いていたCDです。『Dark Side of the Moon』を訳せば「月の裏側」ともいえると思いますが、日本語のCDタイトルは『狂気』。ライナーノーツには月と狂気の関係が書かれていたように思います。

『月の裏側』は、水郷柳川のイメージ(柳川には行ったことがありません…)と「狂気」のイメージとが合わさったイメージで記憶に残ってしまいました。水の狂気。

『月の裏側』で、『不連続の世界』の主人公、塚崎多聞がどのような役回りをしていたのかも覚えていません。しかし、『不連続の世界』を読んでいるうちに、イメージが独り歩きしてしまいました。

多聞の連想には脈絡がないとよく言われる。あんたって、あれね、クリスマスツリーの豆電球。点滅状態。ぱっと消えたかと思うと、ぱっと別の色の電球が点いているの。

浮かんでは消える。方丈記の一節、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて(だったかな?)」を連想します。淀んだ水のイメージが、またここにも。

大分県の地獄めぐりのひとつ「泥地獄」を思い浮かべてしまいます。

『不連続の世界』で、多聞は行く先々で謎を解決(?)していきます。しかし、最後の一編では少し趣が違う。

なんとなく、川の流れを想像しました。

水流に流されつつも動き流れていく様子。そして最後の一編は川のカーブのところで流れに身を任せつつも、一か所にとどまっている様子。そんなイメージです。あるいは、小学校か中学校の時に地理の授業で三日月湖のできる様子を表わした図がありましたが、そんなイメージです。

そういえば、恩田陸さんの小説に『蛇行する川のほとり』というのもありましたね。

積読ですが…(笑)

2012/01/03

年末年始の覚書

年末年始にかけて、愛媛の実家に帰っていました。

大きな出来事などはありませんが、日記代わりにつらつらと書いていきます。