2014/07/25

わもんな言葉84-WORLDツアー

以前の「わもんな言葉」で、「JAPANツアー」について書いたので、「WORLDツアー」についても書きたいと思いました。

2014/1/23の「聞くライブ!ファーストステージ in 広島」を皮切りに、始まった「わもん聞くライブ 2014JAPANツアー」

2014/9/23の広島でのファイナルステージを経て、10月から「WORLDツアー」が始まります。

イギリス・ロンドンからスタートし、カナダ・バンクーバー、アメリカ・シアトル、ニューヨークの流れです。

2015年からはアジア、アフリカへも!!


ところで、以前の「JAPANツアー」の記事を読みなおしてみると、「ツアー(tour)」について書いていて、「JAPAN」には触れていないことに気がつきました(^-^;)

ならば、今回は『WORLD』が起点ですね。


ということで、「world」の語源を調べます。

(気になる言葉の語源を知りたくなるのはなぜ?)

「world」と聞くと「世界」という訳語がすぐに浮かんできますが、手元の辞書には、原義として「人の一生」とありました。

また、Webで検索してみると、「wer(e)wolf(狼人間)」に残っている「wer-」と同根の「人間、人」という意味と、「old」と同根の「年」という意味が合わさっているとのこと。

基本的な単語だと思っていましたが、語源があるのですね。


となれば、「WORLDツアー」は人生を一回りすることにもつながります。


ツアーから帰ってきて一回り大きくなったやぶちゃんを見るのを楽しむか。

それとも、自分を一回り大きくするか。

world も、世界も、世間も知らない私は、このあたりを巡っています(^-^;)


2014/07/18

わもんな言葉83-ディレクション

「『ディレクション』が得意なことに気がついた!」

「へ?」

「この前、『ディレクション』が得意なことに気がついた!」

「え!? 今さら!?」

「へ?」

「いや、得意でしょ?」

「そう、それに気がついた!」

「いつもディレクションをやっているじゃないですか」

「そう。やってる」

「ディレクションって、英語で書くと direction ですよ」

「ほ~」

「direction は、ダイレクト(direct)の名詞形ですね」

「ダイレクトに!」

「『直接に』とか『直に』という意味ですね」

「で、ディレクションは?」

「『指導』というような意味もありますし、『方向』というような意味もあります」

「やってるね!」

「やってますよ!」

「『パッとやって、サッとやる』みたいなことしかやってないと思ってた」

「それでも、身振り手振りはついてますよね。言葉だけじゃわかりませんが(笑)」

「身振りや手振りもディレクションかな」

「方向があっていればディレクションでしょう」

「そうか!」

「そういえば、禅語に『直指人心』ていう言葉がありますね」

「ほう。どんな意味?」

「『直に人の心を指せ』ですかね」

「わもん、やね」

「わもん、ですね」

この会話はフィクションです。


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/07/09

わもんな言葉82-覚我

「『離我』というのを、『浅我』を手放す、というふうに考えると、『深我』に気づいていく、ということに対して何か言葉がほしい」

本間先生が『2014年WORLDツアーのプロモーション MOVE制作&GLOBALわもんへの道』の中でこのようなことを言った後、出てきた言葉が「覚我」です。


「離我」というのは、我を離れること。

そのときの「我」というのは、非常に浅いところの「我」。

地位とか、立場とか、プライドとか、そういったところの表面的な「我」。

浅く表面的な「我」を「浅我」と名付けられました。


それに対して、深いレベルの「我」を「深我」と名付けられました。

その「深我」に気づいていくこと、それが「覚我」です。


「覚我」という言葉は、「覚悟」という言葉が影響しています。

そこで思い出したのが、「我」と「吾」の違いです。

「覚悟」の「悟」には「吾」があります。

以前に、なんで「われ」という漢字が2つあるのだろうと気になって調べたことがありました。


「我」と「吾」の違いとして漢和辞典に載っていたことは、「我」は目的格・所有格に用いて、「吾」は主格・所有格に用いられたというもの。

主格・目的格・所有格というのは文法用語で、単純にいうと、主格というのは主語をあらわす形式、目的格というのは目的語をあらわす形式、所有格というのは所有をあらわす形式。

日本語でいうと「吾は」とか「吾が」というときは「吾」を使い、「我を」というときは「我」を使うということです。

ちなみに所有格は「我が国」というように、現在ならば助詞「~の」を伴う形式です。


以前に思いつきで開催した『ミジンコセミナー』の中で、うまくは言えませんでしたが、「深我」というのは一人称の「私」と結びついているように思える、と話をしました。

一人称の私のことと、「我」と「吾」の違いが結びついて、私の中では次のような仮説が生まれています。


「浅我」は「我」、「深我」は「吾」。

目的格・目的語の「我」というのは、何か他のものから影響を受ける「我」。

主格・主語の「吾」というのは、何か動作を主体的に行う「吾」。


「離我」から「覚我」へのプロセスは、能動へのプロセスと重なっているような気がしています。

人が動き、走り出す。

『やぶちゃんのSNS(そう・なれば・すごい)』
■人を動かす→人が動き出す→人が走り出す


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/07/04

わもんな言葉81-ゴルフ

あ、最初に断っておきます。

今回の「わもんな言葉」は、言葉については書いておりません。

まぁ、今までも「言葉」というよりは、考え方や視点などを書くことが多かったと思いますので、気にはされていないと思いますが。


阿川佐和子さんの『叱られる力 聞く力2』に「下心のススメ」と題された節がありました。

五十歳で始めたゴルフにはまってしまった阿川さんが、ゴルフの楽しさについて書いています。
なんでそんなにゴルフが楽しいの? ゴルフをやらない人によく質問されます。その話を書いていると、この本が『ゴルフの力』になってしまいそうなので手短にすませようと思いますが、一つには、いつまでたっても「わからない」からではないでしょうか。ときどき「わかった」りするのです。なんだ、こういうふうに打てばちゃんと当たるんじゃないか。簡単簡単、開眼したぞ。するとその次のラウンドでは、「えー、このあいだ開眼したはずなのに」となり、初心者の頃だってこんなに下手ではなかったと思うほどの体たらく。ゴルフを始めて十年。私は何百回、開眼したことか。

私自身はゴルフをしたことがありませんので、あくまで印象でしかありませんが、ゴルフは精神的なスポーツというイメージです。

止まっているゴルフボールをドライバーやアイアンで打っていくのですが、ボールを打つときの角度が1度違うだけで、ボールの飛ぶ方向は変わり、跳ぶ距離が長くなれば長くなるほど、目標地点からのズレも大きくなります。

風向きや天候など環境に左右される要素もありますが、基本はプレイヤー次第。

脚の位置や腕の振りなどの身体の動きの微妙な違いが、ボールに伝わり、増幅される。

ちょっとした違いやズレが如実に顕れる、非常にデリケートなスポーツのイメージです。


そんなゴルフのプロになろうとしている方を知っています。

やぶちゃんも応援している、てんつくマンです。

てんつくマンは、プロゴルファーになって、全英オープンに出て、ちょんまげで腰にパターを差して、18番ホールで名前を呼ばれて、インタビューで「人間の可能性は無限大や」と世界中にメッセージを伝えるという目標を持っています。

もっと先も見ているでしょう。


目標とは、ゴルフでいうと最終的にボールを入れるカップ。

ボールを打つときの角度が1度違うだけで、ボールの飛ぶ方向は変わり、目標とのズレも大きくなる。

ときどきコツがわかったりしたりするけど、次の一打ではわからなくなったりする。

一打一打での自分自身のあり方が、結果に顕れる。


夢を叶えたり、目標を達成したりする人は、カップを目指しボールを打ち、たとえ打ち損じたとしてもその状況からカップを目指してボールを打ち、最終的にボールをカップに入れていく。

そして、また次のホールでも同じようにカップを目指していく。

そのラウンドだけでなく、次のラウンドへと。

しかし、集中するのは一打一打です。


聞けば叶う〜わもん入門
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