2017/07/28

「しぐさ」から漂う意味

「ことば」と「しぐさ」を漢字で書くと、「言葉」「仕草」になり、どちらにも植物に関係する漢字が使われている。言葉は「葉」、仕草は「草」。「しぐさ」を「仕種」と書くこともあるようだが、こちらにも「種」という漢字が使われている。

「言葉」の由来は、「言(こと)の端(は)」で、「端」の代わりに「葉」が使われたということは知られている。しかし、「仕草・仕種」についてはよくわからない。ネットで検索してみると、出典は明らかではないが、「由来メモ│「しぐさ(仕種・仕草)」 の由来」に次のようにあった。
「し」は「する」の変化形で「仕」は当て字、「くさ」は種類のことを意味するために「仕種」と書くようです。
「し」は「する」の変化形で「仕」は当て字であることは想像がついていたが、「くさ」は種類のことを意味するというのは初耳であった。「種」を「くさ」と読むことは稀であると思うが、なくはない。たとえば、名古屋には「千種(ちくさ)」というところがある。

WEB上の辞書で「種(くさ)」を引いてみると、次の意味が載っていた(Weblio辞書より)。
くさ 【種▽】
一 [2] ( 名 )
①(「草」とも書く)何かを生ずる原因・材料。たね。多く「ぐさ」と濁り,複合語として用いる。 「質-」 「語り-」 「お笑い-」
②種類。たぐい。 「唐土・高麗と尽したる舞ども-多かり/源氏 紅葉賀」
二 ( 接尾 )
助数詞。物の種類を数えるのに用いる。 「三-ある中に,梅花ははなやかに今めかしう/源氏 梅枝」

「しぐさ」を漢字で「仕種」と書くのは、「くさ」が種類のことを意味するためである。このときの「くさ(種)」の意味は、上記辞書では②にあたる。しかし、①の意味の方が近いかもしれない。「仕種」は「仕草」とも書くし、「ぐさ」と濁り、複合語として用いられているというところは当てはまる。もちろんどちらか一方が正解ということはなく、意味はつながっている。

また、これは勝手な思いつきだが、「くさ」は「くせ(癖)」につながらないだろうかとも考えた。一応、「くせ」もWEB上の辞書で引いてみたが、「くさ」と「くせ」が関係するような記述は見当たらなかった。「しぐさ」と「くせ」は似たような意味ではないかと思ったのだが。

ただ、「由来メモ│「癖(くせ)」 の由来」に、以下の記述があった。
「くせ」はその発音からも想像できるように「臭い」からきているというのだ。
いわゆるクサミのあるクサからきており、母音交替でクサがクセ となった。
「におい」に二つの漢字が存在しているのは皆さんもご存じであろう。

「匂い」と「臭い」である。

その二つの違いについては、人が好感を持てるものが「匂い」、逆に嫌悪感を抱くものが「臭い」である。
「くせ」についてはもちろん「くさい」というくらいだから後者の嫌悪感のほうで間違いない。
つまり他者からみて好ましくない点が「くせ」ということになる。

クサいしぐさより、草の香りの漂うような「仕草」を心がけたい。

2017/07/18

第15回小布施見にマラソン

先日(7/16)、第15回小布施見にマラソンに参加しました。

走るのは、昨年の小布施見にマラソン以来。。。

しばらく練習をしていないこともあり、膝が痛くなりそうになったら歩こうと決めて臨みました。


もともと、この「小布施見にマラソン」は記録を狙うような大会ではなく、大会名が表すように小布施を見ながら走るマラソンです(以下は「小布施見にマラソン」公式サイトからの引用)。
この大会は、速さを競うだけではなく、時には立ち止まり、小布施を見て、楽しみながら走る見に(ミニ)マラソンです。 「土手を行く 野道を駆ける 路地を走る」というコンセプトでコースをめぐりながら、小布施の町の人とランナーのみなさん、 ボランティアのご縁をつなぐ「縁走=えんそう」を楽しみましょう。
年間に町人口の100倍、120万人をお迎えする小布施町のONの道、おもての道ではなく、土手や野道、路地といった、OFFの道、 ふだん着の小布施に浸りながら走る21.0975キロです。

下はスタート前の写真です。



スマホの電池切れのため、途中の写真はありません。。。


半分以上歩いていますが、無事完走しました(^^)



沿道で応援していただいた方々、目を楽しませてくれた仮装ランナーの皆さま、大会をサポートしていただいた小布施の方々、ありがとうございます。

2017/07/12

バニラ・エアの出来事から考える

6月末、朝日新聞が「車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪」という見出しで、ある出来事を報道した。
鹿児島県奄美市の奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。
その後、その車いすの男性が事前に連絡をしていなかった、などと、いわゆる「炎上」した。今は下火になっている。

ネット上での記事を読んだだけであるため、実際のところ、どのようなやり取り、経緯があったのかはわからない。ただ、様々なことを考えた。大きくは2つある。1つは表現方法と視点について、もう1つはコミュニケーションについて、である。

表現方法と視点については冒頭の見出しがわかりやすい例であると思う。見出しには「車いす客に自力でタラップ上がらせる」とある。主語は明示されていないが、あとに「バニラ・エア謝罪」と続いているので、「(バニラ・エアが)車いす客に自力でタラップ上がらせる」と読むことができる。しかし新聞記事の内容や他のサイトでの記事などからもわかるように、バニラ・エア側が「自力で上れ」と命令したわけではなさそうである。仕方なく自力でタラップを上ったというところであろう。

「(さ)せる」という助動詞は「使役」を表す。使役する人、される人という構図をイメージする。「車いす客に自力でタラップ上がらせる」という表現は、一見、車いすの男性側に立った表現に思えるが、記事内容等から見ると、バニラ・エアを悪者にしようという表現に見えてしまう。たとえば、「車いす客、自力でタラップ上がる バニラ・エア謝罪」という見出しだったらどうだろうか。

もう1つのコミュニケーションについては、憶測も混じっている。車いすの男性もバニラ・エア側も、もう少し歩み寄ることができたのではないかと思ったことである。車いすの男性(木島さん)が書いた記事(歩けない人は乗せれません! 2回目)を読むと、最初のやり取りから壁を感じたのではないかと思う。
階段の搭乗タラップの写真を見せられ、歩けますか?と聞かれ、歩けませんと返答したら「乗れません」の一言。
バニラ・エア側からこの状況を書いたものは見ていないので一概にはいえないかもしれないが、断る前、禁止する前に、バニラ・エア側から手を差し伸べるような一言、たとえば「どのような手助けが必要ですか」というような言葉がけがあれば、良かったのではないかと思う。

また、木島さん側も事前連絡をしていれば良かったのではないかとも思う。もちろん、事前連絡なしでも搭乗拒否などされないような世界が望ましい。しかし、まだそうなっていないからこそ「障害者差別禁止法」があり、木島さんもそのような差別をなくそうと活動している。事前連絡をしたのに搭乗拒否をされるようなことがあれば、それこそ大問題になるであろう。事前連絡をしなかったことが意図的なのか、非意図的なのかはわからないが、早めに手を打つに越したことはないと思う。

だからといって、双方悪いとは思っていない。終わった後で部外者だから何だかんだ言っているだけである。

私にとって大切だと思うことは、もし自分が当事者だったならばどんな態度でどんな行動をとるか、ということである。もし自分が木島さんの立場だったら、もし自分がバニラ・エアの立場だったら、もし第三者の立場でこの出来事に遭遇したら。

バニラ・エアの出来事は、様々なことを考えた出来事である。

2017/07/07

定跡と常識



藤井聡太さんの最多連勝記録(29連勝)や、その連勝をストップさせた佐々木勇気さん、そして先日引退された加藤一二三さんなど、将棋界が注目されている。

それに触発されたということもあり、最近、羽生善治さんの著書を読み返していた。

「直感」と「読み」と「大局観」。棋士はこの3つを駆使して対局に臨んでいる。そして経験を積むにつれ、「直感」と「大局観」を使う比重が高くなると、羽生さんはいう。

これは将棋だけのことではない。仕事でも遊びでも何でも、「直感」と「読み」と「大局観」を使う。そして最初のうちは「読み」の比率が高く、経験を積むにつれ「直感」「大局観」の比率が高くなっていくだろう。

「読み」というのは、論理計算力ともいえる。将棋でいえば、幾通りの手が読めるか、何手先まで読めるか、ということである。

子供のころ、家の近所の地図を作ったことがある。この道を行けばどこにつながっているのか、どこに何があるのか、実際に歩いて確認して作った。歩いて行ける距離なので大した地図ではないが、市販の地図には載っていないような細い道やあぜ道まで描いた記憶がある。こういった試行錯誤が「読み」にあたると思う。

「大局観」は地図のようなものである。俯瞰力ともいう。「鳥の目・虫の目」というとき、「鳥の目」が俯瞰力・大局観にあたり、「虫の目」は「読み」に近い。高く飛べば飛ぶほど地図の範囲は広がる。遠くまで見える。視座を高くすれば視野が広がる。目的地への道筋をつけることができる。

この例でいうと、「直感」は地図と現実のギャップといえるかもしれない。

最近は精度が上がってきているのであまり聞かないが、以前はナビ通りに車で走っていると行き止まりだったというような話を聞くことがあった。途中で何かおかしいなと気づくこともあっただろう。ちょっとした違和感が「直感」の種ではないだろうか。

先の例はあまりよくない方の違和感であるが、良い方の違和感もあるだろう。地図に載っていない道を見つけて、こっちの方にいけば近道できるのではないかというような違和感である。

先人はいる。だから地図は作られていることが多いし、作ることができる。しかし、実際歩いたとき、あるいは走ったとき地図とは違うことが起こるかもしれない。異なる道を見つけるかもしれない。

引退された加藤一二三さんは大山康晴さんに「天才」と呼ばれたという。その加藤さんは羽生さんを天才という。加藤さんも羽生さんも中学生でプロ棋士となった。そして天才と呼ばれる中学生プロ棋士の藤井さん。将棋の戦法や定跡は上書きされる。将棋界の地図も上書きされている。

私の地図はどうだろうか。

地図を持とう。そして、実際に歩いていこう。