2019/06/09

夏目漱石『草枕』をゆっくりじっくり読む(9)

(前回はこちら

画工が詩に求めているものは「俗念を放棄して、しばらくでも塵界を離れた心持ちになれる詩」である。しかし、「ことに西洋の詩になると、人事が根本になるから所謂詩歌の純粋なるものもこの境を解脱する事を知らぬ」と言います。そこで「東洋の詩歌」に話が移ります。
 うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。採菊東籬下、悠然見南山。只それぎりの裏に暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる。垣の向うに隣りの娘が覗いてる訳でもなければ、南山に親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照。只二十字のうちに優に別乾坤を建立して居る。この乾坤の功徳は「不如帰」や「金色夜叉」の功徳ではない。汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込む様な功徳である。
西洋の詩は、人事が根本にあるため塵界を離れた心持ちになれることはないが、東洋の詩歌には、「そこを解脱したのがある」といいます。「暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる」ような、「超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」ようなものです。その例として、2つの漢詩(の一部)を挙げています。

ひとつは「採菊東籬下、悠然見南山」。これは陶淵明の詩「飲酒二十首幷序」の第五首の一節です。書き下し文にすると「菊を採る東籬(とうり)の下(もと)、悠然として南山を見る」。もうひとつが「独坐幽篁裏、弾琴復長嘯、深林人不知、明月来相照」。こちらは、中国唐代の詩人、王維の「竹里館」の一節です。「独り幽篁(ゆうこう)の裏(うち)に坐し、琴を弾じて復た長嘯す、深林人知らず、明月来たりて相照らす」。

「暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる」ような、「超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」ような詩で、これらの詩は「別乾坤を建立して居る」と言います。別乾坤とは別世界のような意味です。この別世界のいいところは、徳富蘆花の「不如帰」や、尾崎紅葉の「金色夜叉」のいいところとは違い、「汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込む様な功徳である」といいます。
 二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀に此出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれて居るから、わざわざ呑気な扁舟を泛べて此桃源に溯るものはない様だ。余は固より詩人を職業にして居らんから、王維や淵明の境界を今の世に布教して広げようと云う心掛も何もない。只自分にはこう云う感興が演芸会よりも舞踏会よりも薬になるように思われる。ファウストよりも、ハムレットよりも難有く考えられる。こうやって、只一人絵の具箱と三脚几を担いで春の山路をのそのそあるくのも全く之が為めである。淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいからの願。一つの酔興だ。
『草枕』が書かれたのは、20世紀初め、1906年(明治39年)のことです。江戸時代の終わりごろの黒船来航、開国を経て明治維新。西洋の文化がどんどん日本に入ってきて西洋化が進んでいる時代です。また、1904年から05年にかけての日露戦争で日本はロシアに勝利し、軍事化への道のりが進んでいる時代でもあります。

睡眠は20世紀でなくとも必要ですが、あえてここに「睡眠が必要ならば」とあるのは、睡眠が必要であると感じられる状況にあったのでしょう。江戸時代のペリー来航の際、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も寝られず」という狂歌が詠まれたといいますが、時代として、開国以来眠ることができなかったのかもしれません。西洋化は休む暇もなく進んでいきました。

このような20世紀に、睡眠が必要ならば「この出世間的の詩味は大切である」といいます。「出世間的の詩味」とは、世間を離れて、「暑苦しい世の中を丸で忘れた光景が出てくる」ような、「超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる」ような、「別乾坤を建立して居る」ような、「汽船、汽車、権利、義務、道徳、礼義で疲れ果てた後に、すべてを忘却してぐっすり寝込む様な功徳」が得られるような詩味です。

そしてここで、「淵明、王維の詩境を直接に自然から吸収して、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したい」と、今回の旅の目的(願い)が明らかになります。

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