2012/02/28

拍子のこと

最近、『五輪書』のことばかり書いていますが、しばらくおつきあいください(読んでいる方は少ないとは思いますが…)。

『五輪書』の教えをコミュニケーションに活かそうというのが、今現在の私のテーマです。

本日は、「拍子」について。


「地の巻」に「兵法の拍子の事」を書いている部分があります。
物事に付け、拍子は有る物なれども、とりわき兵法の拍子、鍛錬なくては及びがたき所也。
と始まります。

どんな物事でも「拍子」というものがあります。他の言葉でいえば、「リズム」とか「波」とか、「調子」とか。

この「拍子」を知ることが兵法では大切だと、宮本武蔵は『五輪書』で述べています。

先づあふ拍子をしつて、ちがふ拍子をわきまへ、大小・遅速の拍子の中にも、あたる拍子をしり、間の拍子をしり、背く拍子をしる事、兵法の専也。此そむく拍子わきまへ得ずしては、兵法たしかならざる事也。兵法の戦に、其敵其敵の拍子をしり、敵のおもひよらざる拍子をもつて、空の拍子を知恵の拍子より発して勝つ所也。

「合う拍子」を知り、「違う拍子」を知り、大小・遅速の拍子の中でも「合った拍子」、「間の拍子」、「背く拍子」を知ること。この「背く拍子」を知らなければ、兵法にはなりえない。戦いにおいては、その敵その敵の拍子を知り、敵が思いもよらない拍子でもって、「空の拍子」を「知恵の拍子」から発して勝つ。

様々な「拍子」があります。


コミュニケーションにおいては、相手を負かすために行っているのではないので、「勝つ」ということにこだわる必要はありません。

しかし、相手の「拍子」を知ることは、とても大切だと思います。


話し手にはそれぞれの拍子があります。また、話の中でも大小・遅速の拍子があります。

話を聞くときには、その拍子に合わせることが基本です。コーチングの言葉を借りると「ペーシング」。


兵法では、敵が思いもよらない予想外の拍子で、相手の拍子を崩し、そこを打つために「背く拍子」が重要になります。

コミュニケーションでは、相手を打つ必要はありませんが、私は「背く拍子」も場合によってはありだと思っています。

相手の話をさらに深く聞くための「背く拍子」。

話を展開させるための「背く調子」。


音楽でいえば、「変調」にあたるかもしれません。


音楽で思い出しましたが、ベースの音の出し方のテクニックのひとつとして、「ゴーストノート」というのがあります。

これは、ミュート(指板まで弦を抑えない)した弦を引くので、はっきりとした音程がない音のことですが、この「ゴーストノート」があるのとないのとでは、リズム感・グルーヴ感が全く異なります。

(以下は、「ベース ゴーストノート」で検索したYou Tube動画)



また、ベースではよく「ウラの拍」というのも大切にされます。

「タッ、ツッ、タッ、ツッ」をオモテの拍とすれば、「ツッ、タッ、ツッ、タッ」がウラの拍。


話し手がギターとすれば、聞き手はベース。

ベースのリズム感・グルーヴ感が、ギターのうねりを引き立たせます。


コミュニケーションは、ジャム・セッション。

話し手は、聞き手の拍子に左右されます。


聞き手は、「ゴーストノート」や「空の拍子」、「隻手の音」も織り交ぜつつ、話し手を引き立たせるために聞いていきます。

そして、朝鍛夕錬です。


2012/02/24

木くばり

『五輪書』の「地の巻」に、兵法の道を大工に例えている一節があります。そこに、「木くばり」という言葉がありました。
家を立つるに木くばりをする事、直にして節もなく、見つきのよきをおもての柱とし、少しふしありとも、直につよきをうらの柱とし、たとひ少しよわくとも、ふしなき木のみざまよきをば、敷居・鴨居・戸障子と、それぞれにつかひ、ふしありとも、ゆがみたりとも、つよき木をば、其家のつよみつよみを見わけて、よく吟味してつかふにおいては、其家久敷くづれがたし。

真っ直ぐで節もなく見た目もいい木は表の柱に、少し節があっても真っ直ぐで強い木を裏の柱に、多少弱くても節もなく見栄えがいい木は敷居・鴨居・戸障子に、と、大工の棟梁は「木くばり」をします。

建てようとする家の強みを知り、それらに合わせて「木くばり」をする。

「適材適所」という言葉がぴったりきます。適した木材を適した所に。


さて、この「木くばり」ですが、音から「気配り」が連想されます。

「気配り」を手元の国語辞典で引いてみると、
ことが間違いなく行くように、細かいところに注意すること。


さらに「気配り」という字面から「気配(けはい)」も連想されます。

同じように「気配」を国語辞典で引いてみると、
何かがいそうだ(起りそうだ)と、かすかに感じられるようす。


「気配を感じる」というと、どちらかと言えば、あまりいい感じではありません。誰もいないと思っているのに、どこかにいそうな感じ。何かが起こりそうな感じ。


何かしらの気配を感じたら、気配りをする。

何かが起こってからでは、気配りはできません。


家を建てた後に「木くばり」をしないように。


2012/02/19

有構無構の教え

ヤブログ放送室のなかで好きなお題のひとつ「直感道場」。
「聞き方に型がない」
「(聞き方の)パターンを覚えようと思ったらすべる」

『五輪書』に、「型(パターン)」ではありませんが、「構え」のことについての記述がありました。
一、有構無構のをしへの事
有構無構といふは、太刀をかまゆるといふ事あるべき事にあらず。され共、五方に置く事あれば、かまへともなるべし。太刀は、敵の縁により、所により、けいきにしたがひ、何れの方に置きたりとも、其敵きりよきやうに持つ心也。上段も時に随ひ、少しさがる心なれば中段となり、中段を利により少しあぐれば上段となる。下段もをりにふれ、少しあぐれば中段となる。両脇の構も、くらゐにより少し中へ出せば、中段・下段共なる心也。然るによって、構はありて構はなきといふ利也。先づ太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。若し敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、ねばる、さはるなどいふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし。うくると思ひ、はると思ひ、あたるとおもひ、ねばるとおもひ、さはるとおもふによつて、きる事不足なるべし。何事もきる縁と思ふ事肝要也。能々吟味すべし。兵法大きにして、人数だてといふも構也。みな合戦に勝つ縁なり。ゐつくといふ事悪しし。能々工夫すべし。

「構えがあって構えがない」ということを「有構無構(うこうむこう)」として、「太刀を構えるということはあるべきではない」といいます。

結果的には構えがあるということができるのかもしれませんが、それはただ敵を斬るため。

敵の出方や場所、状況に応じて、敵を斬るためにどうするのか?
太刀を受けるとき、打ちあたるとき、どうしたら敵を斬ることができるのか?


構えは手段であって、目的ではない。


ただ聞くだけなら型があってもいいかもしれませんが、もっと深いところを聞く。


「いのちといのちのぶつかり合い」

ヤブログ放送室の中でもあった言葉。


私はまだまだ「真剣勝負」に挑んでいない、と感じました。



2012/02/16

限界への突破口

先日、「「話聞一流」と名付くる事」という記事を書きました。


宮本武蔵の兵法「二天一流」は、勝つことを目的として生み出されたものです。

まさしく真剣勝負であり、負けることは死に直結するため、実戦において勝つために編み出されたもの。


では、(勝手に名付けた)「話聞一流」は、何のためにあるか?


宮本武蔵の『五輪書』「地の巻」には、兵法について、次の言葉があります。
武士の兵法をおこなふ道は、何事においても人にすぐるゝ所を本とし、或は一身の切合にかち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是、兵法の徳をもつてなり。又世の中に、兵法の道をならひても、実の時にはたつまじきとおもふ心あるべし。其儀においては、何時にても、役にたつやうに稽古し、万事に至り、役にたつやうにしゆる事、是兵法の実の道也。

どんなときでも勝つことを根本とすること、そして実戦で役立つこと、それが兵法の真の道。

一刀よりも二刀の方が有利であるから、二刀流が生まれたのです。


「話聞一流」は「話す」と「聞く」の二刀流。

「話す」だけ、「聞く」だけよりも、二刀流である「話聞」の方が有利であるところから生まれてきました。


さて、何に有利なのか?


私はここに、「自己わもん」を見ます。

自分の「声なき声」を聞くために、「話聞一流」の鍛錬が必要だと感じます。


相手の声なき声を聞くことにより、相手が自然と動き出すことと同時に、自分の声なき声を聞くことにより自分が自然と動き出す。

今の自分よりも未来の自分が成長する。

過去の自分に勝つ。


そのために作りだした言葉が「話聞一流」です。

「話す」だけ、「聞く」だけよりも、「話聞(わもん)」の方が有利であると考えるからです。


世の中には、「上手な話し方」や「上手い聞き方」などの書籍なども出回っています。

仕事をするまで、話し方・聞き方ともにあまり練習はしていませんでした。

そして、コミュニケーションが本当に大切だと思い始めたのは、最近のこと。
一流の道、初心のものにおいて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習ふ事、実の所也。
「話す」と「聞く」を両手に持って道を仕習うことが、真の道かと思います。

そして常に限界突破。

自分が作りだしている壁の限界突破のための「話聞一流」です。


2012/02/15

絡新婦の教え

実家の隣には、祖父母の家があります。

その祖父母の家の軒下に、絡新婦(女郎蜘蛛、ジョロウグモ)が巣を張っていたときがありました。

私が小学生くらいのときです。

特に何か悪さをするわけでもなく、田舎の言い伝え(?)で、家に住む蜘蛛は殺してはいけないということもあり、玄関の軒下にも関わらず、そのままの状態です。さすがに今はいませんが。


絡新婦は蜘蛛の巣を、まさしく蜘蛛の巣状に張り、その真ん中に居座っていました。

静かなものです。


ある日、特に何か考えがあったわけでもなく、私は田んぼで蛙を捕まえていました。アオガエルです。

そしてふと軒下の絡新婦が目に入りました。

「蜘蛛は、巣にかかった虫を食べるけれど、蛙は食べるかな?」


ちょっとした疑問を解決するために、蛙を蜘蛛の巣に放り投げました。


蛙が網にかかったその瞬間。

動いたところを見たことがない絡新婦が、一気に蛙に飛びかかり、お尻から糸を吐き出しながら、蛙を回転させつつ糸でグルグル巻きにしてしまいました。


最初はもがいていた蛙ですが、やがて動かなくなり、蚕の繭のようになってしまったのです。


正直、驚きました。


ほとんど動かなかった絡新婦が、あんな素早い動きを見せるとは思っていませんでした。


面白くもあり、その動きを見たくもあり、その後数日は、蛙や虫を取っては、蜘蛛の巣に放り投げていました(笑)

蜘蛛の巣上に繭が4つくらいついていたときもありました。

あまり多いと、見向きもされないことも知りました。

生きた虫や蛙でないと見向きもしませんでした。



なぜ、こんな話をしたのかというと、先日の心徒塾で「動態聴力」という言葉を聞きました。

「動体視力」ではなく、「動態聴力」。

そして、動態聴力を鍛えるためにはどうしたらいいか。


そのときのイメージが、蜘蛛が蜘蛛の巣を張り巡らせているイメージでした。

アンテナを張り巡らし、何がアンテナに引っかかるのかを知ること。そして、引っかかるものを増やしていくこと。

さらに、巣に獲物がかかったと同時に瞬時に飛びつく。


軒下の絡新婦が教えてくれたのかもしれません。



(以下に紹介している本は、本文とは何の関係もありません)

2012/02/14

「話聞一流」と名付くる事

先日の心徒塾の帰りに、「武士道」というキーワード(コアワード?)が出てきました。

その後、納得感を表現するために、私は「『五輪書』も読んでみたいと思っていて、まだ手が出ていない」という言葉を発していました。


そこで、駅の本屋さんで『五輪書』を購入。

早速、読み始めております。


読み始めたところ、流し読みはできない内容。

ゆっくりとじっくりと読んでいくものだと思いました。


『五輪書』は、剣豪宮本武蔵が「二天一流」の兵法を書き記したものです。兵法を「地・水・火・風・空」の5つに分け、『五輪書』は、「地の巻」「水の巻」…と5巻に分かれています。

その「地の巻」に、次の言葉がありました。
一、此一流、二刀と名付くる事
 二刀と云出す所、武士は将卒ともにぢきに二刀を腰に付くる役也。…(中略)…。此二つの利をしらしめんために、二刀一流といふなり。
そう。そういえば、宮本武蔵は二刀流だったのです(すっかり忘れておりました…)。

続く言葉には、
一流の道、初心のものにおいて、太刀・刀両手に持ちて道を仕習ふ事、実の所也。
「(この、二天)一流の道は、初心者でも、太刀と刀を両手に持って、道を仕習うことが本当である。」

通常(というのも現代ではおかしいですが)、刀は両手で持ちます。剣道での構えは両手で構えますね。武蔵は二刀流で、片手に太刀を、もう片手に刀を持ちます。そして、この二刀流は、最初から太刀と刀を両手に持って身につけろ、ということです。


この「二刀」に、「話すわもん」と「聞くわもん」が浮かびました。

「話すわもん」と「聞くわもん」は表裏一体。「話す」と「聞く」で「わもん(話聞)」です。「話すわもん」と「聞くわもん」の二刀流。

此の二つの利をしらしめんために、「話聞一流」といふなり。


2012/02/12

打てば響く

心徒塾からの帰り。

新快速の方が速いのですが、新快速の発車まで少し時間があり、快速の方が空いていることもあり、京都駅から快速に乗りました。

やぶちゃん、常ちゃん、私の3人で向い合せの座席に座り、本日の心徒塾のことなどを話していました。

やぶちゃんと常ちゃんが横並びに座り、私がやぶちゃんの向かい側です。


心徒塾は、疲れながらも楽しく終了。

さまざまな気付きがあり、他の方の気付きのシェアもあり、自分自身の課題も少しずつ明確になっていきます。

自分自身をもっと明確にしていきたいと思っていました。

そして、もっと自分を高めていきたいとも。


電車内では、いつからか、私は自分が思っている自分の話をしていました。


このブログではちょこちょこと自分自身のことを書いてはいますが(いや、あまり書いていないかも…)、人と話すときは、あまり自分のことを話すことはありません。

特に、自分が得意だと思っていることとか、自分自身の性格だとか、あまり確信がないことについてはなかなか話すことはありません。


そんな中での私の言葉。

「自分自身では、打てば響くと思っているが、打たれることはあまりないし、自分が打つこともしていない。」

やぶちゃんは聞き逃しません。

「打ってみて、と言っている。」


ここから、やぶちゃんはどこを打てば一番響くのか探し始めました。

いや、もっと前からいろいろなところにアンテナを張り巡らせていたのでしょうが。


別に、殺気立っていたりしているわけではないのです。

しかし、やぶちゃんと視線があうと自然と目をそらしてしまいます。


茨木駅。

やぶちゃんは言います。(多少、美化してあります。というより、正確には覚えていません…。)

「新大阪駅まであと一駅。それまでの命。そこで永遠の別れ。どうする?」


「死」については、あまり考えたことはありません。

「死んでもいいかな」と軽い気持ちで考えたことはありますが、ここでも本気になりきれず生きています。(いいことだ!)


特に深い考えもないまま、「胡蝶の夢」の話をしました。

やぶちゃんは、おもむろに「打ってみるよ」。そして、


「武士道」


少し、きょとんとしましたが、私は「はぁ」と気の抜けたような安心したような息を漏らしました。

「武士道ですか。」

なるほど、言われてみれば、いろいろと当てはまるかもしれない。

もちろん私は武士ではなく、武士道のなんたるかも知らないわけですが、「武士道とは何ぞや」を求めて実践したいと思っていたような気がしてきました。


否定することは、何ひとつ思い浮かびません。

そして、自分の武士道に反する(と思っている)自分の行動に何となく違和感を感じていたのだとも思いました。


「武士道」という言葉は、今まで目にしたことも耳にしたこともあり、引っ掛かりはするのですが、中心に位置するとは思っていませんでした。

今までの言動が、「武士道」という言葉に収斂していく感じです。


そして、今までの(漠然とした)自己分析は、その「武士道」を中心とした周りをグルグルとまわっています。


私の話は回りくどいと言われることがあります。

自己分析も回りくどかった(笑)

「武士道」という言葉に納得感があります。


しかし、「武士道」か…。

古臭くもありますが、否定できない。

そして、極めてみたい。

終りのない道かとは思いますが、この道を歩んでいきたいと思いました。


そして、やぶちゃんがすごいと思うのと同じく、常ちゃんがいてくれたことも大きいと思いました。

たぶん、常ちゃんがいなければ、この言葉はなかったと思います。

そして、その前の心徒塾も。


やぶちゃんは言います。

「どんなことにも意味がある。何が起きてもそれは必然的に起きたもの。そこにこうして起きることは、必ず何かしらの意味がある。」


私は今まで、起きることは「全て必然」か「全て偶然」かのどちらか、と思っていましたが、「全て必然」に傾きました。


今まで起きたことすべてに「感謝」です。

2012/02/11

本気度

本日、心徒塾に参加しました。

楽しみにしていた「直感道場」。実際にやってみると…、やはり難しい。

様々な気付きとともに課題が見つかっていきました。


もっともっと聞くことに集中しなければいけません。

いや、集中はしているのですが、まだ本気度が足りない。


課題は、普段からふと頭によぎるもの。

このブログでも、思い出したように書いています。

「自分らしさ」
「誰しもがトップランナー」

そして、この記事を書いているときに思い出したのが「『聞く』とは、裸になって飛び込むこと」というフレーズ。

鈴木義幸さんの『成功者に学ぶ「決断」の技術』からの言葉で、これもまた、以前、同名のタイトルでブログを書いたことを思い出しました(「聞く」とは、裸になって飛び込むこと


時折顔を出しては隠れていた課題が、少しずつ浮き上がってきました。


しかし、最後に触れたブログ記事(「聞く」とは、裸になって飛び込むこと)の最後には、
まだまだ、修行が足りません。
約1年前の記事なのですが、今も同じく、まだまだ修行が足りません(^-^;)


「決める」瞬間と、「軸」がある人(決めている人)の行動の事例集。
どちらかというと「決める」瞬間の方が、私には興味がある。
「決める」という意味の変化がどのように起きたのか、またどのように起こしたのか、何度も読みたい一冊。

2012/02/09

ガニェの9教授事象

『続ける技術』や『教える技術』の著者、石田淳さんが代表を務める(株)ウィルPMインターナショナルのFacebookページで、「ガニェの9教授事象」というものを知りました。

人が何かを学習するとき、そこには「外からの情報を受け取り、それをしっかりと記憶するまで」のプロセスがあります。
「ならば、その“学習プロセス”の順番にそって最適な『指導』を行い、学習の効果を最大に高めよう」というコンセプトにもとづき、ガニェは9つの「教授事象」を定めました。

ガニェというのは、教育心理学者のロバート・ガニェ博士のこと。

学習効果を高めるため、教える側・指導する側の9つのプロセスが「ガニェの9教授事象」です。

9つの教授事象とは、
  1. 学習者の注意を喚起する
  2. 学習者に目標を知らせる
  3. 前提条件を思い出させる
  4. 新しい事項を提示する
  5. 学習の指針を与える
  6. 練習の機会をつくる
  7. フィードバックを与える
  8. 学習の成果を評価する
  9. 保持と転移を高める

WILL PMのFacebookページでは、先日より数日にわたって「ガニェの9教授事象」の紹介がなされていました。
『ガニェの9教授事象』は、専門用語が多く、その内容は少々難解です。
そこで、専門用語を身近な言葉に置き換え、部下の育成に生かすためのアレンジを加えながら、9つの「教授事象」を「指導メニュー」としてわかりやすく紹介してきます。

その説明がわかりやすかったのですが、Facebookページで少しずつ紹介されていたために、後で読み返しにくい。

そこで、まとめておこうと思った次第です。

引用をもとに、空間的な移動に例えつつ、まとめていきます。


2012/02/06

誰しもがトップランナー

基本的に「誰かができることは自分もやればできる」と私は思っています。

もちろん、「じゃあ、これをやってみて」と言われてすぐにできるわけではありません。

しかし、可能性は持っていると思っています。


例えば、「100メートルを9秒以内で走ることができるか?」と問われれば、もちろん今は走れません。

しかし、努力して練習して、世界一速く走るという気持ちを100%持てば、ボルトの記録さえ破ることができると考えています。

「だったら、やればいいじゃないか」「やってみろよ」と言われそうですが、今のところ、その気はありません。

100メートルを9秒以内で走るよりは、フルマラソンを完走したいと思いますし、今からがんばってもボルト以上の練習・努力はできませんし、したいとも思っていません。


トップランナーで走り続ける人は誰しも、人一倍努力して、考えて、行動されてきた方々です。トップランナーを追い越せるのは、それ以上に努力し、考え、行動した人。


トップランナーとして走り続けることは、たやすいことではありません。

誰かを追い抜くことも、たやすいことではありません。


ある一面でトップに立つことは難しい。

しかし、誰しもがトップランナーでありうるものがあります。


それは、「自分らしさ」。

自分自身は「自分らしさ」のトップランナーです。


誰一人として同じ人がいないように、「自分らしさ」は人それぞれ。


「自分らしさ」がどんなものか。「自分らしさ」のトップランナーであり続けるにはどうすればいいか。

人一倍努力して、考え、行動すれば、誰しもがトップランナーであり続けます。

2012/02/04

会場一体の直感道場

さて、昨日(2/3)、日比谷図書文化館で行われた日比谷カレッジ「心を聞くコミュニケーション:「わもん」の世界(聞く&質問シリーズ第1回)」に参加した感想などを。


「大盤解説」は、やぶちゃんの聞き方を、本間先生が解説していくというスタイルです。

やぶちゃんが会場のどなたかを指名し、その方の話を聞く。

本間先生がそのやぶちゃんの聞き方を解説する。


この繰り返しだと思っていたのですが、予想していなかったことがいくつかありました。

ひとつは、やぶちゃんが話を聞く側ではなく、解説側に立ったこと。

そして、会場全体での井戸端わもん。


大盤解説を見たのは初めてですが、読んだり聞いたりして想像していた大盤解説とは異なるものでした。


全体の流れ。


まずはお1人目。

お芝居をされている方で、やぶちゃんとワークショップ前に名刺交換をされたというだけでやぶちゃんとは初対面の方。

やぶちゃんは直感でなにかあると感じていたとのことでのご指名。

やぶちゃんがその方の話を聞き込み、本間先生が解説。キーワードは「安心感」。

導入部分は想像通り。かといって私にはできませんが(^-^;)


お2人目。

こちらもやぶちゃんとは初対面の方で、日比谷図書文化館のポスターを見て参加された方。

この方の話を聞いている途中、やぶちゃんの聞き方レクチャーが始まりました。

3人目の方、ステージに登場。2人目の方が聞き手で3人目の方が話し手。

3人目の方は、自分で聞き上手との自覚があるものの何かある様子。

2人目の方の聞き方を、やぶちゃんが途中途中止めながら解説していきました。

3人目の方は、たしかに聞き上手かも。


4人目。

やぶちゃんの指名ではなく立候補。外国人の方。日本語もOK。

アグレッシブ(攻撃的という意味ではなく、積極的という意味)な方で、やぶちゃんとハイタッチ。


5人目からはやぶちゃんが話を聞く、というわけではなく、会場全体で話を聞くという雰囲気に。

5人目。記者の方。やぶちゃんがコンサルを務める小布施町役場での様子。

6人目。こちらもやぶちゃんがコンサルを務める会社の人事・研修担当の方。

7人目。高知から参加の医療関係の方。

聞き方だけではなく、場の整え方へとすすみ、本間先生の解説も場の話へ。


ここで、「井戸端わもん」。

小さなコンサート会場のようなホールで井戸端わもんが行われるとは思いませんでした。

場が整ったことからのやぶちゃんの直感ですかね。


そして最後に人生の岐路に立ちつつある会社員の方の話。


全体を通して感じたのは、やはりやぶちゃんの聞き方はすごいな、というもの。

コーチングでは「ペーシング」という言葉があります。

話し手の言葉やしぐさ、態度などを合わせていくことで話し手に安心感を与えて話しやすくするというスキルですが、やぶちゃんはそれが自然とできている。

学習理論か何かで、学習には「無意識的な無能」「意識的な無能」「意識的な有能」「無意識的な有能」という段階というような話がありますが、やぶちゃんは「無意識的な有能」の段階にあるな、と感じました。「ペーシングのスキルを持っている」というのは「意識的な有能」の段階ではないかと思います。

お1人目の話を聞くときは落ち着いた感じで、2人目の話のときは応援するように。

4人目の外国人の方とはハイテンションで。

最後の方は、私にとってはちょっとテンポが早いな、という話し方でしたが、それに普通に合っている。


書籍『わもん』には、「心の周波数を合わせる」という言葉があります。

その周波数の合わせ方を本間先生に解説してもらいたかったのですが、なかなか難しい。


やぶちゃんは直感型ですが、本間先生はたくさんの引き出しを持っておられます。

やぶちゃんの聞き方の解説を、私たちに伝わるように、いろいろな引き出しからいろいろなものを出されてきます。


本間先生とやぶちゃんが作りだした意識場は、すぐに会場全体に広がっていきました。

今まで数回、やぶちゃんの心徒塾に参加していますが、そこでの雰囲気に近くなりました。


この整った場の雰囲気、一体感が好きです。


来週は久々の心徒塾。

「直感道場」楽しみです。

バスはやはり苦手

昨日(2/3)、日比谷図書文化館で行われた日比谷カレッジ「心を聞くコミュニケーション:「わもん」の世界(聞く&質問シリーズ第1回)」に参加してきました。

コーチングの第一人者である本間正人先生と、天然コーチやぶちゃんこと、藪原秀樹さんとのワークショップです。

やぶちゃんの聞き方を、本間先生が「大盤解説」していきます。


この「大盤解説」は、今回で4回目。

私がツイッターを始めたのが2010年の夏で、本間先生が理事を務める「Hello Dream」の笑顔のコーチングに参加したのが、2011年2月。そしてその頃、ツイッター上でやぶちゃんのことを知り、2010年の8月に最初の「大盤解説」が開催されていたことを後で知りました。

最初の「大盤解説」が開催されたときは、私はまだ東京にいたので、「もっと早く知っていれば…」と思っていました。

その後2回目・3回目と、確か書籍わもんの出版記念講演会で実施されていましたが、関東での実施でもあり、日程も合わず、「関西での実施はないかな…」とも。


そして、今回で4回目。開催場所は日比谷。しかし、やはり関東。

ですが、今回は金曜日開催で、ちょうど仕事は休み。ただ、翌日土曜日は仕事があるため、行くには行けるが、帰るとなれば夜行バスしかなく、私はバスが苦手。

どうしようか迷っていたときに聞いたのが、ヤブログ放送室「直感道場」です。


1月の心徒塾には、予定の確認が遅かったため満席で参加できませんでした。そこでまた新しいカリキュラムの「直感道場」。

そう、このマジックショーが見たかったのです。


行くことに決めました。

バスは嫌ですが…。


午後から新幹線で大阪を出発し、ワークショップに参加。そして、その後夜行バスで大阪へ戻る。そして夜行バスで帰ったその日に出勤という計画。

ですが、ワークショップに申し込みをし、夜行バスの手配をしたあとしばらくして、2月のシフトが決定すると、2/4(土)は、日曜日に出勤する代わりに休みとなっていました。ひょっとすると、乗り物酔いもましになっているかもしれないので、挑戦してみようとそのまま夜行バスで。

結果は…、本日仕事が休みで、よかった(^-^;)

2012/02/03

先入観に縛られる

とあるラーメン屋さんにて。なかなか味のある入れ物と文字だったので、ちょっと写真に。


写真左の入れ物は「にんにく」。そして爪楊枝があって、次は「ラー油」。右端の入れ物は「ぎょうざ」(ぎょうざのたれ)。

そしてその近くにナプキン立てがあり、そこにも文字が。


写真がすごく赤みがかっていますが、それはさておき。何と書いてあるのか、しばらく考えていました。

読めるとすれば、「どうじや」ですが、紙ナプキンと結びつきません…。

そこで、手に取って眺めていると、反対側にも文字が。


これは「うまいか」ですね。

ということは、「どうじゃ」「うまいか」です。


「にんにく」「ラー油」「ぎょうざ」の文字から、紙ナプキンに関連する言葉を考えていました…。先入観に縛られていたようです。



2012/02/01

飛行機

先週末に祖父が亡くなり、実家に帰ってきました。

今回、帰省には飛行機を利用。


飛行機にはあまり乗ったことがなく、一人で乗るのは初めてのこと。帰省の準備をしつつ、ネット上で飛行機の予約をとり、飛行機に持ち込めないものを確認したり、搭乗手続きはどうやったらいいのかを確認したり、と少しばかり右往左往。

当然のことながら空港に行く手段もすぐには思いつかず、交通手段は専ら鉄道中心でしたので、最寄駅からバスが出ていることも知りませんでした(^-^;)

バスで大阪国際空港(伊丹空港)まで行き、松山空港まで。

新大阪から松山まで、新幹線と特急を使って移動すると3時間半くらいかかるところを、飛行機ならば1時間くらいで。さすがに速い。

時間的には魅力的なのですが、乗り物に酔いやすい私は飛行機の離着陸時の揺れがニガテです。慣れるにはもう少し時間がかかりそうです。


飛行機の中では、子どものように(?)デジカメで景色をパチパチと撮っておりました。

慣れた人には珍しくもないことでしょうが、雲を上から見ることなどめったにありません。

しかし、そのデジカメは帰省先の実家に置き忘れ…(-_-;)