朝、家を出て駅まで行った。定期券を出そうとカバンのポケットを探ったが見つからない。そういえば、昨日は違うカバンで出かけていた。おそらくそのカバンの中に入っているだろう。今日は切符を買って電車に乗った。用事をすませて家に帰り、昨日使ったカバンの中を確認すると定期券が見つかった。
ありがちな話である。
この例の中にも「気づき」があると言えばある。
たとえば、
- カバンに定期券がないと気づいた。
- 昨日使ったカバンに入っているだろうと気づいた。
- 切符を買えば家に戻らなくてもいいことに気づいた。
これらは気づきではないと言えば気づきではないと言えるが、気づきと言えば気づきだろう。とりあえず、「ありきたりな気づき」と名付けよう。
では、「気づきを得た」と言うときの「気づき」とはどんなことだろうか。
手元の辞書には「気づき」の項がなく、「気づく」の名刺形として掲載されている。「気づく」には以下の意味が載っていた。
- 注意がそちらに向いて、ものがあることや変化したことを知る。気がつく。
- 正気に返る
「こんなところに花が咲いていた」など、多少の驚きや感動が伴うとさらにふさわしく思う。
冒頭の例では、駅に行くまで定期券に注意を向けていなかった。改札ではじめて定期券に注意が向き、定期券がないことを知った。昨日使ったカバンに注意が向き、そこに入っている可能性が高いことを知った。電車に乗るには切符があればいいということに注意が向いて、家に戻らなくてもいいことを知った。
カバンを変えた時点では、定期券のことに気づかなかった。この気づきがあれば、「ありきたりな気づき」はなかったのかもしれない。
気づいてばかりの人は、さらなる気づきを求めていこう。もう気づきはないと思うところまでいくと、大きな気づきが得られると思う。
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