2013/04/15

わもんな言葉39-絶対尊敬

4月14日(日)、第56回黒帯心徒塾。

前日13日(土)の第55回にも土曜日ながら参加することができたのですが、何となく心ここにあらず、といった感じで終わってしまいました…。

反省。


打って変わって、日曜日は参加メンバー全員が整いました。


黒帯チャレンジャーは前日と同じ10人。

前日は0人。

そして当日は10人が見事に黒帯取得!

ひとりひとりの力はもちろん、場の力もすごかったです。


書籍『わもん』の冒頭の言葉でありながら、「わもんな言葉」では取り上げていなかった「絶対尊敬」。

実は、よくわかっていませんでした。

もちろん、出会う方々に尊敬の念を持ってはいるものの、それが絶対尊敬かというと疑問が残っていました。


しかし、この場は…信じないわけにはいかない。

別に、強制力でも何でもなく、いけると思える、そんな場でした。


絶対尊敬とは、誰かの尊敬の念と比べる相対的な度合いとは違います。

思えばいつも、自分の持つ尊敬の度合いと、他の誰かが持つ尊敬の度合いを比べていたように思います。


今、読んでいる吉田松陰の『講孟箚記』に、次の言葉があります。
「其の心を尽す」とは、心一杯の事を行ひ尽すことなり。力を尽すと云へば、十五貫目持つ力ある者は十五貫目を持ち、二十貫目持つ力のある者は二十貫目を持つことなり。

自分が持つ尊敬の念を、目一杯贈ることが「絶対尊敬」


今回の心徒塾では、四六時中とはいきませんが、目一杯贈ることができた時間がありました。

一事より二事、三事より百事・千事と、事々類を推して是を行ひ、一日より二日、三日より百日・千日と、日々功を加へて是を積まば、豈遂に心を尽すに至らざらんや。宜しく先づ一事より一日より始むべし

講孟箚記 下 (講談社学術文庫 443)
講孟箚記 下 (講談社学術文庫 443)

わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

わもんな言葉38-波

4月13日(土)朝5時半頃、寝ていましたが、大きな揺れで目が覚めました。

とりあえず揺れが収まるのを待ち、収まったところで起き上がり、念のためにテレビをつけ震源地を確認。

おそらく震源地は近くにあるだろう、と。


震源地は淡路島付近でやはり近いものの、大規模な被害が出てはおらず、部屋のベランダから見たところでも大きな変化はなく、少し安心しました。

ただし、後でニュースで知るところによると、震源地に近い淡路島では少なからずケガ人や建物の被害が出ております。


震源地に近いと感じたのは、初期微動時間が少なかったからだと思います。


地震波には、P波(Primary Wave)とS波(Secondary Wave)の2種類があります。

P波というのは第1波で、波の進行方向に対して並行する波、S波というのは2番目の波で、進行方向に対して垂直に揺れる波です。

初期微動を起こす波はP波で、それに続くS波は主要動といわれる大きな揺れを起こします。

S波よりもP波の方が速度が速く(先に届くからP波という名前です)、P波が届いてからS波が届くまでの時間を初期微動時間といいます。


もちろん地層などの影響を受けるでしょうが、初期微動時間が短いほど震源地は近く、初期微動時間が長いほど震源地は遠くなります。


地震波は波です。

音波に変えて考えてみましょう。


わもんでは、音波・音調を手掛かりに声を聞いていきます。

地震波にP波・S波があるように、音波にもP波・S波があるのではないか、と。

つまりは、主要動(S波)を実際の声だとすると、初期微動(P波)があるはずだ、と。


その初期微動を感じることで、次の言葉を待つ心構えができます。

初期微動を感じるためには、自分が静かでいること。

完全沈黙が必要です。


そして、震源に近づくほど初期微動時間は短くなる。

初期微動を感じてから構えていては遅い。

震源では、初期微動時間は0(ゼロ)になります。


とすると、いつでも、どこでも、誰にでも。

目指すところは、初期微動を感じた瞬間、間髪入れずの動き。


そしてもう1つ、初期微動の方向が、震源・音源の方向になるな、ということも気付きました。


わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

2013/04/06

わもんな言葉37-Elephant in the room

こんな夢を見た。

宮殿の一室に一匹の象がいる。部屋の隅に四足で立っており、大きな置物と見間違ってもおかしくないほどほとんど身動きをしない。室内には数名の人がいて、象がいることにおそらくは気付いている様子だが、取り立てて珍しく眺めたり話題にあげたりはしていない。

何となくさびしそうである。

そのうち、数名の盲人が部屋に入ってきた。一人が象の鼻を撫で、「木の枝のようだ」と言った。またある者は耳に触れ、「否、これは扇だ」と評した。腹を触った盲人は「壁のようだ」と言い、牙を撫でた者は「パイプのようだ」と、あれやこれやと言っている。

近くにいた者がこのやりとりを聞きつけ、「これは象です」と伝えた。何でも、子どもの頃は気性が荒かったのだが、訓練によっておとなしくさせたという。訓練といっても鎖をつけていただけである。

象の足に鎖をつなぎ、子どもの象では動かせない杭にその鎖をつなげておく。最初のうちは、鎖を引きちぎろうとしたり、杭を引き抜こうと四苦八苦するものの、それが無理とわかるとあきらめてしまう。あきらめた象は、鎖をつなげられただけで引きちぎれないものだと認識し、逃げようとしないということらしい。見ると部屋にいる象にも足に鎖がついている。

盲人たちは感心しながら聞いている。「なるほど。これは象なのか」「力強いと思っていたが案外おとなしいものだ」など。そして、「やはり人間は象よりも賢いな」と。

すると、別の方向から男の声がした。「象は賢い動物ですよ」

その男が言うには、象は今まで自分の身に起ったことを全て覚えているくらい記憶力がいい、という。鎖につながれておとなしくしているのは、あきらめたわけではなく、そうすることが象にとって一番いいと感じているからそうしているだけだ、とも。

そうして部屋のあちらこちらで象の話が持ち上がってきた。ある人は象を撫で、またある人は象に話しかけ、その部屋にいる誰しもが象と戯れるようになった。

象も喜んでいるように見えた。

とても大きく力強いにも関わらず、鎖につながれおとなしくしている。しかし、部屋の誰しもが話題にして戯れることで、活き活きとしてくる。

誰かが冗談交じりに、この象を「理想像」と呼んだ。


わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

2013/04/01

わもんな言葉36-板の上に立つ

話を聞いた当初は、まな板の上、という思いでいました。


3月31日(日)岡山で行われた「やぶちゃんの聞くライブ3!」にて、三段チャレンジ。

観客がいる中でのガチ聞きです。

申し込みをした時は、私はまだ黒帯初段。

三段チャレンジする方の雄姿を見たいと思って申し込みをしたのですが…。


3月20日付ヤブログ放送室『わもん声楽レッスン~直樹先生と対談~』の中で、「板の上に立つ者」という言葉が出てきます。

コンサートなどで舞台に立つ者、あるいは、セミナーなどで人の前に立つ人、という意味です。

そして、さらにやぶちゃんはリスナーに向けて言います。

「あなたも板の上に立っているんじゃないんでしょうか」

今、この一時は1回切りの勝負だ、と。


「まな板の上の鯉」という言葉は、抵抗することもなく為されるがままの状態、という意味もあるのかもしれませんが、慌てず泰然として覚悟を決めた状態でもあります。

「人事を尽くして天命を待つ」という心境です。


思えば、鯉は力強い魚。

中国の故事では、黄河の急流のにある竜門という滝を登ることができたのは鯉だけだった、そして、竜門を登り切った鯉は竜になったという話があります。

「鯉の滝登り」や「こいのぼり」の話。

そして、鯉が竜になったという故事から、「登竜門」という言葉もあります。


はたして、自分は人事を尽くしているのだろうか。

まな板の上にも立っていたのではなく、まな板の上に寝転がってはいなかっただろうか。


残念ながら、今回は黒帯三段という竜門を登ることはできませんでしたが、今も板の上には立っています。


人は誰しも、人生という板の上に立っています。

自分の板の上では自分が主役、他の誰かの板の上ならば名脇役として立ってみたいと思います。