2012/12/24

エレファントカシマシ『THE BEST 2007-2012 俺たちの明日』

いつも長い、文章ばかりの記事を書いているので、たまにはちょっとしたことも書いてみようかと。


エレカシのベストが発売されました!

初回限定盤2種類を含む3種類あり。

迷った挙げ句、初回限定盤Bを購入です(^^)

THE BEST 2007-2012 俺たちの明日(初回限定盤A)(DVD付)
THE BEST 2007-2012 俺たちの明日(初回限定盤A)(DVD付)

THE BEST 2007-2012 俺たちの明日(初回限定盤B)(DVD付)
THE BEST 2007-2012 俺たちの明日(初回限定盤B)(DVD付)

THE BEST 2007-2012 俺たちの明日
THE BEST 2007-2012 俺たちの明日


最近、音楽をあまり聞いておらず、久々にCDを買いました。

ラストの曲「ズレてる方がいい」が好きです。

映画『のぼうの城』の主題歌なんですね(^-^;)

そんなことすら知らないほどの、ファンです…。

ホントのファンには叱られそうですが。
オフィシャルサイト:http://www.elephantkashimashi.com/

2012/12/23

わもんな言葉21-サウンドチューニング

最近はないですが、カラオケに行ったことがあります。

曲に合わせて歌うのですが、私の場合、妙に高い声になります。

多分、キーが合っていないということでしょう。

元々が低い声なので、曲に合わせると高くなるのだと思っています。

カラオケの機械には、キーを上げたり下げたりする機能もついていますが、どのくらい上げたり下げたりすれば自分のキーに合うのかわからないので、触ったことはありません(^-^;)


音楽でキーというのは、その曲の基準音です。

基準となる音のことをキーといいます。

キーが合っていないというのは、先のカラオケの例でいうと、その曲の基準音と私の基準音が合っていないということになります。

ということは、人にもそれぞれ基準音があるということです。


最近、わもんで「サウンドチューニングトレーニング」ということをやっています。

実際に体験したことはまだありませんが、相手(話し手)の音に自分(聞き手)の音を合わせるトレーニングです。

相手のキーに、自分のキーを合わせるトレーニングです。


なぜ話し手のキーに合わせるのか?


ひとつの理由としては、ペーシングの効果と同じことがいえると思います。

キーを合わせることで、話し手は自分のペース、自分のキーで話すことができます。

話し手がキーを合わせようとすることは、冒頭のカラオケの例でいうと、その曲に自分の声を合わせようとすること。

話し手は、どこか無理をしてしまったり、「合っていないな」と違和感を感じたりしながら話すことになります。

ともすれば、自分の話に自信が持てなくなったりするかもしれません。

そのような話し手の心配事を取り除くようにすること、話し手が安心して話をするような環境を作ることが聞き手の役割です。


キーを話題にしたのでもうひとつ。

音楽、曲には、「キー」の他に「スケール」というものがあります。

「キー」は音ですので「ド」「レ」「ミ」など、西洋風にいうと「C」「D」「E」など、和風にいうと「ハ」「ニ」「ホ」などで表します。

「ド」の音は、西洋風では「C」、和風では「ハ」。


で、よく「ハ長調」とか「イ短調」とかあります。

西洋風にいうと、「Cメジャー」「Aマイナー」です。

ここでの「長調(メジャー)」「短調(マイナー)」が「スケール(音階)」です。

「メジャースケール」とか「マイナースケール」などといいます。


「長調」は楽しく明るい調子、「短調」は暗く思い調子、というような印象ですが、スケールというのは、どのような音階を使っているのかを表わします。

「ドレミファソラシド」というのはスケールのひとつで、「ド」を基準音(つまり「キー」)とした「音階(ここでは「メジャースケール」)」となります。

あまり詳しくはありませんし、言葉での説明も難しいですが、基準音の「ド」から1オクターブ高い(あるいは低い)「ド」の間でどのような音を使っているのか、というのが「スケール」です。

ピアノの鍵盤を思いうかべるとわかりやすいかもしれませんが、「ド」から1オクターブ高い「ド」まで、白い鍵盤と黒い鍵盤は合わせて12個あります。

このうちの白い鍵盤の音のみを使ったのが「Cメジャースケール」です。

スケールにもいろいろあります。


先の「サウンドチューニングトレーニング」がキーを合わせるトレーニングとすれば、(今のところ名前しか知らない)「サウンドウェーブチューニング」というトレーニングは、スケールも合わせるトレーニングのような気がします。

いや、「耳コピ」の方が近いかもしれません。


話し手の「キー」と「スケール」に合わせて、聞き手がハモると、話し手はさらに歌いやすく(話しやすく)なるのではないでしょうか。

ジャムセッションなどもできそうです。


わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

2012/12/13

2012年の振り返りと2013年の目標設定

12月も中旬になり、2012年も終わりに近づいてきました。

現在、仕事では振り返りのためバタバタとしております。

今までの振り返りというものが、かなりアバウトなものであったことを痛感しております。

PDCAサイクルが大切だ、と頭ではわかっていて、人にもよく言うことがあるのですが、自分自身まだまだできていないということを再認識しています。


そんなこともあり、昨年末に1年の振り返りをブログに書いたことを思い出しました。

ちょっと早いですが、来年の目標や計画をしっかりと考え実行するという意味で、今年の振り返りを行ないたいと思います。


まずは、昨年末のブログ記事を確認。

昨年2011年から始めたこととして、大きく3つのことを書いています。


ひとつ目は「マラソン」について。

記事を書いた時点では、2つの目標があります(「目標」という言葉は出していませんが…)。

「フルマラソン完走」と「フルマラソン4時間切り」です。

フルマラソン完走については、評価を迷うところ。

昨年末の記事に書いているように、今年3月に初挑戦しましたが、リタイア…(「フルマラソン挑戦」参照)。

膝を悪くしてしまいました。

そして今から1ヵ月ほど前の11月に再挑戦し、歩きながらですが何とか完走(「フルマラソン感想」参照)。

今年のフルマラソン挑戦はこの2回ですので、当然「フルマラソン4時間切り」は達成ならず。

また、完走したといっても歩きながらですので「フルマラソン完走」は△としたいと思います。

来年2013年の目標は、「歩かずにフルマラソン完走」。

現在の状況で歩かずに完走できれば、おそらくは4時間半から5時間くらいのタイムになるかと思いますので、タイムとしては「4時間半切り」を目指します。


ふたつ目は「笑顔のコーチング」について。

目標として「笑顔のコーチングの実施」を挙げています。

こちらは達成。

10月8日に「笑顔のコーチング」を、様々な方々のご協力のもと開催することができました(HelloDreamのイベント報告ページを参照)。

今思えば、実施したことをブログに書いていないですね…。

実施すると決めたことは書いていました(「「笑顔のコーチング」開催への第1歩」参照)。

さて、来年も実施したいと思いますが、目標としてはどうするか。

数値的な目標としてパッと思いつくのは開催回数、そして、参加者の人数が思いつきます。

今年はデビューということで、笑顔のコーチングのファシリテータやわもん関係者のご協力により思っていたよりも多く、16名の方々にご参加いただくことができました。

現実的には今年ほどは集まらないと思うので(と、こんなことを書くと実際に集まらないよ、と、わもん関係者には言われそうです)、来年の目標は、年2回開催、参加者合計人数25人以上(延べ人数)としたいと思います。


そして3つ目は、「わもん」について。

今年はひとつの通過点として、わもん黒帯初段となりました。

これもブログに書いていませんね…。

それはともかく、今年は黒帯初段ならば、来年は2段へ、というのがすぐに思いつきます。

ただ、今の心徒塾のレベルからすると、早ければ年度内にいけるような気もします。

(他力本願が入っています。)

しかし、3段となると予想がつかず…。

何となく、2段と3段の間のステップが、2013年の目標としてはいいような気がします。

2段でしたら、たしか白帯心徒塾開催が可能だったと思いますが、こちらも現状想定できず…。

なので、今のところは「黒帯2段」を目標に。


ひとまず、現時点での来年の目標は以下。
  • 4時間半以内でフルマラソンを完走している。
  • 笑顔のコーチングを2回以上開催している。
  • 延べ25人以上に笑顔のコーチングを広めている。
  • わもん黒帯2段になっている。
次に考えるのは、実行計画です。

2012/12/11

わもんな言葉20-教化より感化

「教化」と「感化」、それぞれを手元の国語辞典でひいてみると以下の意味が載っていました。
【教化】(名・他サ)教えて感化すること。
【感化】(名・他サ)知らず知らず・いい(悪い)ほうに変化させること。

見出し語とその意味の間には、(名・他サ)という略号があります。

「名」というのは「名詞」、「他サ」というのは、「他動詞・サ行変格活用動詞」という意味です。

「教化」「感化」という語は、名詞としても扱われますし、動詞「する」を伴って「教化する」「感化する」というように動詞としても取り扱われます。

「教化する」「感化する」はどちらも他動詞で、文を作るときには目的語を伴います。

例えば、「国民を教化する」「国民を感化する」というように、「~を」という目的語を伴います。


さて、「教化」「感化」ともに「教・化」「感・化」というように、「教」「感」それぞれに「化」(接尾辞?)をつけた語です。

これら「教」「感」は、動詞としては「教える(あるいは、教わる)」「感じる」となります。

「教化する」「感化する」と「教える(教わる)」「感じる」の関係を考えてみると興味深いことがわかります。


先に「国民を教化する」「国民を感化する」という例を挙げましたので、そこから考えてみましょう。

「国民を教化する」で「教える」のは誰でしょうか?

ここでは表示されていませんが、「教える」という行為をする人は「国民」ではありません。

「国民を教化する」というのは、誰かが「国民」を(に)教えて変化させる、という意味です。


では、「国民を教化する」の「教」を「教わる」と考えてみましょう。

そうすると、国民が教わって変化する、という意味になります。


同じように「国民を感化する」という例ならば、国民が感じて変化する、という意味になります。


構造的に対になるように解釈するならば、「国民を教化する」は「国民が教わって変化する」、「国民を感化する」は「国民が感じて変化する」。


「国民が教わって変化する」よりも「国民が感じて変化する」の方が、何となく国民の主体性が感じられます。

自ら変わった、という意味合いが強く感じられます。


「教化より感化」というのは、相手を変えようとするのではなく、自然に変わってもらうことです。


以下は、株式会社わもんのHPからの引用です。
わもんが目指しているもの
「人を動かす」から「人が動き出す」ことを目指しています。
徹底して聞きこむことで、相手の中にある答えを自然と見つけ出します。
そのとき、相手は自らの答えを理解納得して自ら動き出すようになる。
そして、究極は動き出すから走り出すへ。

わもん -聞けば叶う

2012/12/09

わもんな言葉19-他者理解は自己理解

今回は趣向を変えて、本の引用ではない「わもんな言葉」です。


心徒塾の帰りの電車の中で、やぶちゃんと常ちゃんと私の3人で話をしていたとき、「型」についての話題がでてきました。

話の聞き方について型がない、ということだけでなく、心徒塾の進行でのやり方にも型がない、という話です。


その際、最近ブログか何かで読んだ話を思い出しました。

「型のない人というのは『かたなし』で、型はあるけれどもその型にとらわれないのは『型破り』だ」

という内容。


家に帰ってからどこで読んだか確認すると、ブログには違いないけれども、ツイッターの内容でした。
Twitterブログ:週間リツイート(RT)ランキング(11月29日から12月5日)

先日、中村勘三郎さんがお亡くなりになり、その勘三郎さんのおっしゃっていた言葉のようです。

「守破離」という言葉を思い出します。


思うに「型」というものは、最初から存在していたわけではないと思います。

先人の方々が磨き上げてきたものが「型」ではないかと。

歌舞伎のことはよく知りませんが、歌舞伎の型は先人達の何らかの思いがあり芸を磨いてきた結果生まれたものという認識です。


ならば、「型」は守るだけではならなくなります。

磨き上げていた思いがあるならば、現在ある「型」をそのまま「型どおり」にするのではなく、現在ある「型」を磨き上げていくことが本当の「型」ではないかと。

そして、試行錯誤の過程にあるのが「型破り」ではないかと。


こんなことを考えているときに「枠」も同じだなあと思いました。

何らかの試行錯誤(あるいは1回のみかもしれませんが)の結果、「枠」ができる。


「型」ならば何らかの意図が含まれているように思いますが、「枠」はどうでしょうか。

何となく、「枠」と聞くと、形骸化しているように響きます。

そして、「枠」はなかなか気付かないものです。


では、「枠」に気付くにはどうすればいいか。


それには、「他者を理解すること」が一番だと思います。

自分と他者の違い、それが「枠」だと思います。

それを他者の「枠」ととるか、自分の「枠」ととるか。


わもん -聞けば叶う

2012/12/07

為政第二・12「子曰、君子不器」

久々の「論語」です。

書くたびに「久々の…」がついているような気がします(^-^;)

君子は器ならず

短い言葉だけに、いろいろと解釈できそうです。


加地伸行さんの『論語』(講談社学術文庫)の訳は、
教養人は一技・一芸の人ではない。〔大局を見ることのできる者である。〕
また、注として、
器物を「特殊の用に役立つのみ」とせず、技術的・実用的・日常的なこととし、君子はもっと精神的・内面的であれとする解釈がある。
とのこと。

齋藤孝さんの『現代語訳 論語』では、
君子は、何かを入れる器ものでない。(そんな固まったものではなく、もっと自在な存在だ。)

『漢字源』の「器」の項を見ると、用例として「君子不器」を挙げた上で、
こまごました実用にだけ役立つもの。
とありました。


この為政篇とは異なる公冶長篇にも「器」がでてきます。
子貢問いて曰く、賜や何如、と。
子曰く、女(なんじ)は器なり、と。
曰く、何の器ぞや、と。
曰く、瑚璉なり、と。
子貢が孔子に「私はどうでしょうか?」と問います。

すると孔子は「お前は器だ」と。


私の中では、「器」というのは「肩書き」とか「役割」のようなイメージです。

論語の中で似た言葉を探すと、「位(くらい)」です。

別の言葉でいうと「外見」。


というわけで、私は、加地伸行さんの『論語』(講談社学術文庫)の注にある解釈を取りたいと思います。

感覚だけで選んでいるので、この解釈が正しいのかどうかはわかりません。



日本語で読みたい『論語』と言える。『論語』を通読するには一番適していると思う。

2012/12/02

日々是好日

先日、「読書のすすめ」という本屋さんの店長、清水克衛さんの以下のブログ記事を読んで本を注文しました。
清水克衛の日々是好日「構え」

購入した本は、記事の中で紹介のある、森信三(著)『一生の羅針盤』です。

昨日、手元に届きました。

恥ずかしながら、森信三先生のことは最近になって知りました。

初めて名前を聞いたのは、『心徒塾』に参加してからなので、ここ1、2年のこと。

それまでにも聞いたことがあるのかもしれませんが、記憶にはありません。


最近になって森信三先生のことを耳にして、そうなってくると本屋さんへ行くと森信三先生の名前が書かれた本が目に飛び込んで来たり、と。

関心事のひとつになっていました。


そんな中に、冒頭のブログ記事。


まずは、「構え」という言葉に魅かれます。

似たような意味の言葉として「姿勢」とか「格好」という言葉がありますが、「構え」というと、何かしらに集中して待ち受けているような感じがして好きです。


そして、記事中の「一般書店には置かれていない本」。

「限定品」とかに弱いのかな(^-^;)。


値段も手ごろなので、森信三さんのことを知る最初の一歩となるか、と思い、購入。


で、手元に届いたのですが、実はまだ読んでおりません。

が、購入してよかったと思いました。


その理由は、この本には特別付録として森信三先生講話「肉声CD版」が付いていたからです。

CDの内容は、卒業を前にした中学生に向けた講話で、森信三先生73歳のときの肉声とのこと。

話をしている相手の中学生に向けた、力強く、芯が通った、それでいてやさしい感じの話し方。

これはいい。

既に4、5回聞いています。


内容は…耳が痛い(> <)

「人間として最低守らねばならぬ具体的なこと」として次の3つが挙げられています。
  1. 人に出会ったら必ず自分の方から挨拶をすること
  2. 親に呼ばれたら必ず「はい」ということ
  3. 履物をうちで必ず揃えて脱げること
できているか、できていないか、と問われれば、できていません…。

禅語の「照顧脚下」あるいは「看脚下」という言葉を思い出しました。