荘子に『胡蝶の夢』という話があります。
私はなぜかこの話が好きです。
『胡蝶の夢』とは、次のような話。
荘周が夢を見て蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所、夢が覚める。
果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、
あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。
残念ながら、老荘の思想について詳しくないため理由を書くことができませんが、この話は荘子の思想をよく伝えているといわれています。
夢の中では壮周が蝶だった。
目が覚めたら壮周がいた。
ひょっとすると蝶が壮周になっている夢を見ているのではないか。
「自分」や「私」という存在は、非常に危うい存在ではないかと思います。
カフカの『変身』のように、目が覚めると虫になっていたりしたら、
それでもやはり「私」でしょうか?
「私」や「自分」とはなんでしょうか?
本当に崩されてしまうと跡形もなくなってしまいそうですが、自我を揺るがすスリルが好きなのかもしれません。
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