2014/03/20

わもんな言葉70-わもん花縁

先日、「わもん花縁」に参加しました。

副題は「輝くあなたに出逢うフラワーセラピー」

わもん仲間のみかちゃんが講師です。


普段、花を愛でることもなく、こんな機会でもなければ一生、生け花をすることもなかったと思います。


さて、わもんと生け花の関係は何か、と考えているとき、多田道太郎『しぐさの日本文化』所収の「いけばな」と題されたエッセイを読みました。

その一節。
いけばなは、日本人の身振りの転換したものである。異論があるかもしれないが、私はそう思っている。床の間のいけばなを見ると、私はそれをいけた女性の、ふだんは表現しようと思っても表現できない微妙な彼女のしぐさをそこに見るのである。あるいはそこに「読む」のである。
女性に限らず男性でも、普段は表現しないできないしぐさはあります。

そういったしぐさを生け花という目に見えるかたちに託してみる。

そして生け花を見る人は、生けた人のしぐさをそこに見ます。

あるいは読みます。


また、同書所収の「つながり」というエッセイには、以下の文章もあります。
いけばなは人と人をつなぐ。これが私の考えである。女は物言わぬがよし、と古来されてきている。その物言わぬ存在が、いけばなに自らを託すことによって、人と人とをつなぐ強力な媒体となりうる。物言う客と主人とをつなぐことで、物言う人びとよりも、もっと意味深いことを言う、そういう存在になる。

「わもん花縁」参加後、参加メンバーで話をするなかで、「『壁打ちわもん』だね」という共通する意見がありました。

生け花が壁となり、生けた人と見る人をつなぐ。

あるいは、生けた人と自分をつなぐ。


『しぐさの日本文化』の中では、「しぐさ」とは「抑制のきいたゼスチャア」「舞台の上での身振り」としています。

壁打ちわもんをするときには、普段の自分を抑制した話し方をします。

生け花にも聞き方のコツがあるように思います。


そして、生け花を媒介として、生けた自分と輝く自分が出逢ったとき、その生け花も輝いているような気がしてなりません。


しぐさの日本文化 (講談社学術文庫)
しぐさの日本文化 (講談社学術文庫)

聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/03/14

わもんな言葉69-人が走り出す

以前より「『(ら)れる』のコーチング論」ということを考えています。

やぶちゃんに出会う前からです。

このブログの未完了記事のひとつ(^-^;)

今思うと、言語の中の「離我」を捉えようという試みだったと思います。


「『(ら)れる』のコーチング論」というのを大まかに言うと、日本語の助動詞「(ら)れる」の4つの意味「受身」「可能」「尊敬」「自発」を統一的に扱えないか、そして、その統一的な構造をコーチングに応用できないか、というものです。

冒頭でも述べましたが、今のところ未完です。


そんな中で、「わもん」のことを知り、「離我」という言葉を知りました。

そして、最近、以下の文言がヤブログにアップされました。
『やぶちゃんのSNS(そう・なれば・すごい)』
■人を動かす→人が動き出す→人が走り出す

ここに表現されていることと「『(ら)れる』のコーチング論」はつながっているのですが、まだ人に上手くは説明できない状態です。

以下、「『(ら)れる』のコーチング論」のことは脇に置いて、「人を動かす→人が動き出す→人が走り出す」を見ていきたいと思います。


「人を動かす」「人が動き出す」「人が走り出す」。

最初の「人を動かす」と、後の2つ「人が動き出す」「人が走り出す」は、主語が異なります。

「人が動き出す」「人が走り出す」では、主語は「人」です。

「動き出す」「走り出す」のは、主語である「人」。


一方「人を動かす」では、主語は省略されていますが、「動かす」のは文中に現れている「人」ではありません。

「(私が)人を動かす」「(誰かが)人を動かす」です。

主語を「私」としたとき、「私が人を動かす」となります。


「私」が離れて、「人」が主役になることで、「人が動き出す」「人が走り出す」。


「『(ら)れる』のコーチング論」で考えていることは、ここの仕組みです。


(興味がある方は以下もご参照ください)



聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/03/08

わもんな言葉68-アトラクション

「やぶちゃんジェットコースター」〔仮称〕というアトラクションが始まりました。

皆がやぶちゃんに乗り込み、急激に深いところへ降りていくアトラクション。

しっかりとつかまっていなければ飛ばされてしまいます。


まずは、話し手自身が自分で潜れるところの最深部へ、やぶちゃんがグンと潜ります。

それにつられて、話し手も、そして周りの人も一緒に潜ります。

話し手自身は自分で潜れるところなので、簡単に(とはいいませんが)潜ることができて、そこから先は聞き手であるやぶちゃんとともに潜っていくことになります。

しかし周りの人は自分とは異なるスピード、深さで潜ることになるため、しっかりとつかまっておかなければならない、というイメージです。


日本語でアトラクションというと催し物とかイベントのような意味合いがありますが、もともとの英語 attraction にはそのような意味はありません。

attraction とは、「魅力」とか「引力」という意味です。

そして、attraction の元となっている動詞 attract は、「引きつける」「引き寄せる」という意味です。


やぶちゃんの潜るスピードに、しっかりつかまって飛ばされないようにするアトラクション。

もちろん、やぶちゃんが引きつける魅力、引力もあるのですが、やぶちゃんは話し手の理想像にロックオンして、そこに引きつけられているだけ。

最大の引力は話し手にあります。

物理学において、ある力学系が時間的に発展し向かっていく先のことを「アトラクター(attractor)」といいます。

話し手のアトラクターにやぶちゃんが引き寄せられ、そして周りも引き寄せられます。


想像を膨らませると、話し手のアトラクターに引きつけられるといえども、やぶちゃんも周りの人たちもそれぞれアトラクターがあります。

話し手のアトラクターへと近づくためには、聞き手が動くしかありません。

万有引力の法則は人間にもあてはまります。

互いに引き合う力が大きい方が、スピードが速くなりますが、話し手に速く近づくには、聞き手がその場に止まろうとする力を極力小さくする必要があります。

それが、自我を捨てること、自我を離すことに関連しているのではないかと思っています。


さらに想像を膨らませると、話し手のアトラクターに、聞き手のやぶちゃんや周りの人たちのアトラクターが混ざることにより、「ストレンジ・アトラクター」となるかもしれません。

初期値敏捷性をもつカオス的な力学系でのアトラクターのひとつが「ストレンジ・アトラクター」です。

蝶の羽ばたきが嵐となる可能性を持っています。


「アトラクション」に参加したときには、自分を忘れてアトラクターに飛び込んでいくことで楽しみや気付きを得ることができるのではないかと思います。


(注)物理学やカオス理論について、多大な解釈が加わっております。ご容赦ください。


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門

2014/03/01

わもんな言葉67-JAPANツアー

1/23の「聞くライブ!ファーストステージ in 広島」を皮切りに、3月より「わもん聞くライブ 2014JAPANツアー」が次々と開催されていきます。

ふと「ツアー(tour)」は日本に訳すと何だろう、という疑問が浮かびました。

ぱっと思い浮かぶのは「旅行」ですが、「旅行」とすると、今度は「トラベル(travel)」との違いも気になってきます。


取り急ぎ英和辞典で tour を引くと、原義として『「円を描く道具」→「一周」』と載っていました。

turn とも関係があるようです。


確かに、ツアーと言えば、どこかに行って帰ってくるというだけではなく、各地を巡るというようなイメージがあります。

トラベルといえば、どこかに行って帰ってくるときにでも使えそうです。

ツアーの訳語として、「旅行、周遊旅行」「巡業、遠征」などが載っていました。

「JAPANツアー」というときのツアーに近い訳語は「巡業」ですかね。


「ツアー」と「トラベル」の違いとしてもうひとつ思ったことは、「ツアー」は複数人で行くということです。

「トラベル」ならば一人で行けそうですが、「ツアー」は団体で行くイメージです。


とすると、今年全国を巡る聞くライブは、やぶちゃん一人で巡るわけではなく、わもん関係者も一緒に巡る「ツアー」ということになりますね。


聞けば叶う〜わもん入門
聞けば叶う〜わもん入門