2017/03/28

「元」のもと、「本」のもと

「本」という漢字も、「元」という漢字も、どちらも「もと」と読める。

「もと」と読んだときには同じような意味に思えるのに、「本(ホン)」「元(ゲン)」とすると違う意味に思える。

「本気」と「元気」は違う。

手元の国語辞典でのそれぞれの意味は以下であった。

【本気】
〔いいかげんやじょうだんではなく〕まじめな気持ち。

【元気】
Ⅰ①心やからだの活動のもとになると考えられる力。②「元気①」のあらわれた状態
Ⅱ①健康。②「元気Ⅱ①」であるようす。

元気の意味をⅠとⅡに分けているのは、品詞の違いがあるためである。Ⅰは「名詞」として、Ⅱは「形容動詞」として掲載されていた。「元気がある」といえばⅠの意味で、「元気な(人)」といえばⅡの意味で使う。

本気の方は「名詞」と「形容動詞」が併記されていた。

「元気がある」とはいうが、「本気がある」とはあまりいわない。

「元気な人」はおかしくないが、「本気な人」はどうだろうか。「本気の人」という方が多いような気がする。

「本気になる」というと「まじめになる」というような意味で、「元気になる」というと「健康になる」という意味である。「元気」がありのままだとすると、「本気」は集中したような印象を受ける。「元気を出せ」というと励ましとなるが、「本気を出せ」というと叱咤激励のような感じになる。

漢和辞典で調べると、「本」という漢字は指事文字で、「木の根の太い部分に-印や・印をつけて、その部分を示したもので、太い根もとのこと」とあった。一方、「元」という漢字は象形文字で、「兀(人体)の上にまるい・印(あたま)を描いたもので、人間のまるい頭のこと。頭は上部の端にあるので、転じて、先端、はじめの意となる」である。指事文字とは、絵としては描きにくい一般的な事態を、抽象的な約束や印であらわした字で、象形文字は事物の形を描いて簡略化した絵文字であることから、「元」の方は具体的なもので、「本」の方は抽象的なのかもしれない。

真空

「真空」とは真に空の状態のことで、一般的には空気のない状態のことを意味している。

おそらく古の人々は、何もないという意味で空(そら)に空(くう)の字を当て表現していたのであろうが、空気やその他の、目に見えないものが存在し、それを知ることによって真に空、つまり「真空」という呼び名が生まれたのだと想像する。

人は言葉によってものごとを考え、また他人に伝達し、その世界の把握に役立てているが、その原理とは、ものごとに名を与え、自分自身で制御できる範疇に取り込んでいくということであろう。


しかし、何もない、虚無に名を与えると、それがあたかも存在するように扱ってしまうということがある。

たとえば、「無」という言葉。知らず知らずのうち、「そこには無が存在する」ということがある。「無」というものがあたかも存在しているように錯覚してしまう。

何も存在しないものに名前をつけるなということではない。存在しないものに名前をつけないでいると、世界の大半のものが失われる可能性がある。

ただ、そのことに自覚的でいたいと思う。

真空は何もないために、その状態がポツンとあるわけではない。少なくとも地球上では何らかの物質で場所が占められ、真空は瞬く間になくなってしまう。

2017/03/27

言語観

ものにはなっていないが、学生時代は言語学を勉強していた。特に文法、言語学の分野でいうと統語論に興味をもっていた。

国語の文法の授業では、品詞やら活用やら、嫌いではなくむしろ好きだが、普段何気なく使っている日本語がとても複雑に思える。英語の授業では、第五文型やら仮定法やら、日本語で考えるととてもおかしな、面白い表現などたくさんあった。英語をしゃべりたいとは特に思わなかったが、英語の文法は面白いと思った。そして日本語の文法も。

大学に入ってから、言語学という学問があり、統語論という分野があることを知った。そして、「普遍文法」という考え方があることも知った。

英語も日本語も、人間が話す言語である。同じ人間が話す言語なのに、どうしてこんなにも表現が、文法が異なるのか。この問いに答える考え方のひとつが「普遍文法」である。

人間は「普遍文法」を持っている。しかし、その「普遍文法」にはいくつかのパラメータがあり、そのパラメータが異なることで英語と日本語の違いが生まれる、といった考え方。
ノーム・チョムスキーの『原理とパラメータの理論』である。私が知っている限りでは、チョムスキーの理論はさらに進み、『ミニマリスト・プログラム』という名となっている。今はもっと進んで、さらに変わっているかもしれない。

それはともかく、「普遍文法」あるいは言語の青写真というべきものを人間が持っていて、言語獲得の過程でパラメータが設定されていくという考え方は面白く感じる。

言語能力が先天的な能力なのか後天的な能力なのかはまだ意見がまとまっていない。

ただ人間が言語能力を有していることはいえる。そして言語能力は、認識能力ともつながっていると思っている。

世の中をどのように認識しているかという世界観は、言語観とつながっていると思う。

2017/03/26

時間の言語学

瀬戸賢一さんの『時間の言語学』を読んだ。少し悔しい。というのも、時間の表現について興味深いと思っていたにもかかわらず、深く考察していなかったからである。




『時間の言語学』では、未来から過去へ《動く時間》と、未来に向かって《動く自己》を想定する。そして《動く時間》と《動く自己》は矛盾しない。

時間の〈流れ〉のメタファーを捉えきれていなかったことが悔しい。

本書では、時間のメタファーとして〈流れ〉の他に〈時間はお金〉のメタファーがあるといい、さらに、「持続可能な定常経済を構築すべき時期」として、それにふさわしい新たなメタファーが必要であるとする。

そのメタファーとは、〈時間は命〉というメタファーである。「時間は円環する命」と提案する。

時間は抽象的な概念であり、それを表現するのに空間的な言葉を使う。空間的な言葉で時間を把握する。

メタファーは人間の思考能力の重要な要素であり、私が言葉に興味を持つのもそれが理由である。

2017/03/25

キョロック!

久々にチョコボールを買う。金のエンゼルがいないかと楽しみに開けたがいなかった。

代わりに(ではないが)、エンゼルがいるべきところに、今まで見たことがない切れ込みが入っていた。


「キョロック!」というらしい。くちばしを差し込んでロックできる機能である。


チョコボールは50周年。キョロちゃんは永遠の(?)5歳。箱やくちばしにもまだまだ可能性がある。


森永製菓│チョコボール