2017/08/12

帰省の規制

大阪から名古屋に引越して、少し不便に思うことのひとつが帰省である。実家は愛媛なので、大阪からに比べると、名古屋はさらに遠くなったということもあるが、それとは別に、指定席の予約が面倒になったことが大きい。

帰省には鉄道を使う。実家は愛媛の鬼北町で、宇和島市の隣である。名古屋から新幹線で岡山まで行き在来線に乗り換え、岡山から特急で松山まで、そして松山で特急を乗り換えて宇和島まで行く。

名古屋から宇和島まで、うまく乗り継いでいくと6時間強。ドアtoドアだと約7時間である。飛行機を使うと1時間ほど早くはなるが、料金が2倍ほどになり、飛行機の本数や荷物の制約などを考えると倍の値段を払うメリットが少ない。

なので帰省には陸路を使う。だいたい盆と正月に帰省するので、新幹線や特急の指定席を取りたい。盆と正月以外なら自由席でも座ることができるだろうが、盆・正月は帰省ラッシュの時期であるため自由席は座れないだろう。岡山、松山は特急の始発駅であるため早く並べば座れるが、暑い中(あるいは寒い中)並ぶのは避けたい。また6時間も立って移動することも避けたい。

大阪に住んでいたときも同じように新幹線と特急を乗り継いで帰省していた。インターネットから新幹線と特急の指定席を予約し、帰省の当日に往復乗車券の購入と予約した指定席の特急を受け取っていた。予約には、JRおでかけネットの「e5489」サービスを利用していた。

ところが、「e5489」サービスはJR西日本が提供しているインターネット予約サービスであり、JR東海の管轄である名古屋では切符の受け取りができない。

インターネットではなく、みどりの窓口に行けば予約購入はできるだろうが、そのために出かけるのも億劫だし、何かのついでに考えていると忘れてしまう。もし変更があった場合も窓口に行かなければならない。

JR西日本、JR四国の指定席の予約ができて、JR東海圏内の駅で受け取ることができるサイトをざっと探してみたが見つからない。旅行会社のサイトを探してみた方がよかったかと思うが、まだ探していない。

そんな理由で、名古屋に移ってからは次のように指定席を予約している。岡山から宇和島まではこれまでのようにJRおでかけネットで、そして新幹線はEX予約で予約する。

そして、岡山で予約した特急券を受け取る。

2017/08/09

幻想的な風景



保育園か小学校低学年のころ初めて飛行機に乗った。福岡から松山への飛行機だと思っていたが、大人になってから親に聞くと、名古屋から松山ではないかという。曖昧な記憶である。

飛行機にはあまり乗ったことはない。大学を卒業するまでに飛行機に乗ったのは、冒頭のたった1度きりである。子供のころに飛行機に1度だけ乗ったことがあるという記憶と、そのときに見た景色の記憶だけが残っている。

その景色の記憶も曖昧である。曖昧ではあるが、はっきりともしている。

自分の記憶を信じきることができていないだけだ。

記憶に残っている景色というのは、飛行機の窓から見た景色で、空から地上を見下ろした風景である。

そこで見たのは、日本地図だった。地図で見た日本の地形が地上にあった。「日本地図で描かれている日本と同じ形をしているなあ、すごいなあ」としばらく見入っていた。

しかし大人になってから、2度目飛行機に乗ったとき、記憶があやしくなった。2度目に乗ったのは東京・大阪間の飛行機だったのだが、眼下に見下ろす景色は海と陸は見えるものの、日本全体は見えなかった。子供のころに乗ったときは、日本全体が見えたのに。

よくよく思えば、飛行機が空高く飛んでいても、日本全体が見えることはないと思う。国際便だとありえるかもしれないが、乗ったのは福岡・松山間、もしくは名古屋・松山間で、日本全土が見える高さまで高く上がるとは思えない。東京・大阪間でも日本全体は見えなかった。

おそらくは誤って記憶した風景なのだろうとは思う。飛行機に乗って空から地上を見下ろしたという経験と、上空から日本全体を描いた地図が合わさった記憶なのだと思う。

しかし、子供のときの視野は日本全体が見渡せるほど広かったのだ、という考えも捨てきれてはいない。

飛行機に乗るとき、とくに窓際の席になったときは、必ず窓から外を眺める。

もう1度、日本地図が見えないかと確認する。

夕方発の飛行機。厚い雲の向こうに夕日が沈みゆくのが見えた。そして雲の隙間から地上を見ると夜景が広がっていた。日本全体は見えない。

ただ、空の方が、日本より遥かに広いということを実感した。

2017/07/28

「しぐさ」から漂う意味

「ことば」と「しぐさ」を漢字で書くと、「言葉」「仕草」になり、どちらにも植物に関係する漢字が使われている。言葉は「葉」、仕草は「草」。「しぐさ」を「仕種」と書くこともあるようだが、こちらにも「種」という漢字が使われている。

「言葉」の由来は、「言(こと)の端(は)」で、「端」の代わりに「葉」が使われたということは知られている。しかし、「仕草・仕種」についてはよくわからない。ネットで検索してみると、出典は明らかではないが、「由来メモ│「しぐさ(仕種・仕草)」 の由来」に次のようにあった。
「し」は「する」の変化形で「仕」は当て字、「くさ」は種類のことを意味するために「仕種」と書くようです。
「し」は「する」の変化形で「仕」は当て字であることは想像がついていたが、「くさ」は種類のことを意味するというのは初耳であった。「種」を「くさ」と読むことは稀であると思うが、なくはない。たとえば、名古屋には「千種(ちくさ)」というところがある。

WEB上の辞書で「種(くさ)」を引いてみると、次の意味が載っていた(Weblio辞書より)。
くさ 【種▽】
一 [2] ( 名 )
①(「草」とも書く)何かを生ずる原因・材料。たね。多く「ぐさ」と濁り,複合語として用いる。 「質-」 「語り-」 「お笑い-」
②種類。たぐい。 「唐土・高麗と尽したる舞ども-多かり/源氏 紅葉賀」
二 ( 接尾 )
助数詞。物の種類を数えるのに用いる。 「三-ある中に,梅花ははなやかに今めかしう/源氏 梅枝」

「しぐさ」を漢字で「仕種」と書くのは、「くさ」が種類のことを意味するためである。このときの「くさ(種)」の意味は、上記辞書では②にあたる。しかし、①の意味の方が近いかもしれない。「仕種」は「仕草」とも書くし、「ぐさ」と濁り、複合語として用いられているというところは当てはまる。もちろんどちらか一方が正解ということはなく、意味はつながっている。

また、これは勝手な思いつきだが、「くさ」は「くせ(癖)」につながらないだろうかとも考えた。一応、「くせ」もWEB上の辞書で引いてみたが、「くさ」と「くせ」が関係するような記述は見当たらなかった。「しぐさ」と「くせ」は似たような意味ではないかと思ったのだが。

ただ、「由来メモ│「癖(くせ)」 の由来」に、以下の記述があった。
「くせ」はその発音からも想像できるように「臭い」からきているというのだ。
いわゆるクサミのあるクサからきており、母音交替でクサがクセ となった。
「におい」に二つの漢字が存在しているのは皆さんもご存じであろう。

「匂い」と「臭い」である。

その二つの違いについては、人が好感を持てるものが「匂い」、逆に嫌悪感を抱くものが「臭い」である。
「くせ」についてはもちろん「くさい」というくらいだから後者の嫌悪感のほうで間違いない。
つまり他者からみて好ましくない点が「くせ」ということになる。

クサいしぐさより、草の香りの漂うような「仕草」を心がけたい。

2017/07/18

第15回小布施見にマラソン

先日(7/16)、第15回小布施見にマラソンに参加しました。

走るのは、昨年の小布施見にマラソン以来。。。

しばらく練習をしていないこともあり、膝が痛くなりそうになったら歩こうと決めて臨みました。


もともと、この「小布施見にマラソン」は記録を狙うような大会ではなく、大会名が表すように小布施を見ながら走るマラソンです(以下は「小布施見にマラソン」公式サイトからの引用)。
この大会は、速さを競うだけではなく、時には立ち止まり、小布施を見て、楽しみながら走る見に(ミニ)マラソンです。 「土手を行く 野道を駆ける 路地を走る」というコンセプトでコースをめぐりながら、小布施の町の人とランナーのみなさん、 ボランティアのご縁をつなぐ「縁走=えんそう」を楽しみましょう。
年間に町人口の100倍、120万人をお迎えする小布施町のONの道、おもての道ではなく、土手や野道、路地といった、OFFの道、 ふだん着の小布施に浸りながら走る21.0975キロです。

下はスタート前の写真です。



スマホの電池切れのため、途中の写真はありません。。。


半分以上歩いていますが、無事完走しました(^^)



沿道で応援していただいた方々、目を楽しませてくれた仮装ランナーの皆さま、大会をサポートしていただいた小布施の方々、ありがとうございます。

2017/07/12

バニラ・エアの出来事から考える

6月末、朝日新聞が「車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪」という見出しで、ある出来事を報道した。
鹿児島県奄美市の奄美空港で今月5日、格安航空会社(LCC)バニラ・エア(本社・成田空港)の関西空港行きの便を利用した半身不随で車いすの男性が、階段式のタラップを腕の力で自力で上らされる事態になっていたことがわかった。
その後、その車いすの男性が事前に連絡をしていなかった、などと、いわゆる「炎上」した。今は下火になっている。

ネット上での記事を読んだだけであるため、実際のところ、どのようなやり取り、経緯があったのかはわからない。ただ、様々なことを考えた。大きくは2つある。1つは表現方法と視点について、もう1つはコミュニケーションについて、である。

表現方法と視点については冒頭の見出しがわかりやすい例であると思う。見出しには「車いす客に自力でタラップ上がらせる」とある。主語は明示されていないが、あとに「バニラ・エア謝罪」と続いているので、「(バニラ・エアが)車いす客に自力でタラップ上がらせる」と読むことができる。しかし新聞記事の内容や他のサイトでの記事などからもわかるように、バニラ・エア側が「自力で上れ」と命令したわけではなさそうである。仕方なく自力でタラップを上ったというところであろう。

「(さ)せる」という助動詞は「使役」を表す。使役する人、される人という構図をイメージする。「車いす客に自力でタラップ上がらせる」という表現は、一見、車いすの男性側に立った表現に思えるが、記事内容等から見ると、バニラ・エアを悪者にしようという表現に見えてしまう。たとえば、「車いす客、自力でタラップ上がる バニラ・エア謝罪」という見出しだったらどうだろうか。

もう1つのコミュニケーションについては、憶測も混じっている。車いすの男性もバニラ・エア側も、もう少し歩み寄ることができたのではないかと思ったことである。車いすの男性(木島さん)が書いた記事(歩けない人は乗せれません! 2回目)を読むと、最初のやり取りから壁を感じたのではないかと思う。
階段の搭乗タラップの写真を見せられ、歩けますか?と聞かれ、歩けませんと返答したら「乗れません」の一言。
バニラ・エア側からこの状況を書いたものは見ていないので一概にはいえないかもしれないが、断る前、禁止する前に、バニラ・エア側から手を差し伸べるような一言、たとえば「どのような手助けが必要ですか」というような言葉がけがあれば、良かったのではないかと思う。

また、木島さん側も事前連絡をしていれば良かったのではないかとも思う。もちろん、事前連絡なしでも搭乗拒否などされないような世界が望ましい。しかし、まだそうなっていないからこそ「障害者差別禁止法」があり、木島さんもそのような差別をなくそうと活動している。事前連絡をしたのに搭乗拒否をされるようなことがあれば、それこそ大問題になるであろう。事前連絡をしなかったことが意図的なのか、非意図的なのかはわからないが、早めに手を打つに越したことはないと思う。

だからといって、双方悪いとは思っていない。終わった後で部外者だから何だかんだ言っているだけである。

私にとって大切だと思うことは、もし自分が当事者だったならばどんな態度でどんな行動をとるか、ということである。もし自分が木島さんの立場だったら、もし自分がバニラ・エアの立場だったら、もし第三者の立場でこの出来事に遭遇したら。

バニラ・エアの出来事は、様々なことを考えた出来事である。