2020/06/29

夏目漱石『虞美人草』のホトトギス

前回のつづき)

『虞美人草』におけるホトトギスの表記について。まずは該当箇所を引用する。
④27(『虞美人草』2の2)
「ぢや、斯んな色ですか」と女は青き畳の上に半ば敷ける、長き袖を、さつと捌いて、小野さんの鼻の先に翻へす。小野さんの眉間の奥で、急にクレオパトラの臭がぷんとした。
「え?」と小野さんは俄然として我に帰る。空を掠める子規の、駟も及ばぬに、降る雨の底を突き通して過ぎたる如く、ちらと動ける異しき色は、疾く収まつて、美くしい手は膝頭に乗つてゐる。脈打つとさへ思へぬ程に静かに乗つてゐる。
④233(『虞美人草』12の7)
「昨夕行つたつて?」と小野さんの眼は一時に坐る。
「ああ」
小野さんはああの後から何か出てくるだらうと思つて、控へてゐる。時鳥は一声で雲に入つたらしい。
「一人で行つたのかい」と今度は此方から聞いて見る。
「いいや。誘はれたから行つた」
甲野さんには果して連があつた。小野さんはもう少し進んで見なければ済まない様になる。
④27では「子規」、④233では「時鳥」が使われている。どちらも地の文で、実際のホトトギスの描写ではなく、喩えとしてホトトギスが登場している。

④27は、小野さんと女の会話の場面。ここではまだ名前が出ていないが、この女は藤尾である。④233は、小野さんと甲野さんの会話の場面。藤尾と甲野さんの違いが「子規」と「時鳥」の違いか、それとも「空を掠める」と「一声で雲に入」ったホトトギスの違いか。判然とはしない。

2020/06/28

夏目漱石「一夜」のホトトギス

前回のつづき)

夏目漱石「一夜」における、ホトトギスの表記を確認する。以下の引用箇所が該当する。引用は『定本 漱石全集 第2巻 倫敦塔ほか・坊っちゃん』より。

引用にあたり、繰り返し記号(「ゝ」など)は該当する文字に書き直している。またホトトギスの個所を太字にしている。引用文冒頭にある②133などの数字は、漱石全集第2巻の133頁という意味である。
②133
此時「脚気かな、脚気かな」と頻りにわが足を玩べる人、急に膝頭をうつ手を挙げて、叱と二人を制する。三人の声が途切れる間をククーと鋭き鳥が、檜の上枝を掠めて裏の禅寺の方へ抜ける。ククー。
「あの声がほととぎすか」と羽団扇を棄てて是も椽側へ這ひ出す。見上げる軒端を斜めに黒い雨が顔にあたる。脚気を気にする男は、指を立てて坤の方をさして「あちらだ」と云ふ。鉄牛寺の本堂の上のあたりでククー、ククー。
「一声でほととぎすだと覚る。二声で好い声だと思ふた」と再び床柱に倚りながら嬉しそうに云ふ。此髯男は杜鵑を生れて始めて聞いたと見える。「ひと目見てすぐ惚れるのも、そんな事でしよか」と女が問をかける。別に恥づかしと云う気色も見えぬ。五分刈は向き直つて「あの声は胸がすくよだが、惚れたら胸は痞へるだろ。惚れぬ事。惚れぬ事……。どうも脚気らしい」と拇指で向脛へ力穴をあけて見る。「九仞の上に一簣を加へる。加へぬと足らぬ、加へると危うい。思ふ人には逢はぬがましだろ」と羽団扇が又動く。「然し鉄片が磁石に逢ふたら?」「はじめて逢ふても会釈はなかろ」と拇指の穴を逆に撫でて済まして居る。
②140
「南無三、好事魔多し」と髯ある人が軽く膝頭を打つ。「刹那に千金を惜まず」と髯なき人が葉巻の飲み殻を庭先へ先へ抛きつける。隣りの合奏はいつしかやんで、樋を伝う雨点の音のみが高く響く。蚊遣火はいつの間にやら消えた。
「夜も大分更けた」
ほととぎすも鳴かぬ」
「寐ましよか」
夢の話しはつい中途で流れた。三人は思い思いに臥床に入る。
「ほととぎす」とひらがなで表記している箇所と、「杜鵑」と漢字で表記している箇所があった(以前ざっと確認したときには、漢字に気づいていなかった)。ここでの使い分けとして単純に考えられることは、会話文のなかでは「ほととぎす」、地の文では「杜鵑」としているということである。

「一夜」の初出は、雑誌『中央公論』第20年第9号(明治38年9月1日発行)で、雑誌掲載時には本文末尾に「(38年7月26日)」と記されていたとのこと(本来は日付等は縦書きのため漢数字で表記されているが、ここではアラビア数字としている)。その後、単行本『漾虚集』に所収。

 

2020/06/27

漱石のホトトギスの俳句(メモ)

前回のつづき)

漱石全集に載っている俳句より、「ホトトギス(時鳥、郭公、子規)」が使われているものを以下に挙げる。ホトトギスは夏の季語で、漱石がホトトギスを使った句ではそのほとんどが季語として使われているが、1219だけは季語ではない(1219の季語は「蚤」)。俳句の頭に付いている数字は、漱石全集第17巻での俳句の通し番号である。
明治22年
1 帰ろふと泣かずに笑へ時鳥
2 聞かふとて誰も待たぬに時鳥
明治25年
38 鳴くならば満月になけほとゝぎす
明治28年
160 時鳥あれに見ゆるが知恩院
190 時鳥たつた一声須磨明石
191 五反帆の真上なり初時鳥
192 裏河岸の杉の香ひや時鳥
193 猫も聞け杓子も是へ時鳥
194 湖や湯元へ三里時鳥
195 時鳥折しも月のあらはるゝ
196 五月雨ぞ何処まで行ても時鳥
197 時鳥名乗れ彼山此峠
299 時鳥物其物には候はず
300 時鳥弓杖ついて源三位
513 明け易き夜ぢやもの御前時鳥
明治29年
528 時鳥馬追ひ込むや梺川
819 さもあらばあれ時鳥啼て行く
857 国の名を知つておぢやるか時鳥
868 琵琶の名は青山とこそ時鳥
明治30年
1130 浪人の刀錆びたり時鳥
1184 郭公茶の間へまかる通夜の人
1185 蹴付たる讐の枕や子規
1186 辻君に袖牽れけり子規
1219 逃すまじき蚤の行衛や子規
明治33年
1807 京に行かば寺に宿かれ時鳥
1819 貧乏な進士ありけり時鳥
明治35年
1844 病んで一日枕にきかん時鳥
明治37年
1891 十銭で名画を得たり時鳥
明治40年
1955 時鳥厠半ばに出かねたり
全部で29句。内訳は「時鳥」24、「子規」3、「ほとゝぎす」1、「郭公」1であり、基本は「時鳥」であるといってもいいだろう。

「子規」「郭公」が使われている句が、明治30年に固まっているのには、なにかわけがあるのだろうか。俳句以外の例では、作成時期を考慮していなかったので、詳細を確認する際に合わせて確認したい。

漱石のホトトギスの漢字(メモ)

前回の続き)

漱石は「ホトトギス」の漢字をどのように使い分けていたのか。ひとまず、漱石全集から「ホトトギス」を抜き出してみよう。

こんなときに漱石全集が役に立つ。漱石全集の第28巻『総索引』から「ホトトギス」が掲載されているところを確認していく。俳句雑誌『ほとゝぎす』については別項目として取り扱われているので助かる。

『総索引』での「ホトトギス」の掲載箇所は以下であった。丸で囲んだ数字は巻数で、たとえば②133ならば第2巻の133頁に記載されているという意味である。
時鳥/郭公/子規/杜鵑/不如帰
 ②133、140 ④27、233 ⑯17、18、141、204
 ⑰526、季語 ⑱111 ⑳159 ㉒4 ㉔35 ㉖249
これらの個所をざっとメモしておく。

第2巻の133頁、140頁はともに「一夜」という短編内であった。表記はどちらも「ほとゝぎす」である。

第4巻27頁、233頁は『虞美人草』で、27頁は「子規」、233頁は「時鳥」。

第16巻の17頁、18頁は先日の「不言の言」の個所。17頁「杜鵑」、18頁「不如帰」。141頁は藪野椋十『東京見物』の序。「子規」が見える。204頁(203頁が正しいか?)は「創作家の態度」で、「時鳥」だが、蕪村の句「時鳥平城京を筋違に」について述べている箇所である。

第17巻は『俳句・詩歌』で、526頁は無題の俳体詩で、「ほとゝぎす」とひらがな。またホトトギスを季語とした俳句が多数掲載されているので、別に記載しようと思う。

第18巻111頁は漢詩。「杜鵑」と書いて、書き下し文には「とけん」との振り仮名。

第20巻159頁は明治43年7月10日付の日記。「不如帰」と「時鳥」があったが、「時鳥」の方は藤井節太郎の手紙の引用内。

第22巻4頁、明治22年5月13日付書簡。正岡子規宛の書簡で、俳句内に「時鳥」の漢字が使われている。第17巻にも同じ俳句が掲載されている。

第24巻35頁、大正2年5月18日書簡。大谷繞石宛の書簡。「子規」が使われている。

第26巻249頁、正岡子規の小説集『銀世界』の評。「ほとゝぎす」が使われているが、子規の本文「山桜かなほととぎす」への書き込みである。

俳句の季語を除いてざっと確認した。⑯204と㉖249は除外してもいいだろう。㉒4も俳句の季語として確認するときにあらためて確認できるので、ここでは省いた。

②133(ほとゝぎす)、②140(ほとゝぎす)、④27(子規)、④233(時鳥)、⑯17(杜鵑)、⑯18(不如帰)、⑯141(子規)、⑰526(ほとゝぎす)、⑱111(杜鵑)、⑳159(不如帰)、㉔35(子規)

さて、何か見えてくるだろうか。

俳句の季語を確認したあと、あらためて詳細を確認していこうと思う。

2020/06/25

流枕ワーク

漱石というペンネームは、中国の故事に基づくことは有名である。

ある人が「石に枕し、流れに漱ぐ」と言おうとして、誤って「石に漱ぎ、流れに枕す」と言ってしまった。それを聞いた人が間違いを指摘すると、「石で漱ぐのは歯を磨くため、流れを枕とするのは耳を洗うため」と間違いを認めず屁理屈をつけたという話で、偏屈であるとか、負けず嫌いであるとか、そんなことを「漱石枕流」というようになった。漱石というペンネームはここから来ている。

そこで、単なる思いつきだが「流枕ワーク」という言葉が浮かんだ。

ルーティンワークというのは手順が決まっている作業というような意味で、決まった動作をすることで、たとえば気持ちをリセットしたり、その日の状態を確認したりできるようなメリットがあるような意味で使われることもあれば、同じ作業の繰り返しでつまらないというような意味で使われることもある。

では「流枕ワーク」とはどんな意味か? 「枕流」ではなく「流枕」であることに注意されたい。「流れに枕す」ではなく「枕を流す」、つまり「流枕ワーク」とは「枕を流す作業」である。「たらちねの母」とか「あしひきの山」とかの「たらちねの」「あしひきの」という言葉を枕詞というが、枕を流すというのは「たらちねのタランチュラ」とか「あしひきのゴーシュ」とか言って枕詞を無視するようなことである。

つまりはこのブログ記事のように、「漱石枕流」を枕として、それとはあまり関係ないことを書くような作業のことを「流枕ワーク」という。

法華経と鳴かせてみたいホトトギス

漱石の「不言の言」と題する小論がおもしろかった。

「不言の言」は、雑誌『ほとゝぎす』の第2巻第2号・第3号(明治31年11月、12月)に掲載されている文で、次のようにはじまっている。
「ほとゝぎす」なるものあり。一日南海を去って東都に走る。
『ほとゝぎす』は明治30年(1897年)、四国松山で創刊された俳句文芸雑誌であるが、翌年(明治31年、1898年)には、発行所が松山から東京に移った。それをふまえての文である。漱石自身は「糸瓜(へちま)先生」を名乗り、冗談混じりで論を進めていく。「不言の言」は、全体的には、俳句と英詩を比較した小論である。

そのなかで、次のように書かれていた。「杜鵑」は「ホトトギス」と読む。
杜鵑鳴て雲に入る。観音で耳をほらすも行燈を月の夜にするも彼の知らぬ事なり。但吾に杜鵑の好音なし。寧ろ糸瓜の愚を学ばんか。書して之を「ほとゝぎす」に質す。「ほとゝぎす」曰く法々華経。
信長、秀吉、家康の3人の天下人の性格を表す句で、ホトトギスが鳴かぬなら「殺してしまえ」「鳴かせてみせよう」「鳴くまでまとう」というものがあるが、漱石は「法々華経」と鳴かせているのがおもしろい。石に漱ぎ流れに枕する漱石の面目躍如といったところである。

3人の天下人のホトトギスの句は、本人が自身で作った句ではなく、Wikipediaによると、江戸時代後期の平戸藩主松浦清(松浦静山)の『甲子夜話』に見えるという。それを見たこともあり、ひとつ調べてみたいことができた。

3人の天下人のホトトギスの句はWikipediaに以下のように書かれていた。
なかぬなら殺してしまへ時鳥(織田信長)
鳴かずともなかして見せふ杜鵑(豊臣秀吉)
なかぬなら鳴まで待よ郭公(徳川家康)
「時鳥」「杜鵑」「郭公」と漢字は違っているが、どれも「ホトトギス」と読む。他にも「不如帰」という漢字もある。上の「不言の言」の引用箇所のすぐあとに、「不如帰」の漢字が使われている。
法々華経か。不如帰か。不如帰か。法々華経か。知らず只一転語を下し得て恰好なりと思惟するなかれ。糸瓜亦自ら転身の一路なきにあらず。
何らかの意図があり「杜鵑」と「不如帰」を使い分けていると思われる。また「格好なりと思惟するなかれ」とも書いているので「郭公」と書いて「ホトトギス」と読むことも知っていると思われる。

さて、漱石は「ホトトギス」の漢字をどのように使い分けていたのか。これが、調べてみたいと思ったことである。

ひょっとすると、既に誰かがどこかで調べていることであるかもしれないし、また、漱石は特に意図なく使い分けていたのかもしれない。私自身については、今のところわからないところなので、結果も見えていないことだが、ひとまずわかる範囲で調べてみたいと思う。


2020/06/19

アイルランド民謡 FINNEGAN'S WAKE

柳瀬尚紀さんの『フィネガン辛航紀』を中古で買ったのですが、そこに「フィネガンズ・ウェイク◎讃」と題された小冊子が挟まっていました。井上ひさしさん他、複数の方々の日本語訳『フィネガンズ・ウェイク』に対する賛辞と、大澤正佳さんの「『ウェイク』序奏のための助走」と題された小文が書かれているものです。

もともと付いていたものなのか、それとも他の本に付いていたものが挟まっていたのかは不明。河出書房新社が作っているので『フィネガン辛航紀』に挟まっていても不思議ではないのですが、河出書房新社から『フィネガンズ・ウェイク』が出版されているので、そちらに挟まっていたものである可能性があります。

いずれにせよ、ラッキーです。

その小冊子に、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の表題の元となった、アイルランド民謡の FINNEGAN'S WAKE も載っていました。

Tim Finnegan lived in Walker Street
A gentle Irish man mighty odd
He'd a beautiful brogue so rich and sweet
And to rise in the world he carried a hod
Now you see he'd a sort of a tippling way
With a love of liquor
Tim was born and to help him on his way each day
He'd a drop of the creatur every morn

Chourus:
Whack for the hurrah take your partners
Round the floor ye trotters shake
Isn't the truth I told you
Lots of fun at Finnigan's wake

One morning Tim was rather full
His head felt heavy which made him shake
He fell off the ladder and broke his skull
So they carried him home a corpse to wake
They wrapped him up in a nice clean sheet
And laid him out upon the bed
With plenty of candles around his feet
And a couple of dozen around his head

Repeat Chourus: --

His friends assembled at the wake
And Missus Finnegan called for lunch
First they laid out tea and cakes
Then pipes and tobacco and whiskey punch
Then Biddy O'Brien began to cry
Such a lovely corpse did you ever see
Arrah! Tim avourneen why did you die
Ah! none of your gab says Biddy Magee

Repeat Chourus: --

Then Peggy O'Connor took up the job
Arrah! Biddy says she, you're wrong I'm sure
But Biddy gave her a belt on the gob
And left her sprawling on the floor
Each side in war did soon enrage
'Twas woman to woman and man to man
Shillelagh-law was all the rage
And a row and a ruction soon began.

Repeat Chourus: --

Mickey Maloney raised his head
When a gallon of whiskey flew at him
It missed and landed on the bed
The whiskey scattered over Tim
Bedad he revives! see how he rises
Tim Finnegan junping from the bed
Crying While he ran around like blazes
Thundering blazes ye think I'm dead.

上に記載した歌詞とは少し異なりますが、FINNEGANS WAKE を以下の動画で聞くことができました。The Irish Rovers というグループによる演奏です。

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