2019/06/02

夏目漱石『草枕』をゆっくりじっくり読む(2)

(前回はこちら

やっと二行目です。ここから、語り手が山路を登りながら考えたことの内容が少しずつ明らかになっていきます。ここの文章は『草枕』でもっとも有名なところだと思います。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。
とてもテンポのいい文章ですね。「智に働けば角が立つ」「情に棹させば流される」「意地を通せば窮屈だ」と、ほぼ七五調のつながりが耳に心地よく聞こえます。引用最後の文である「兎角に~」というところは、先の3つの内容を受け、そして3回の七五調の調べを受け、それにふさわしいまとめをしています。

『草枕』の注をみると、「人の世は住みにくい」ということを、「智に~」「情に~」「意地を~」と、知情意の3つの観点から述べたものと書いていました。漱石は『文芸の哲学的基礎』の中で、「精神作用を知、情、意、の三に区別します」と述べているということです。『文芸の哲学的基礎』は読んだことがありませんが、「知情意」をWEB検索してみたところ、もともとはカントに由来するということが書かれていました。カントについても読んだことはありません。

先の引用最後の文の「兎角に」ですが、これは漱石の当て字ということです。「兎に角(とにかく)」と読んでしまいそうですが、「兎角に(とかくに)」であることに注意です。「とにかく」というと、「なんだかんだ言っても人の世は住みにくい」という意味に捉えてしまいがちですが、「とかくに」ですのでニュアンスが異なります。「とかくに」は、「と、このように」というような意味でしょう。知情意の3つの観点から述べた上で、「と、このように人の世は住みにくい」と言っています。

では、なぜ「とかくに」に「兎角に」という当て字をしたのでしょうか。

「兎角」というのは兎の角という意味で、仏典などにも記載がある用語ということです。特に「兎角亀毛(あるいは亀毛兎角)」という四字熟語で用いられることが多く、兎の角や亀の毛のようにありえないことのたとえとして用いられています。漱石は仏典や漢籍にも造詣が深く、「兎角」という言葉を知っていた可能性は高いです。

もし漱石が意識的に「兎角」を当て字として使ったならば、「兎角に人の世は住みにくい」という文は、「と、このように(ありえないことではあるが)人の世は住みにくい」という意味合いを持たせたかったとも考えられます。「人の世は住みにくい」と単純に嘆いているわけではありません。

さて、山路を登りながら考えたことは、これだけではありません。「人の世は住みにくい」というだけでは終わらないということです。名調子である有名な冒頭のみでは終わらないということですね。せっかくですので是非続きを読んでみてください。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世は住みにくい。住みにくいから引越をしたくなる。そして、どこに引っ越しても住みにくいと悟ったときに、詩が生まれて、画ができる。住みにくいと悟ったときに詩歌や絵画ができる、と少し唐突な感じはありますが、ここから文芸・芸術についての考えになっていきます。『草枕』の冒頭部分を暗唱できる方もいらっしゃると思いますが、「人の世は住みにくい」で終わらずに、是非ここまでは合わせて覚えておいてください。

1 件のコメント:

  1. レンマ学(直交補)2023/05/28 16:40

    ≪…智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。…≫と≪…住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。…≫を、
    [静にすると角が観え(立つ)。〇(情)に納て回転(棹)させば消え(流され)る。角(意地)を見(通)せば止まる(窮屈だ)。兎角に人の世は言葉使いに(住みにくい)。]から[ ・・・ どこへ越しても通じる言葉ある(住みにくい)と悟った時、点線面(詩)が生れて、〇△▢(画)が出来る。]
    として、数の言葉ヒフミヨ((1234)自然数)の風景に触れる。
     円(〇)に正三角形(△)・正四角形(◇)を内接(棲ま)させると、静止している時は、△◇の角が観えるが、中心(棹)で回せばは角は円(〇)に同化する。
     数の言葉は、カタチ(平面・2次元)と言葉の分節
     (点線面)らをウマクウマク纏め上げている。
     サーンキャ(数論)学派の影響を「草枕」はモチ、これと「ヒフミヨイの歌」の精神とを合わせて眺めると、オモシヨそうだ。
     

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