2020/08/25

朝顔や釣瓶取ったか取られたか

正岡子規は『獺祭書屋俳話』の中で「加賀の千代」と題して一節を割いている。「加賀の千代は俳人中尤有名なる女子なり。其の作る所の句も今日に残る者多く、俳諧社会の一家として古人に譲らざるの手際は幾多の鬚髯男子をして後に瞠若たらしむるもの少なからず」と書き、千代の句と支考の句を並べ比べて「俳諧にも、男でなければ、あるいは女でなければ、言うことができないことがある」と述べている。加賀の千代、加賀千代女は、江戸時代の女流俳人で、各務支考(蕉門十哲のひとり)とも交流があった。

次の句が、千代の代表句として知られている。

朝顔に釣瓶取られてもらひ水

しかし、この千代の句についての子規の批評は手厳しい。子規は『俳諧大要』において、次のように書いている。

朝顔の蔓が釣瓶に巻きつきてその蔓を切りちぎるに非ざれば釣瓶を取る能はず、それを朝顔に釣瓶を取られたといひたるなり。釣瓶を取られたる故に余所へ行きて水をもらひたるという意なり。このもらひ水という趣向俗極まりて蛇足なり。朝顔に釣瓶を取られたとばかりにてかへつて善し。それも取られてとは、最俗なり。ただ朝顔が釣瓶にまとひ付きたるさまをおとなしくものするを可とす。この句は人口に膾炙する句なれども俗気多くして俳句とはいふべからず。

〈朝顔に〉の句の解釈は、子規が述べているように、朝顔の蔓が釣瓶に巻きついていたので釣瓶を使うことができず、水をもらってきたということであろう。井戸から水を汲むために釣瓶を使いたいが、朝顔が巻きついている。引きちぎるのも忍びない。釣瓶は使わずそのままにして、水は余所からもらってこよう、ということである。朝顔を愛でる視線が伝わってくる。自然を愛おしむ気持ちが感じられる。

しかし、この子規の評を読み、よくよく考えてみると、子規が「俗極まりて」「俗気多くして」と言う気持ちがなんとなくわかる気がする。

この句が、千代の実生活から作られたものなのか想像から作られたものなのかは知らないが、仮に千代が、朝顔の釣瓶に巻きついているところを見て詠んだとすると、ちょっと嫌な書き方をするが、「私にはこんな気持ちがあるのですよ」と自慢しているようにも読めてしまうのだ。朝顔の美しさ、自然の美を詠めばいいのに、この句は人の優しい気持ち、自然を愛する気持ちを詠んでいる。そんな気持ちをわざわざ句として表現するということは俗であるということであろう。

〈朝顔に釣瓶取られて〉の「釣瓶」には助詞がついていないが、格助詞を補い、文のかたちにすると「朝顔に釣瓶を取られた」となるだろう。子規もそのように解釈している。この「朝顔に釣瓶を取られた」というのは文法用語でいうと間接受身である。対応する能動形は「朝顔が釣瓶を取った」ということになる。目的語が主語の位置にくる受身を直接受身といい、この例では「釣瓶が朝顔に取られた」とするのが直接受身である。間接受身は「被害の受身」「迷惑の受身」とも呼ばれることがあり、目的語はそのままに、被害者(被害というのが強すぎるなら被影響者といってもいい)が主語の位置にくる受身形である。〈朝顔に釣瓶取られて〉という表現には主語が明示されていないが、釣瓶を取られて迷惑を伴った人であり、〈もらひ水〉で表現されている誰かに水をもらいにいった人と同一人物であると解釈できる。

この句では、朝顔が釣瓶に巻きついているのを見て、釣瓶を使うことを止め、水をもらいにいった人物が主語であり、朝顔は主語ではない。朝顔よりも人物を主語に置くことを選択している。主語の位置は主題の位置でもあるので、人物を中心とした表現であると考えられる。

主題を人ではなく、朝顔にした方がいいのではないかというのが子規の評であろう。「もらひ水という趣向俗極まりて蛇足なり」「取られてとは、最俗なり」というのは、人が主題となってしまっていることを言っているのであろう。「ただ朝顔が釣瓶にまとひ付きたるさまをおとなしくものするを可とす」と、朝顔を主語とした言い方をしている。

Wikipedia「加賀千代女」を見ると、興味深いことが書かれていた。代表的な句としてこの〈朝顔に〉の句が挙げられているが、そこに「35歳の時に、朝顔や~ と詠み直される」と書かれていた。

朝顔釣瓶取られてもらい水

朝顔釣瓶取られてもらい水

個人的には〈朝顔や〉の方がいい。〈朝顔や〉とすることで、朝顔を主語とした解釈をすることができる。「朝顔が釣瓶を取られた」と読めなくもない。朝顔の視点からの表現で、釣瓶を水を汲むために取られてしまったという意味である。もちろん、元の〈朝顔に〉の句の情景のままで朝顔を強調するために〈朝顔や〉としたということかもしれないが、「朝顔が釣瓶を取られた」という解釈の方が面白く感じる。

水を汲もうと井戸に行くと、朝顔が釣瓶に巻きつこうと蔓を伸ばしていた。成長はうれしいが釣瓶に巻きつかれてしまうと困る。まだしっかりとは巻き付いていないので「朝顔さんちょっとごめんね」と、朝顔から釣瓶を取り上げて水を汲んだ。そして「さっきはごめんね」と汲み上げたばかりの水を朝顔にかけてあげる。こんな情景を朝顔の視点から描いた句として読むことができるのではないだろうか。

他にもこんな解釈をしている人はいないかと(大雑把にではあるが)ネット検索をしてみたがいないようである。ただ、〈朝顔や〉としている千代直筆のものが残っているということはわかった。

2020/08/23

鵜と鷺で一羽となるや取合せ

復本一郎『俳句実践講義』に、俳句における必須の「技巧」として「取合せ」が取り上げられている。許六編『俳諧問答』中の「自得発明弁」などの俳論資料から説明されており、具体的でわかりやすい。正岡子規の『俳諧大要』にも「取合せ」についての言及がある。

子規は、暁台の「時鳥鳴くや蓴菜の薄加減」という句を例にして「取合せ」に言及している。

蓴菜は俗にいふじゆんさいにして此処にてはぬなはと読む。薄加減はじゆん菜の料理のことにして塩の利かぬようにすることならん。さて時鳥と蓴菜との関係は如何にといふに、関係といふほどのものなくただ時候の取り合せと見て可なり。必ずしも蓴菜を喰ひをる時に時鳥の啼き過ぎたる者とするにも及ばず。ただ蓴菜の薄加減に出来し時と時鳥の啼く時とほぼ同じ時候なるを以て、この二物によりこの時候を現はしたるなり。しかも二物とも夏にして時鳥の音の清らかなる蓴菜の味の澹泊なる処、能く夏の始の清涼なる候を想像せしむるに足る。これらの句は取り合せの巧拙によりてほぼその句の品格を定む。

時鳥(ほととぎす)と蓴菜(「ぬなわ」と読む。じゅん菜のこと)は基本的には関係がないが、時鳥が鳴く時期と、蓴菜を薄味の塩加減で料理するような時期が同じころで、ともに夏の清涼感を想像することができる、と言っている。このような俳句の技法を「取合せ」という。

時鳥は、古来より歌に詠まれ、イメージが固定化されているところがあるが、「取合せ」によっては新たなイメージを呼び起こすことができ、陳腐な表現を避け、オリジナリティを発揮することができる。

『俳句実践講義』には、「取合せ」の注意事項も書かれていた。「決して二つの関係を説明してはいけない」ということで、二つの関係を句の中で説明してしまうと「理屈」の句になってしまうからである。

また、「取合せ」は、大変効果的な作句方法であるが「一つ間違えれば、独りよがりの作品になってしまいます」とも言う。よく言えばシュルレアリスム的俳句ということもできなくはなさそうだが、句を作った本人にしかわからないような俳句が「独りよがりの作品」ということであろう。

このブログ記事のタイトルは、独りよがりの作品に近い。

鵜と鷺はともに鳥の名であり、「取合せ」と掛けている。また「ウ」と「サギ」を合わせると「ウサギ」となり、兎の数え方は一羽、二羽である。一羽の鵜と一羽の鷺を合わせて一羽の兎となるのは、生命の神秘にも似て、アイデアの創出にも似ている。

「鵜」は夏の季語、「鷺」は手元の歳時記にはなかったが、「白鷺」「青鷺」は夏の季語となっていた。ちなみに「兎」は冬の季語であったので、句中にはいれなかった。

理屈、知識に訴え、言語の遊戯に属する独りよがりの句である(俳句とは言えない)。

そして、鵜と鷺で兎になるとか、兎の数え方であるなどは、柳瀬尚紀のエッセイより拝借したもので、私のオリジナルではない。私が考えたこととしてはそこに「取合せ」を取合せたのみで、誰でも思いつきそうなものである。

ただし、独りよがりの作品であっても、自分にとっては意味がある。


2020/08/22

仰ぎ見て我田引水天の川

正岡子規『俳諧大要』に「修学第一期」と題された章があり、俳句初心者の心得の数々が述べられている。「俳句をものせんと思はば思うままをものすべし。巧を求むる莫れ、拙を蔽ふ莫れ、他人に恥かしがる莫れ」からはじまり、どんなものでもいいので俳句をつくってみること、古人の俳句に数多く触れることなど、初心者へのアドバイスや注意事項が書かれている。

その中に、次のようなものがある。

初心の人古句に己の言はんと欲する者あるを見て、古人已に俳句を言い尽せりやと疑ふ。これ平等を見て差別を見ざるのみ。試みに今一歩を進めよ。古人は何故にこの好題目を遺して乃公に附与したるかと怪むに至るべし。

これまでに数多くの人々が俳句を詠んでおり、ひとつの題材についても数多くの句が詠まれている。自分が言いたかったこともすでに俳句となっているかもしれない。もう自分が形にするようなことはないのではないか、言い尽くされているのではないか。そんな疑いを抱くかもしれないが、「試みに今一歩進めよ」という。

たとえば、「天の川」という題で俳句を作ろうとする。天の川を詠んだ句には次のようなものがある。

あら海や佐渡に横たふ天の川 芭蕉

真夜中やふりかはりたる天の川 嵐雪

更け行くや水田の上の天の川 惟然

これ以外にも子規は例を挙げる。下記引用では2音にまたがる繰り返し記号(〱、〲)を仮名に書き換えている(「よひよひに」の句)。

一僕を雨に流すな天の川 浪化

打ち叩く駒のかしらや天の川 去来

引はるや空に一つの天の川 乙州

西風の南に勝や天の川 史邦

よひよひに馴れしか此夜天の川 白雄

天の川星より上に見ゆるかな 同

江に沿ふて流るる影や天の川 暁台

天の川飛びこす程に見ゆるかな 士朗

天の川糺の涼み過ぎにけり 同

天の川田守とはなす真上かな 乙二

てゝれ干す竿のはづれや天の川 嵐外

巨鼇山

山嵐や樫も檜も天の川 同

『合本俳句歳時記』の「天の川」の項を見ると、他にも「天の川」を詠んだ句が見える。(「天の川」の語句が入っているもののみ記載。傍題の例句は略)

うつくしや障子の穴の天の川 一茶

天の川の下に天智天皇と臣虚子と 高浜虚子

妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 中村草田男

天の川怒涛のごとし人の死へ 加藤楸邨

天の川柱のごとく見て眠る 沢木欣一

うすうすとしかもさだかに天の川 清崎敏郎

天の川礁のごとく妻子ねて 飴山實

列車みな駅に入りて天の川 杉野一博

長生きの象を洗ひぬ天の川 中西夕紀

寝袋に顔ひとつづつ天の川 稲田眸子

天の川漂流船の錆深く 照井翠

自転車の二つ並んで天の川 涼野海音

もちろんここに挙げたものだけでなく、他にもたくさん詠まれているだろう。こんなにもあると、さらに「今一歩」が難しくなると感じるが、逆に、まだ表現のしかたがあるかもしれないという気持ちにもさせてくれる。

子規は言う。

なまじ他人の句を二、三句ばかり見聞きたる時は外に趣向なき心地す。十句二十句百句と多く見聞く時はかへつて無数の趣向を得べし。古人が既に己の意匠を言ひをらん事を恐れて古句を見るを嫌ふが如きは、耳を掩ふて鈴を盗むよりもなほ可笑しきわざなり。


2020/08/21

天地も岩戸も開け時鳥

漱石の書簡集は、明治22年5月13日付正岡子規宛の書簡からはじまっている。「今日は大勢罷出失礼仕候然ば其砌り帰途山崎元修方へ立寄り大兄御病症幷びに療養方等委曲質問仕候処」云々と、いわゆる候文で書かれており、句読点もなく、珍文漢文で読みにくい。この手紙は漱石が子規を見舞った日に書かれたもので、簡単にいうと、「見舞いの帰りに主治医のもとを訪ねたが、どうもこの主治医はあてにならない。なので第一医院で再診を受け入院してはどうかしてはどうか」という内容である。当時の書き言葉は漢文調であるのが普通だったにせよ、「二豎の膏盲に入る」や「雨振らざるに牖戸を綢謬す」という故事や、「to live is the sole end of man!」との英文も見え、漱石の学識の高さがうかがえる。漱石このとき22歳。

漱石と子規は明治22年1月ごろから親しくなったといわれている。その年の5月9日、正岡子規は喀血する。漱石はそれを見舞い、そして先に述べた手紙を書いた。

正岡子規の「子規」という号は、この喀血からつけられている。この喀血により、子規はホトトギスの句を数十句詠んだ。ホトトギスは高い声で鋭く鳴き口の中が赤いので、鳴いて血を吐くといわれ、そして結核の代名詞にもなっていたからである。そして号を「子規」とした。ホトトギスの漢字はいくつもあるが、「子規」はそのひとつである。

おそらくは、子規はこのときに作った俳句を、見舞いに来た漱石にも見せた(聞かせた)のであろう。冒頭の漱石の手紙の末には、漱石が詠んだ二句の俳句がしたためられている。

帰ろふと泣かずに笑へ時鳥

聞こふとて誰も待たぬに時鳥

ホトトギスの故事に、次のようなものがある。

中国古蜀の杜宇は農耕を指導して蜀を再興し帝王となり「望帝」と呼ばれた。望帝杜宇は、死ぬとホトトギスになり、農耕を始める季節が来るとそれを民に告げるために鳴くという。後に蜀が秦によって滅ぼされてしまった。そのことを知った杜宇の化身のホトトギスは嘆き悲しみ、「不如帰去」と鳴きながら血を吐いた、口の中が赤いのはそのためだ、といわれるようになったという(参考:Wikipedia「ホトトギス#故事」)。

ホトトギスの漢字がいくつもあることを先に述べたが、「杜宇」や「不如帰」などの漢字はこの故事が由来である。漱石が手紙に書いた一句目の俳句「帰ろふと泣かずに笑へ時鳥」には、この故事が踏まえられている。

そして、二句ともに子規への見舞い、励ましの句でもある。「鳴かせてみせよう」とか「鳴くまで待とう」とかいわれるホトトギスではあるが、誰も君の喀血なんか望んではいない、鳴くのではなく笑ってほしい、元気になってほしい。そんな漱石の子規に対する心情である。

これらの俳句を読んだとき、こんな風に俳句を作れたらいいな、と思った。

漱石の心遣いや博識に打たれたのはもちろんであるが、その心遣いや博識が、感情や知識が、俳句という十七音に凝縮しているところがすごいと思った。俳句の上手い下手はわからないけれども、俳句が「十七音の世界」といわれている意味がわかったような気がした。言葉にせず表現する、言葉にできないことも表現する、このようなことができるかもしれないという可能性も感じる。

ここから俳句についての興味が湧きはじめた。正岡子規にも興味を持ちはじめた。


2020/08/20

中古本つれづれ

古本・中古本を買うと、書き込みがあったり、何かが挟まっていたりすることに、ときどき出会う。

難しい漢字などに手書きで振り仮名が振ってあったり、キーセンテンスに傍線が引いてあったりするものがある。自分も読めない漢字に振り仮名が振ってあると助かるし、自分が大事だと思ったところに線が引いてあると、やはりここは大事なところだったのだと確認することができる。そして、以前の所有者に「あなたも、だったのですね」などと、どこの誰だか知らない人に対して呼びかけたくなる。

自分が読める漢字に振り仮名が振ってあったりすると、「俺は読めるぞ」と優越感を感じることもなくはないが、その漢字、文章を読もうとする意志も感じられ、自分が流し読みをしていることに気がつくこともある。自分ならここには線を引かないと思っているところに線が引いてあると、なぜだろうとも思う。

日付が書かれているときもある。購入日だろうか、読了日だろうか。以前にも同じ本(物理的にも)を読んでいる人がいたことを実感する。以前の所有者の名前が書かれているときもある。

自分自身も、日付や名前は入れないが、本に書き込みをすることがあるので、書き込みがされている本に出会っても腹を立てることはないのだが、自分と違った書き込みである場合、その書き込みに引っ張られてしまうときがあるので、書き込みがないに越したことはない。ただ書き込みがあったとしても、その書き込みを含め買ったのだと思うことはできる。

映画の半券が挟まれていたことがある。栞に使っていたというのが一番の可能性で、その本と映画は関係なさそうに思われるが、ひょっとすると、挟んだその人にとっては何か意味のあるものだったのかもしれない。

以前には手紙が挟まっていたときもあった。病気療養中に知人から送られた手紙で、見舞いの言葉とともに本を送る旨が書かれていた。手紙が挟まっていた本がその本である。手紙を挟んでいることを忘れて、その本を売ったのであろうか。それとも手紙が挟まれたまま売られるという状況となったのであろうか。

先日の購入本のなかで、ページが破られていたものがあった。根元から破られていたので、破れたというよりは、故意に破ったものである。破った跡が残っているので落丁でもないと思う。おそらくは、そのページに書かれていた文章を手元に残しておきたかったのであろう。

自分自身は、本を破くことはめったにない。しかし、雑誌については切り抜いたりすることもあるので、本のページを破りとる気持ちはわからないでもない。ただ、切り抜いた本を売ろうとは思わない。

書き込みのときと同じように、破り取られたところも含めて買ったのだと思うこともできなくはない。しかし、書き込みのときよりは破り取られているときの方が、がっかり感が強い。

この辺りに、自分自身の本に対する価値観があるのだろう。深めてみる価値があるかもしれない。

2020/08/15

ここ数日の購入本

8/13~16、ブックオフで本が全品20%OFFのウルトラセールが開催されているので、足を運ぶ。このウルトラセールだけではないが、ここ数日に買った本をまとめておく。

読んだ感想ではなく、読みたいと思った動機。


●正岡子規『俳諧大要』『獺祭書屋俳話・芭蕉雑談』(ともに岩波文庫)

子規の『墨汁一滴』等や、復本一郎『俳句実践講義』を読んでいるうちに読みたくなり購入。子規の俳句観を知ることが目的。

●伊藤博(校注)『万葉集(上巻・下巻)』(角川ソフィア文庫)

こちらも子規つながりが大きい。子規は『古今集』より『万葉集』を推している。『万葉集』も『古今集』も読んだことがない。歌の良し悪しはわからずとも一度は目を通しておいて損はないだろうと思い購入。ゆっくりと読み進めていきたい。

●外山滋比古『ことわざの論理』(ちくま学芸文庫)

『思考の整理学』をはじめ、外山さんの著作をいくつか読んでいる(エッセイ中心)。「ことわざ」は好きだが、ことわざについてまとまった本は読んだことがない。「ことばの技」としての「ことわざ」を読めるかもしれないという期待がある。

●北村薫『鷺と雪』(文春文庫)

先日『詩歌の待ち伏せ』を読み、久々に北村さんの小説を読みたくなった。「円紫さんシリーズ」しか読んだことがなかったので、今回は別のものをと思い購入。

●武田祐吉(訳注)『古事記』(角川ソフィア文庫)

同じ角川ソフィア文庫の『ビギナーズ・クラシック 日本の古典 古事記』を持っているが、「ビギナーズ・クラシック」版では、原文(書き下し文)が確認できないところがある。青空文庫で確認することもできるが、文庫本というかたちで手元に置いておきたかった。

●大野晋『日本語練習帳』(岩波新書)

学生時代に図書館で読んだ記憶がある。ブックオフで50円のワゴンの中にあったので購入。

●別冊宝島編集部(編)『読んでおきたいベスト集! 宮沢賢治』(宝島社文庫)

先日、竹内薫さんの『宮沢賢治の星座ものがたり』を十数年ぶりに読み返した。宮沢賢治の作品自体はあまり読んでいない。ブックオフで目にしたことを機会に読んでみようと思う。

●『新編 俳句表現辞典』(東京新聞出版局)

最近の俳句興味より。俳句・俳諧について、考え方のようなものはいくつか読んでいるが、その実作物をあまりにも知らない。現在、実作物に触れる機会となっているのが、子規の著作物と歳時記である。『新編 俳句表現辞典』は、季語を項目としたものではなく、俳句に詠まれる事物等を項目としており、その言葉を使用した句が載っているので、歳時記とはまた違った俳句の実作品に触れられる機会となるかと思う。

●「だまし絵」展カタログ(中日新聞社)

2009年に名古屋・東京・神戸で開催された「だまし絵」展のカタログ。ISBN はなく、定価も書かれていないが、おそらくそこそこの値段で売られていたものだと思う。詳しく調べてはいない。高値で売れるかもという思いもなくはないが、実際自分が読みたい(見たい)と思い買ったもの。「トリックアート」や「錯覚・錯視」の類は好きである。


そろそろ本棚の整理をすべきところなのだが、暑さを理由にだらけてしまっている。

2020/08/14

子規三部作

正岡子規による『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』は「子規三部作」と称されているようである(Wikipedia「正岡子規」の項参照)。図らずも、この三部作(と『歌よみに与ふる書』)を最近購入し、ときどきぱらぱらとめくっている。

最近俳句に興味を持ちはじめ、漱石つながりで正岡子規を読んでみようと思い上記3冊を購入したのだが、3冊ともに俳句よりは短歌(和歌)についての話題が多い。正岡子規=俳句というイメージしかなかったので、『歌よみに与ふる書』を含め、和歌の改革もなしていたことを知り驚く。若くして亡くなったということは知っていたが、死の直前まで俳句そして短歌、文章を書いていたということも知った。

『墨汁一滴』は、新聞「日本」に連載されていた文章を集めたもので、ジャンル分けするとすれば随筆にあたる。明治34年1月16日~7月2日にほぼ毎日連載されていた(途中数日の抜け有)。

『病牀六尺』も、新聞「日本」に掲載されていたもので、明治35年5月5日~9月17日(これも途中抜け有)。随筆となるだろう。

『仰臥漫録』は、日記である。明治34年9月2日から書かれているが、途中書かれていない時期もある。『仰臥漫録』で確認できる最後の日付は(明治35年)9月3日であった。

子規は明治35年9月19日未明に亡くなった。結核を患っており、闘病生活を続けていた。

『墨汁一滴』『病牀六尺』『仰臥漫録』ともに、闘病生活の中で書かれたものである。しかし内容は、自身の病気のことも多々書いているが、闘病生活だけを書いているわけではなく、日ごろ考えていることを書いたもので、俳句や和歌についての言及もある。

とくに『墨汁一滴』の書き出しあたりには、『枕草子』あるいは『徒然草』のような趣きがあるように感じる。文語で書かれているからそのように感じるだけかもしれないが、なんとなくそう感じる。



2020/08/11

ドラッガーの「三人の石切り工の話」について(1)

先日「3人の連歌職人(戯作)」と題する小文を書きました。戯作の名のとおり戯れに作ったもので、「3人のレンガ職人」の話を元として、「レンガ」と「連歌」をかけて、連歌から俳諧、俳句の成立の歴史をおもしろく書こうとしたものです(成功したとは言えませんが……)。

さて、その元とした「3人のレンガ職人」の話について、いくつかのバリエーションがあるので、その大元はどんな話であったのか確認したいと思い、「3人のレンガ職人」で WEB 検索をしてみました。

多くのサイトに「イソップ寓話から」という記述があります。

はて、イソップ寓話にそんな話があったっけ? と、岩波文庫の『イソップ寓話集』を本棚から引っ張り出して目次を見るも、それらしきタイトルの話は見当たりません。ざっと読み返しましたが「3人のレンガ職人」の話は見つけることができませんでした。

それならば、と、また WEB 検索に頼ってみると、どうやら「3人のレンガ職人」の話はイソップ寓話ではなさそうです。同じように『イソップ寓話集』に載っていないということで、その出所を探している記事に出会いました。

AOI manegement ブログ:イソップ寓話「三人のレンガ職人」をめぐる冒険

この一連の記事(4回に分けて投稿されてあります。タグ「三人のレンガ職人」参照)の中で、図書館に問い合わせたことが書かれています。このブログが書かれた時期とは異なりますので別の方の問い合わせでしょうが、図書館からの回答が載っているサイトもありました(国立国会図書館:レファレンス共同データベース レファレンス事例詳細)。

AOI manegement のブログには、ドラッガーの著書『マネジメント』の中に、「三人の石切り工の話」が載っていることが書かれています。『エッセンシャル版 マネジメント』であれば手元にあるので早速確認してみると、たしかに「三人の石切り工の話」が載っていました。そこには「三人の石切り工の話がある」と書かれています。しかし、その出典については記載されていませんでした。

結局、「3人のレンガ職人」の出典はわからず、「3人の連歌職人(戯作)」を書きました。しかし、あらためてドラッガーが書いている「三人の石切り工の話」を読むと、また別の「3人の連歌職人の戯作」を書けるかもしれないとも思いました。

よく聞く「3人のレンガ職人」の話と、ドラッガー『マネジメント』に書かれている「三人の石切り工の話」は似ていますが、文脈が少し異なっているからです。


2020/08/10

3人の連歌職人(戯作)

 3人の男たちが座している。

「何をしているのですか?」と問うと、1人の男が答えた。

「レンガをしています」

「レンガ、ですか?」

「歌を連ねると書いて連歌といいます。最初の人が五七五の句をつくり、次の人が先の五七五の句に続く七七の句をつくり、さらに次の人はそれに続く五七五の句をつくり、次の人は七七――と、句を、歌を連ねていくのです」

歌を連ねているところに、レンガを積んでいる映像が重なる。

別の男が続けて言う。

「もう少し詳しく言うと、俳諧の連歌ですね。一般的に連歌は、百韻の形式といわれています。五七五の発句のあと、七七で2句目、次の五七五で3句目として、百韻の形式とは100句つくるということですが、ここでは36句としてしています。俳諧の連歌、歌仙形式の俳諧ですね。また、連歌は和歌の流れからできたものなので雅語を使うのが普通ですが、俳諧の連歌では俗語、俗言でもOKです。俳諧とは戯れごとです」

「ホック……」と、ひっかかった言葉をつぶやく。ホックがついたレンガ壁。

3人目の男が口を開いた。

「わしはいま最初の句、発句を考えとる。最初の句なので自由に詠むことができるが、いまこの場にふさわしい歌にしたい。発端の句だから発句じゃ。この発句であとの展開が変わるので、おもしろくもあり、難しくもある」

発句に四苦八苦。4×8=32 で、36句には足りない。四苦八苦でなく四九発句としてはどうだろうか。いや、敷く発句としよう。

発句を敷いてレンガを重ねていくイメージに変わる。

「発句には、切れがほしいのう」3人目の男が考え込む。一緒に発句を考える。

布きれの発句を敷いたレンガ壁

連歌にて徘徊をする男ども

切れがない。

創作とは捜索であり、俳諧の発句が俳句となるのはまだ先のことである。

2020/08/09

差し渡す夢

漢字を覚える際、言葉遊びとか語呂合わせのように覚えたものがいくつかある。「立って木を見る親子連れ」であるとか、「耳と十四の心で聴く」であるとか、「ル微王徴」であるとか、このような類の覚え方である。

漢字だけでなく、たとえば√2の覚え方「ひとよひとよにひとみごろ」であるとか、元素の周期表「すいへいりーべーぼくのふね」だとか、惑星の順序「水金地火木土っ天海冥」(冥王星は惑星から準惑星になった)だとか、リズムをつけた覚え歌みたいなものもある。31日がない月の覚え方を「西向く士」というようなもの、歴史で「鳴くようぐいす平安京」みたいなものもある。

言葉遊び、語呂合わせ、替え歌などでいろいろなことを覚えた。覚えてしまい使わなくなったものもある。使う機会がなく忘れてしまったものもある。「いい国作ろう鎌倉幕府」みたいに使えなくなったものもある。

こういった類の言葉遊びは、文字化されていないものも多い。残るものは残るだろうが、残らないものは残らない(当たり前だ)。最近は、こういったものを残しておきたいと思うようになった。また、自分でも何か作ってみたいと思うようにもなっている。

次世代へ、あるいはもっと先へ、ちょっとした差し渡す言葉になるかもしれない。

「差し渡す夢」とは、「夢」という漢字を分解して「サ四ワタ」したものである。

2020/08/08

苦肉の作2句

「歳時記」を手にしたことで、あらためて俳句をつくってみようと思った。「あらためて」というのは、以前にも作ったことは何度かあるが、季語らしき語を入れた五七五という感じで、俳句よりは川柳に近いものだった。

「歳時記」があるからといって俳句となるわけでもなく、言葉遊びを入れたいという欲もあり、言葉遊びを入れると季語を入れたとしても川柳に近くなる。以前読んだ『俳句実践講義』で学んだ、「切れ」があるかどうかで俳句と川柳を分けるとすれば、今回作ったものは川柳であろう。少なくとも「切れ字」は使っていない。

時事的なことを入れることにして、昨今の話題は新型コロナとなるわけで、「コロナ」と「季語」を使った言葉遊び的な五七五の句をつくることを目標とした。

結果として、2句作る(「苦肉の作」と言いたかったわけではない)。1句目よりは、2句目の方が気に入っている。1句目は説明を要するだろうし、今年の梅雨明けは例年より遅かったにせよ、「梅雨明け」は夏の季語であるため時期がずれている。

梅雨明けの頃ナウ居留守スタイルす 

汗る日のころ名ばかりの秋来たる

頭で考えて作ったので「月並」である。

理想をいえば、宝井其角の「夕立や田をみめぐりの神ならば」という雨乞いの句のように、新型コロナの感染拡大防止語彙を入れたかったが思いつかなかった。もう少しひねり句練りたい。

2020/08/07

歳時記雑記

本日8月7日は立秋。暦の上では秋に入る。

秋とはいえども暑さは厳しく、まだまだ真夏日、猛暑日は続きそうである。気象庁の定義では、日最高気温が30℃以上の日を真夏日といい、日最高気温が35℃以上の日を猛暑日という。

立秋は二十四節気のひとつで、簡単にいえば、夏から秋に変わるところ。昼が一番長いのは夏至であり、昼と夜が同じ時間であるのが春分と秋分であるが、立秋は夏至と秋分の中間だと考えればいい。


歳時記を買った。買ったのは角川書店編『合本俳句歳時記 第五版』で、合本というのは、角川文庫で歳時記が分冊で刊行されていて、それを合わせて一冊としたものだからである。この歳時記を買った理由は、大きさと価格が手ごろだったからである。

初めて歳時記を買い読んでみるも、少し使い方読み方に慣れない。どんな歳時記にも載っているのだろうが、例句が多く載っているのがうれしい。

「真夏日」「猛暑日」は、少なくともこの歳時記には載っていなかった。歳時記は基本的に季語の辞典であるので、当然載っていない語もある。「真夏日」「猛暑日」は季節を表しそうであるが、気象庁の定義上は季節は関係なく、関係あるのはその日の最高気温である。極端なことをいうと、真冬でも最高気温が30℃を越えれば真夏日となるのだろう。残暑厳しい暦の上での秋に真夏日は多いので、季語にしにくいのかもしれない。

歳時記で「立秋」を引くと、「暑さは厳しいころだが秋の気配を感じるというのが立秋で、それを感じさせる代表的なものが風である」とあった。今のこの暑さでも、風が吹くと涼しく感じる。


しばらくは、風を感じることを心がけようと思う。



2020/08/03

続・頓珍漢仮説

「とんちんかん」の意味をあらためて手元の辞書で引いてみると、以下のように書かれていた(『三省堂国語辞典』第五版)。
①つじつまのあわないこと(をする人)
②わけのわからないこと。
WEB で語源を調べると、鍛冶屋の音が由来であることが書かれている。鉄を打つときの槌の音で、揃っていないズレた音を「トンチンカン」という擬音語で表したことから、ちぐはぐであるとか、辻褄の合わないというような意味となったらしい。

相槌がズレているということであろうか。

漢字で「頓珍漢」と書くが、これは当て字ということらしい。しかしこの漢字のために、頓珍漢が人(漢)を表すようになったのではないかとも思う。

さて、『吾輩は猫である』で「頓珍漢(とんちんかん)」が使われているところは、3ヵ所あった。「頓珍漢」が含まれている文を抜き出してみる。文末につけた括弧つきの漢数字は、該当の文がある回(章)の数である。
これで懸合をやった日にや頓珍漢なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔を一寸見上げた。(二)

是で考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的作用によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。(七)

世の中にはこんな頓珍漢な事はままある。(九)
まず「頓珍漢」が現れるのは小説の第2回(第2章)で、越智東風が先生宅にやってきて、次回の朗読会に参加してほしいと依頼している場面である。2回目は、銭湯で裸体の人間を見て、衣裳哲学らしきものを考えている最中。3回目は泥棒逮捕の報告を受けたときの先生と迷亭の様子である。

こじつけ感はあるが、名前の登場と頓珍漢の出現回をみると、なんだか符合しているように思える。
第1回 先生登場(名前はまだない)
第2回 寒月登場、東風登場、「頓珍漢」出現
第3回 苦沙弥先生(名前初出)
……
第7回 「頓珍漢」出現
……
第9回 珍野(姓初出)、「頓珍漢」出現
……
さらに言うと、これもこじつけ感があるが、第2回において、バルザックが小説中の人間の名をつけるために友人を連れて歩きまわったという逸話が書かれている。

水島寒月は、漱石の弟子でもある寺田寅彦がモデルであるといわれている。『定本漱石全集』の注解には、明治38年2月13日付の寺田寅彦宛書簡に「時に続々篇には寒月君に又大役をたのむ積りだよ」とあること、また寅彦には、明治34年2月に「寒月」(冬の季語)を詠んだ句が3句あることが書かれていた。

越智東風のモデルについては『定本漱石全集』には書かれていない。私は勝手に「あちこち」から名付けたと思っている。越智東風は小説内で「おちとうふう」という読みの他に「おちこち」という読みもつけていてる。「あちこち」→「おちこち」→「越智東風」ではないだろうか。バルザックが登場人物の名前をつけるために友人とパリの街をあちこち歩き回った話を知っていた漱石は「あちこち」から名前をつけたのではないだろうか。
(もうひとつ、捨てがたい案に「おっちょこちょい」→「おちこち」がある。)

そして、寒月の「かん」、東風から「とん」、あとは「珍」があれば「とんちんかん」になると第9回で「珍野」と姓を付けたと考えることはできないだろうか。

直接的な証拠はないが、否定する理由もないので、そう思っておく。

2020/08/02

頓珍漢仮説

夏目漱石『吾輩は猫である』の登場人物の名前の由来のひとつに「とんちんかん」があるのではないか。越智東風の「とん」(「とうふう」と振仮名が振ってあるが、東を「とん」として)、珍野苦沙弥の「ちん」、水島寒月の「かん」で、「とんちんかん」となるのではないか。

こんな頓珍漢なことを考えている。

この3人の名前の由来について、どのように付けられたのかということは知らない。漱石自身がどこかに書いているとは聞いたことも読んだこともなく、また他の誰かが書いていたとも記憶にない。

ただ、特定の人物ではないが、小説の人名について漱石自身が語っている「小説中の人名」という文章がある。明治41年10月21日付『国民新聞』に掲載されたもので、短い文章なので、以下に全文引用する(新仮名遣いに改めている)。
 小説中の人物の名は、却々うまく附けられないものだ。場合によると、あれもいかぬ、之れもいかぬで、二日も三日も、考えてみることもあるが、凝っては思案に能わぬで、大抵はいい加減に附けて了う。
 恁ういう人物には恁ういう名でなければならぬというような、所謂据わりのいい名というものは、却々無いものだ。早い話が自分の子供の名を附ける場合でも、矢張これならばというような名は、容易に附けえられない。
 この頃は可成判りやすい名を附けるようにしている。源義経とか何の何雄とか、やかましい名は嫌いだ。三四郎とか与次郎とか普通の名の方がいい。
明治41年(1908年)10月というと、『三四郎』が新聞連載中の頃で、三四郎という名が引用文中にも挙げられている。「この頃は可成(なるべく)判りやすい名を附けるようにしている」ということは、以前はいろいろと考えていたことを示していて、それこそ「二日も三日も、考えてみる」こともあったのだろう。

『吾輩は猫である』の中で、名前のない猫の主人である先生は最初から登場しているが、苦沙弥先生という名前が出てくるのは第三回で、珍野という姓がわかるのは第九回である。水島寒月と越智東風は第二回に名前付きで登場している。珍野という姓が出てくる場面は、先生宛にいくつか郵便物が届き、それを読んでいる場面であるが、その郵便物の中に「大日本女子裁縫最高等大学院」からの書面があり、その校長の名が「縫田針作」であることがおもしろい。

苦沙弥先生の姓を付けるにあたり、「ちん」をつければ、東風の「とん」と寒月の「かん」で「とんちんかん」になると、「珍野」という姓を付けたのではないかというのが、私の(まあ、どうでもいいような)仮説である。

(次回につづく)


2020/08/01

ついでに頓珍漢

『オデュセイア』での「ウーティス」から、「名無しの権兵衛」を連想し、『ついでにとんちんかん』のキャラクタである「七志野ゴンベエ」を思い出した(先日の記事では「習志野権兵衛」と書いたが、Wikipedia で「七志野ゴンベエ」ということを確認した)。

そして、「とんちんかん」と「名無し」から、夏目漱石『吾輩は猫である』を連想する。そして、自分のなかにある、ある仮説を思い出す。

『吾輩は猫である』の登場人物に、越智東風と水島寒月という人物がいるが、そこに苦沙弥先生を合わせると「とんちんかん」になる。越智東風、珍野苦沙弥、水島寒月という登場人物の名前の由来のひとつに「とんちんかん」があるのではないか、という仮説である。

漫画『ついでにとんちんかん』では、怪盗とんちんかんという名前は、そのメンバの名前から取られたという設定になっていた。Wikipedia でメンバのフルネームを確認すると、中東風(ちゅん・とんぷう)、発山珍平(はつやま・ちんぺい)、白井甘子(しらい・かんこ)であった(麻雀牌の白撥中でもあったのですね)。「とんぷう」「ちんぺい」「かんこ」の頭文字で「とんちんかん」となる。

同様に、とはいえないが、越智東風の「東」、珍野苦沙弥の「珍」、水島寒月の「寒」で「とんちんかん」だと思ったことがあった。いつ思いついたのかは覚えていないし、ひょっとするとすでに誰かが言っているのを聞いたり読んだりしたのかもしれないが。

この仮説が正しいかどうかなど、わかったところで何の足しにもならないけれど、せっかく思い出したことなので、どうにか検証できないかと考えてみる。とりあえず Web で、「とんちんかん」と「吾輩は猫である」とか登場人物の名前で AND 検索してみるが、それらしき記述は見当たらなかった。

そこでまずは、せっかく手元に『定本漱石全集』があるので、名前の由来がどこかに書いていないか探してみようと思う。おそらくはないだろうから、次は『吾輩は猫である』を読みなおして、登場人物の名前の初出箇所を確認することにしてみたい。猫に名前がないように、苦沙弥先生も最初は「主人」とだけで、固有名詞はなかったと思う。寒月と東風は同じくらいに初登場だったはず。

そして、『吾輩は猫である』での「とんちんかん(頓珍漢)」の出現ヵ所の確認。何度か出て来たように覚えているが、どこで使われていたのかは覚えていない。

ひとまず今回は仮説検証の方向性のみ書いておく。


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