2013/02/25

わもんな言葉31-野生

「わもんな言葉」へようこそ!

今回はサノトモが自由に語ります!


さて、やぶちゃんからお題がきております。

お題は「野生」

ヤブログ放送室『わもんの現場』で述べられていることではなく、サノトモの切り口で、サノトモの言葉で語ってほしい、とのリクエストです。


サノトモの切り口となると、まずは言葉から、となります。


「やせい」という漢字は2種類あります。

「野性」と「野生」

ここでは後者の漢字の方です。

野に生きると書いて「野生」です。


「野生」ということ考えると、野生動物、野生植物という言葉(カテゴリ)がありますが、野生の人とはどんな人でしょうか?

誰しも、どこかしらの野(フィールド)で生きています。

そこは、自分が選んだ場所かもしれませんし、やむを得ずいる場所かもしれません。


自分のいるその場で、自分のできることをして生きている人、それを「野生」というのかもしれません。


「草莽崛起」とは吉田松陰の言葉。

「在野の人よ、立ち上がれ」という意味です。


本日、第3回わもん黒帯特典シークレット講座に参加してきました。

テーマは「天職と使命」


勝手に思っていることですが、「生きる」というのは「いき・きる」から来ていると思っています。

残りの命を使って、どこに向かって行くか?


今いる場所で立ち上がり、死んだときに「生ききった」と思えるような生き方を!


わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

2013/02/22

わもんな言葉30-トップランナー

やぶちゃんのブラックバンドには、「トップランナー」の刻印があるとのこと。

すべって、確認できておりませんが…。

それはさておき。


先日よりやぶちゃんねるの《やぶちゃんマインド一日一語》で、トップランナーのあり方が掲載され始めました。


そして、ちょうどその日、『講孟箚記』の中に以下の言葉を見つけました。

己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者あらざるなり。
此の語、誠に切実と云ふべし。全章の議論、此の一転に至り、皆是脱卸するなり。世の政を為すもの、大抵己が身心に原くることを知らず。文武を興し節倹を崇み廉恥を励ますなど云ふ類、号令篠の如く下れども、悉く皆張釋之が所謂具文となり、毫も其の効なき者は、人心は上の令に従はずして、上の好みに従ふものなるを以てなり。今、在上の君子、真に能く斯に心付き、晏安偸惰の欲を絶ち、身を戦場に置くの思ひをなし、以て率ひ先んずるときは、令せずして下民自ら従ふべし。

『講孟箚記』というのは、吉田松陰が獄中で囚人相手に行なった、『孟子』講義。

「己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者あらざるなり」というのは『孟子』滕文公下の首章にある言葉です。

「自分を曲げる者で、人をまっすぐにすることができる者はいたためしがない」というような意味ですが、松陰はこの言葉を評して「誠に切実といわねばならない」と言っています。

意訳すると、「世の中で政治をなす者は、たいてい自分の身心が根本であることを知らない。いろいろな命令を下しても、形だけで少しも効果がない理由は、人の心はお上の命令には従わず、お上の好みに従うものであるからだ。今、上にいる為政者が、真にこの心に気付き、楽をしたい怠けたいという欲を断ち、戦場に身を置く思いで、率先してするならば、命じなくとも民は自ら従うだろう。」というような意味です。

松陰は政治の話を出していますが、トップランナーのあり方はここにあります。

講孟箚記(上) (講談社学術文庫 442)
講孟箚記(上) (講談社学術文庫 442)

わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

2013/02/19

吉田松陰『講孟箚記』

先日、Amazonで注文した本が届きました。『講孟箚記』です。

環境によっては「劄(さつ)」の漢字が表示できない可能性があるので、ここでは「箚」と表記しています。


心徒塾で、時々常ちゃんの話があります。

「心徒塾」と「松下村塾」の共通点・類似点の話です。

その話の中で、「草莽崛起」という言葉があります。

「在野の人よ、立ち上がれ」という意味です。


そして、それとは別に、昨年末くらいから『孟子』を読み始めました。

読み進めるうちに、「草莽の臣」という言葉がでてきます。

「草莽崛起」の「草莽」というのは、ここが出典だと知りました。


私はどちらかといえば歴史が苦手です。

吉田松陰や松下村塾について、名前は知っているものの、それほど詳しくありません。

吉田松陰という人がいて、松下村塾を開いて、その松下村塾には明治維新に関係する人たちがいた、ということ。

そして、吉田松陰は安政の大獄で殺されてしまった、ということくらいしか知りませんでした。


『孟子』の中に「草莽」の語が出てきたときは、吉田松陰も『孟子』を読んでいたのかな、くらいしか思っていませんでしたが、塾を開いているということから、当たり前か、とも思いました。

当時の学問はおそらく「儒学」か「蘭学」。

儒学を教えるならば、四書五経は目を通しているだろう、と。


こんなこともあり、吉田松陰や松下村塾について少し知りたくなりました。

で、WEBで眺めていると、吉田松陰が『孟子』の講義をしていて、それを書き残していることを知り、Amazonで注文。


それが、先日届いた『講孟箚記』です。


まだ途中ですが、いいですね。

松陰の言葉の力を感じます。


「草莽崛起」という言葉は(まだ)出てきませんが、鼓舞する力を感じました。

松陰のような文章を書いてみたいですが、この記事を読み返してみると、まだまだですね…。


講孟箚記(上) (講談社学術文庫 442)
講孟箚記(上) (講談社学術文庫 442)

講孟箚記 下 (講談社学術文庫 443)
講孟箚記 下 (講談社学術文庫 443)

2013/02/15

わもんな言葉29-バタフライ・ミッション

ヤブログ放送室『黒帯10人誕生』


この放送を聞いて、思い出した話があります。

それは、アナロジー(類推)の力を紹介する話です。

出典は…、忘れてしまいました(^-^;)

ただ、いろいろなところで読んだり聞いたりしてます。


まずは、問題1。

腫瘍を取り除く方法で、外科手術はできず、レーザー(放射線?)を使って治療するしかない状況。

しかし、腫瘍を破壊するための強さのレーザーを使うと、他の健全な部分も破壊してしまう。

健全な部分を破壊せず、腫瘍だけを破壊するにはどうするか?

という問題です。


そして、問題2。

お城を攻めようとしています。

そのお城へ攻める道はいくつもあるけれども、その道は少人数しか通れない。

お城を落とすためには大人数で一気に攻めなければならないが、どうしたらいいのか?


問題1だけ見せられて解答できなかった率よりも、問題2を見せてから問題1を見せたときの解答率が高かった、という話です。


ヤブログ放送室『黒帯10人誕生』の中では、いろいろな例え話がでてきますが、「レーザー照射」の例え話が出てきます。

思い出した直接的なきっかけは、この「レーザー」とか「照射」とかの単語だとは思いますが、イメージの連鎖は続きます。


心ある一人。

バタフライ効果、ミッション。

ロックオン。


黒帯が10人も誕生したのは、その場の一人ひとりが自分なりの翅をパタパタと動かし、それがひとつに集中した結果なのではないか。

そんな気がしています。


となれば、黒帯が増え続けていくと、どんなことが起こるのか。

楽しみです。


わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

コーヒータイム

ふとしたことから「カフェオレ」と「カフェラテ」の違いを知りたくなりました。

以前にも調べたことがあったのですが、忘れてしまっていたので(^-^;)

まぁ、きっかけはコーヒーのチェーン店に行ったからですけれども。


カフェオレ(あるいはカフェオーレ)は、フランス語で「café au lait」

café は「コーヒー」、au は、前置詞 à と定冠詞の le を合わせたもの、lait は「牛乳」なので、英語で直訳すると「coffee in the milk」とでも言えますかね。

the milk という言い方はないと思いますが。

日本語での直訳ならば、「牛乳にコーヒー」


一方、カフェラテ(あるいはカフェラッテ)は、イタリア語で「Caffè Latte」

caffè は「コーヒー」、latte は「牛乳」

英語直訳ならば「coffee-milk」

日本語直訳ならば「コーヒー牛乳」

複合語になりますかね?

イタリア語を知らないので、何とも言えませんが。


ちなみにフランス語は、大学の授業で少しだけかじったことがあります。


話を元に戻して(元に戻したのか?)、よく「○○オレ」とか「○○ラテ」というものがありますが、奇妙なものがありますね。

例えば「豆乳ラテ」

言葉からすると、「豆乳」と「牛乳」

でも「豆乳ラテ」には、ほとんど「コーヒー」が入っています(笑)

「豆乳ラテ」を日本語にすれば「豆乳牛乳」のような気がしますが…。

「豆乳カフェラテ」を略して「豆乳ラテ」なのですかね?

「豆乳ラテ」は意味的には「コーヒー豆乳」と名付けてもいいのではないか、と。


そんな、ちょっとした疑問に屁理屈をつける今日この頃です。


ちなみに冒頭の「カフェオレ」と「カフェラテ」の違いは、WEB検索すればすぐにわかりますよ~。

2013/02/10

わもんな言葉28-枠を外せばワクワクする

最近、思い出した話があります。

北村薫さんの『謎物語』に掲載されている話です。
 テレビで、ディズニーのアニメをやっていた。子供が見ている。
犬のプルートが、りすのチップとディールを追いかけ、せっかくのクリスマスツリーを倒してしまう。ミッキーがおなじみのかん高い声で叱る。
――駄目じゃないかっ、プルート!
そこで、
「プルート、口惜しくないかねえ」
といったら、子供はきょとんとしている。注釈してやった。
「ねずみに飼われてさあ」
受けた。それからしばらく、ミッキーとプルートの物真似が流行った。子供がいう。「――駄目じゃないかっ、プルート! ――何だと、ねずみのくせに。ガウ、ガウ」下剋上。パニックに陥るミッキー。「――あ、こら。どうしたんだ、プルート。何をするんだ、やめろ、やめろっ」
声色が案外うまいので(ミッキーファンの方には申し訳ないが)、これが、かなりおかしかった。
このような話が好きです。

ミッキーファンの方には申し訳ありませんが。


そして、北村薫さんは続けます。

先述のミッキーとプルートの物真似を、子供があきもせず演じたのは、
示された見方、切り取り方に意外性があったからだろう。今まで当然のものとして受け入れて来たことに異論が唱えられた――そこに不思議な面白さを感じたのであろう。
今まで当然のものとして受け入れてきたこと。

これは、ひとつの「枠」だと思います。

その枠に異議が唱えられ、不思議な面白さが感じられる。

ワクワクする。

よくわかります。


しかし、北村さんの言葉はまだ続きます。
しかし、考えてみると、不思議なのはどちらか。

りすの姿で木のうろで生活するが、人間ように思考し会話するチップとディール。

ミッキーは服を着て人間の生活をしていて、プルートは首輪をしてミッキーに飼われている。

プルートと同じ犬であるにも関わらず、グーフィーは服を着て「あっひはー、ミッキー」などと登場する。
 これだけ複雑な《人間関係》を子供は、すらりと受け入れている。いや、誰でもそうだろう。
わたしは、それが《当たり前》であることに感嘆したのである。そこで、つい、《お前たち、すごいことやっているんだぞ》というのを、別の形でいってしまったのだ。

現実の枠から物語の枠へ。

物語の枠から現実の枠へ。


「枠」それ自体は善くも悪くもなく、必ずあるものかと。

その枠を認め、ときには枠から外に出ると、ワクワクが湧くのかもしれません。

謎物語―あるいは物語の謎 (角川文庫)
謎物語―あるいは物語の謎 (角川文庫)

わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

2013/02/05

わもんな言葉27-ハト

先日、「未来への羅針盤~源泉わもん~in大阪1DAY集中講座」に参加し、「わもんな言葉26-源泉わもん」という記事を書きました。

実は、ハトが仕込まれています。


ハトとは何か?

ハトは鳩です。


詳しくは、やぶちゃん生中継「やぶはらニュース(2013年1月18日付)」をご覧ください。


Video streaming by Ustream

手品(マジック)では、袖から、内ポケットから、ハンカチから、と、様々なところから、意外なところからハトが出てきます。

マジシャンはいつどのようにハトを仕込んだのか?


今まで、本の引用を中心に「わもんな言葉」を書いていたことが多かったのですが、『聴和坐』に参加して「聴和坐」、そして「聴和」という2つの記事を書きました。


「源泉わもん」に参加している当日、やぶちゃんに言われます。

「本の引用ではなく、参加したその余韻で感想みたいに書くのもいいね」

「わもんな言葉は、週1くらいでほしいね」

笑ってやり過ごしますが、ハトが仕込まれます。


――今日、源泉わもんに参加しているな。

――前回の記事から1週間くらいたつな。

あぁ、今回の「源泉わもん」に参加した余韻で――。


と、まあ、こんな感じです(笑)


手品やマジックにはタネがあります。

詳しくは知りませんが、魅せるマジシャンは、おそらく、いろいろなところにタネを仕込んでいて、お客さんの反応や出方によって使い分けているのだと思います。

こうされたら、このタネで、ああされたら、あのタネで、と。

今回は使われないタネもあるかもしれません。


ハトを仕込んでも、そのハトに今回は出番がないかもしれません。

しかし、それはそれでいいのです。


仕込まれたハトも、慌てる必要はありません。

むしろ、おとなしくして暴れない方が、ネタはばれないでしょうし。

自分のペースでも、マジシャンが上手くさばいてくれるでしょう。


書いていると、何だか自分が仕込まれているような気がしてきました(^-^;)


わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う

言葉使い

書店で、柳瀬尚紀さんの『日本語は天才である』という文庫本を見つけ、即購入。

柳瀬さんといえば、ジェームス・ジョイスの『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』を訳した人だと覚えていたからです。

とはいえ、『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』は未読。


大学生のころ、『ユリシーズ』を書店で見つけて立ち読みした覚えがありました。

ジェームス・ジョイスの名前も知らなかった英米文学科の学生の頃です。


「ユリシーズ」というのが、ギリシア神話の「オデュセイア」であることは知っていたので、ギリシア神話関連の物語かと思い手に取って中を覗くと、言葉の氾濫です。

ルビがいたるところに振ってあり、漢字も当て字が多かったり、見たこともない単語が出ていたり、と。


買いたいと思いましたが、当時ハードカバーで、学生の身には少し高かった…。

そういえば、もう文庫本になっているかな。

後で探して見よう。


話を戻して、『日本語は天才である』を読んで思ったのは、柳瀬さんは「言葉使い」。

言葉遣いではなく、翻訳という作業を通して言葉を操る、魔法使いという意味での言葉使いです。


"You are a Full Moon.(きみは満月だ)"と声をかけられたお月さんが、"You are a fool, Moon.(きみはバカだ、お月さん)"と聞き間違えて怒った、という話で、"You are a Full Moon."をどう訳すか。

普通に訳すと意味は通じません。かといって英語の注釈を入れてしまうと興ざめしてしまいます。

日本語で聞き間違いができるような訳し方を考えなければなりません。

それを柳瀬さんはやってのけます。
「されば、かの満月か」と、声をかけられたのに、
「去れ、バカの満月か」と、聞き間違えたからです。
私もちょっと考えましたが、さすがに上手い訳は出てきませんでした。


翻訳での苦労話や楽しさ、そして漢語や英語を上手く取り入れる日本語の柔軟性をあらためて教えてくれる良書です。


私も「言葉使い」になりたいと思いました。


日本語は天才である (新潮文庫)
日本語は天才である (新潮文庫)

2013/02/02

わもんな言葉26-源泉わもん

本日、「未来への羅針盤~源泉わもん~in大阪1DAY集中講座」に参加。

本来3回コースで行われる「未来への羅針盤~源泉わもん~」を1日で行う集中講座です。


最近読んでいる『孟子』の中に、「原泉(源泉)」の言葉があります。

徐子曰く、仲尼亟水を称して曰く、水なるかな、水なるかなと。何をか水に取れる。孟子曰く、原ある泉は混混として、昼夜を舎かず。科を盈たして後に進み、四海に放る。本ある者は是の如し。是れ之を取れるのみ。苟も本なから為めば、七八月の間、雨集りて溝澮皆盈つるも、その涸るるや、立ちて待つべきなり。故に声聞情に過ぐるは、君子之を恥ず。
『孟子』離婁編の言葉です。

意訳します。

孟子の門人の徐子が孟子に尋ねます。

「孔子はたびたび水を称えて『水なるかな、水なるかな』といわれましたが、水にどんな取り柄があるというのでしょうか?」

孟子の回答は、

「水源ある水は、混混として夜昼となく休みなく流れている。窪地があればそれをいっぱいに満たしてから先へ進んでいき、海へとたどりつく。本源あるものはこのようなものだ。この点を『水なるかな』と称えたのだ。もし本源がなかったら、7月・8月の間は雨が降るので田圃の溝は水が満ちているが、雨が降らず水が涸れてしまうとまた雨を待つしかない。だから、実情を伴わない名声は、君子は恥としている」

というもの。


溝があっても水がなければ用をなしません。

いくら知識やスキルがあろうとも、そこに流れる水がなければ無用となってしまいます。

名声があろうとも、実情がなければそのうち涸れてしまうでしょう。


自分の「原ある泉」、つまり「源泉」はどこにあるのか?

そして源泉からの水はどこで満たされ、どこへ行くのか?


川をさかのぼりつつ、その源泉を見つけにいこう。

それが、「源泉わもん」です。


同じく『孟子』の「告子編」には以下の問答があります。

告子が孟子の性善説に反論します。

「人の本性というものは、流れる水のようなものだ。これを堰き止めて東に切って落とせば東に流れるし、西に切って落とせば西に流れる。人の本性も人為でどのようにもなるものだ。水がもともと東に流れるか西に流れるか決まっていないように、人の本性ももともと善や不善に決まってはいない」

それに対する孟子のこたえは、

「東西に流れるとは決まっていないが、高いところから低いところに流れるのは決まっている。その水の流れも堰き止めて逆流させれば高いところへ流すことはできるかもしれないが、それは本性とは言い難く、外からの圧力がそうさせたのであろう」


源泉から湧き出た水が堰き止められてはいないでしょうか?


源泉から自然に流れ、窪地に溜まり、溢れまた流れていく。

水の溜るところが「強み」ではないかと思うのです。


堰き止められている場所や、水の溜まった窪地をたどりつつ、「源泉」へ。

話を聞きながら、音を頼りに、本音へ。


それを羅針盤として命を使ってみてはいかがでしょうか。


21Smiles Garden



孟子〈上〉 (岩波文庫)
孟子〈上〉 (岩波文庫)

孟子〈下〉 (岩波文庫)
孟子〈下〉 (岩波文庫)

わもん -聞けば叶う
わもん -聞けば叶う