2017/03/13

『(ら)れる』のコーチング論(3)ー行動と感動

感動について考えていると、漢字からの連想で「行動」という言葉が出てきた。「動」という共通の漢字が含まれているので、「行動」と「感動」は対比しやすいのではないかと考えはじめた。

連想は続く。今回も結論はない。


能動態、受動態を英語でいうとそれぞれ active voice、passive voice という。activeはact(行為)からの派生語、passiveはpassion(情熱)と関連する語であるため、行動と能動態、感動と受動態を結びつけることはできないだろうかとも考える。


以前、「『(ら)れる』のコーチング論」というのを考えようとしていたことがある。

1回目では、「受身」「被害」「自発」「可能」「尊敬」は関係があることを、2回目では、クライアントに「動作主」になってもらうことがコーチングの目的ではないか、ということを述べた。3回目をしばらく書いていなかった。

(1回目と2回目はこちらから)
『(ら)れる』のコーチング論(1)-受身・被害・自発・可能・尊敬
『(ら)れる』のコーチング論(2)


「行動」は身体的、「感動」は精神的である。行動から感動が生まれ、感動から行動が生まれるとしよう。クライアントが行動する側ならば、コーチは感動する側である。クライアントの行動にコーチは感動し、コーチの感動にクライアントは行動する。このような循環が起こればいいと思う。


今回、『(ら)れる』のコーチング論の3回目だが、わもんな言葉で少し触れたことがある。
わもんな言葉69-人が走り出す
「言語の中の『離我』を捉えようという試み」という言葉があった。

そのものの本来の輝きに触れたときに人は感動する、というのが昨日の記事の一応の結論である。

クライアントの本来の輝きに触れたときにコーチは感動する。

コーチはクライアントの行動や言動を見たり聞いたりする。

「受身」や「被害」を抑え、「自発」「可能」「尊敬」を活かす。

『(ら)れる』のコーチング論が、わもんに近づいている。

それとも、『(ら)れる』のコーチング論を、わもんに近づけているのか。

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