連想は続く。今回も結論はない。
能動態、受動態を英語でいうとそれぞれ active voice、passive voice という。activeはact(行為)からの派生語、passiveはpassion(情熱)と関連する語であるため、行動と能動態、感動と受動態を結びつけることはできないだろうかとも考える。
以前、「『(ら)れる』のコーチング論」というのを考えようとしていたことがある。
1回目では、「受身」「被害」「自発」「可能」「尊敬」は関係があることを、2回目では、クライアントに「動作主」になってもらうことがコーチングの目的ではないか、ということを述べた。3回目をしばらく書いていなかった。
(1回目と2回目はこちらから)
『(ら)れる』のコーチング論(1)-受身・被害・自発・可能・尊敬
『(ら)れる』のコーチング論(2)
「行動」は身体的、「感動」は精神的である。行動から感動が生まれ、感動から行動が生まれるとしよう。クライアントが行動する側ならば、コーチは感動する側である。クライアントの行動にコーチは感動し、コーチの感動にクライアントは行動する。このような循環が起こればいいと思う。
今回、『(ら)れる』のコーチング論の3回目だが、わもんな言葉で少し触れたことがある。
わもんな言葉69-人が走り出す「言語の中の『離我』を捉えようという試み」という言葉があった。
そのものの本来の輝きに触れたときに人は感動する、というのが昨日の記事の一応の結論である。
クライアントの本来の輝きに触れたときにコーチは感動する。
コーチはクライアントの行動や言動を見たり聞いたりする。
「受身」や「被害」を抑え、「自発」「可能」「尊敬」を活かす。
『(ら)れる』のコーチング論が、わもんに近づいている。
それとも、『(ら)れる』のコーチング論を、わもんに近づけているのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿