人は何に感動するのだろうか。ふと、こんなことを考えた。
大自然を見て感動する人もいれば、建物を見て感動する人もいる。誰かの話で感動することもあるし、音楽を聞いて感動することもある。新しい命の誕生に感動したり、成長に感動したりする。映画や小説、漫画など、人工的なものでも感動する。
今のところ、ありきたりな言葉かもしれないけれど、そのものの本来の輝きに触れたときではないかと思う。
では、本来の輝きとは何かと問われても、答えようがないので、まだ深掘りする必要はある。
感動とは何だろうか。
手元の辞書には、「ものごとに感じて起こる、精神の興奮。深く感じ入ること。」と書かれている。わかるようなわからないような意味である。
「感動」は、「感」じて「動」くと書く。「感動する」と「感じる」では意味が違う。「感動する」と「動く」でも意味が違う。何かを感じて行動するというのもしっくりこない。
先ほどの辞書の意味に「深く感じ入ること」とあった。「感じ」「深く入る」こととすれば、感動の「動」は「深く入る」ことになる。
言葉のかたちをあれこれと述べていても「感動」はわからない、と言われそうだが、感動は自分にしかわからないように思う。誰かが感動しているかいないかなどはわからない。涙を見せていたり、何かに見入っていたりすると、ひょっとしたら感動しているのかも、と推測することはできる。
感動を見ることはできないし、聞くこともできない。臭うこともできない。
ただ、感動に触れることはできそうな気がするし、感動を味わうことはできる。
2017/03/12
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