2012/08/30

未来へ念を残す

先日、「念」という漢字をたくさん見ました。

「残念」「無念」「念を入れる」「念を押す」「記念」など。

普段ならば別に気に留めることもなかったのでしょうが、twitterやfacebookを見たときに、ほぼ毎回「念」という漢字が出てきて、「念」とは何だろうか、と疑問に思いました。


特に、「残念」と「無念」を同時に見たとき。

念が残るのが「残念」なのに、念が無いのに「無念」とはなぜ?


あとあとWEB上で確認してみると、同じような疑問を持つ人はやはりいるようです。

Yahoo!知恵袋「無念と残念は同じ意味?」

なるほど、「無念」の意味には2種類あるようです。

ひとつは「無念無想」のように「無心」というような意味。

もうひとつは、正念を失った、あるいは念願がかなうことがなくなったという意味で「無念」という意味。


試しに手元の国語辞典で「無念」をひくと、
  1. 〔文〕何もよけいなことを考えないようす。
  2. ひどい目にあって、くやしがるようす。「残念」を強めた言い方。
と、たしかに2つの意味が載っていました。

何だか正反対の意味ですね…。


しかし、言葉には正反対のような意味を持つ語は結構あると思います。

パッと思いつく語は英語のwant。

もともと「欠乏」を表わす語ですが、「欲望」も表します。

欠けているから欲しいというわけです。


また、「~のために」という語句。

「彼のために」と言ったとき、文脈によって、「彼のために(命をかけた)」とか、「彼のために(迷惑をこうむった)」とか、目的を表わしたり、原因を表わしたりします。


目標を定めることが動機づけともなります。

残念と思うことは、達成したときの喜びにつながるのかもしれません。


「念」とは「今の心」と書きます。

今の心も過ぎ去ってしまえば過去の心。

「今・ここ・自分」に集中することが、「念」。

念を残すというのは、過去から今に残すのではなく、今から未来へ残すものだと思いました。

2012/08/29

福島散策記(7)-古関裕而記念館

福島散策記(6)より。

これが、福島散策記の最後です。

岩谷観音をあとにして、次は信夫文知摺に行こうと思っていましたが、行って帰ってくると結構な時間になりそうだったことと、信夫山に自転車で登ろうとしたり、岩谷観音を見る(探す)ために階段を3往復したりと身体が疲れてきたこともあり、岩谷観音から近い、古関裕而記念館へ行ってきました。

恥ずかしながら、古関裕而のことは、この記念館に行くまで知りませんでした…。

駅でもらった観光ガイドを読んで作曲家であることは知りましたが、作った曲なども知ることもなく…。

全く予備知識なく行ってきました。


が、古関裕而記念館の館内で流れている音楽は、知っている!

例えば、「オリンピック・マーチ」


また例えば、「スポーツショウ行進曲」


他にも、「六甲おろし」ですとか、NHKの高校野球の歌(すみません、タイトル覚えておりません…)など、私はタイトルを知らない曲や、タイトルを見ても曲は出てこないのですが、聞いたことがある曲などを作曲された方のようです。

ここは、古関裕而(と作曲した曲)のことを知っている人にはたまらなく面白いところだと思います。


古関裕而記念館の隣には福島市音楽堂。
古関裕而記念館もそうでしたが、建物がいいですね。


今回、福島を訪れるにあたり、どこに行くかも決めず、駅の観光ガイドのみを頼りにいろいろと足を運んでみました。

書店でガイドブックとかを買ったとしたら、今回訪れた場所は、おそらくは大きくは載っていないところではないかと思います。

ガイドブックも見ていないのでわかりませんが、福島県といえばイメージとして、会津若松とか喜多方ラーメンとか猪苗代湖とか、「福島市」自体大きく載っていないのではないか、と。

ですが、予備知識なしに訪れ、いろいろと見て回るのもなかなか楽しいものでした。


今、住んでいるところや、実家の近くとかにも、それほど有名でなくとも楽しいところがあるのではないか、という気がします。


あ、あと付け加えることとして、今回訪れた場所は全て入場無料だったり一般開放されていたりしていて、お金はかかっておりません。

レンタサイクルも無料でしたし。

思いがけず、福島への旅費だけで、お金のかからない旅行となりました(笑)

2012/08/27

福島散策記(6)-岩谷観音

福島散策記(5)より。

さて、やっと岩谷観音の入口までたどり着きました。

また階段をのぼります。

まずは長命成願地蔵尊。

その上に岩谷観音があります。

ここ岩谷観音には、西国三十三観音をはじめとする磨崖仏群があります。

壮観です。







鐘楼もありました。

さらに上に行くと観音寺裏参道。
さすがに裏参道は行きませんでした。

社はありませんが、古峰神社。
福島稲荷神社の境内にあった古峯神社と何かかかわりがあるのですかね?

古峰神社にベンチがあり、そこからは福島市の市街地が一望できます。

ズームすると、福島競馬場のオーロラビジョンも見えました。

岩谷観音の磨崖仏を細かく見てみたい気持ちもありましたが、少し雲行きがあやしくなり始めました。

彫られた文字は判読できないものが多くありました。

しかし、何百年の風雨に耐え、こうした仏様が残っているのは、決して信心深くはない私ですが、敬虔な気持ちになります。


福島散策記(7)へ続く。

2012/08/24

福島散策記(5)-信夫山の麓

福島散策記(4)より。

お昼になったので昼食に「円盤餃子」を食べたいと思って福島駅周辺をウロウロするもよくわからず、結局昼食はドトール…。

もう少し調べておいた方がよかったです…。


気を取り直して、午後から向かったのは「信夫山

麓に駒山公園や護国神社などがあります。


まずは護国神社にお参り。
おみくじは引かず。

護国神社の前には、菅原道真を祀る信夫山天満宮。

神牛もいました。

駒山公園

ここも駒山公園に入るのですかね。

これらは信夫山の入り口なのですが、
実は疲れていました(^-^;)

信夫山公園は山の上にありそう…。

ままチャリではきつい山道です。


信夫山公園はあきらめ、次に向かったのは「岩谷観音

途中の道は水路が整備され、涼しげな感じです。

この辺りかな、と自転車をおりて階段を登った先は、「観音寺」
もう少しのようです。

階段を降りて少し先に進むと、また階段を発見したので登ってみると、今度は「成田山」

そのまま山道を行けば、目的の「岩谷観音」に行けるような看板があったのですが、階段の下の方に自転車を止めているので、もう一度降ります…。

自転車に乗りもう少し行くと…、
看板、出てました…。

少し疲れつつも岩谷観音に到着です。


福島散策記(6)へ続く。

2012/08/23

福島散策記(4)

福島散策記(3)の続き。

紅葉山公園をあとにして、次に行ったところは「ふれあい歴史館」というところ。

ここでの写真は、ありませんm(_ _)m

建物だけでも撮っておいた方がブログに載せるにはよかったかも。


「ふれあい歴史館」では、福島市内で発掘された遺物や、寄贈された民俗資料などが展示されていました。

福島散策記(3)で再建中と書いた板倉神社の寄託資料も展示されていました。

福島市の古代から近代までの歴史が一覧できます。

2階の展示室では、特別展「家紋-家紋と名字からみるふくしまの歴史-」が展示されていました。


今年に入り祖父母が亡くなり、そのお葬式の際に、うちにも家紋があることを知りました。

家紋は「左三巴紋」(だったと思う…)。

家紋や名字から祖先を調べてみるのも面白いかもしれません。


次に訪れたのは、「福島稲荷神社」。

こちらは写真あり(^^)

境内(隣?)には聖徳太子の尊像が祀られているという「太子堂」もあります。

福島市指定の天然記念物「福島稲荷神社のニレ」という看板を見つけましたが、どの木が該当のニレかわからず…。

実家は造園業を営んでいる兼業農家ですが、植物を見て名前がわからないというのは、ちょっと…、と思う気もなくはなし…。

とりあえず見渡すなかで一番大きな木を撮ってみましたが、これは違うと思います。

せっかくなのでお参り。

おみくじがあったので引いてみたところ「吉」。

そして「旅行」の項目には「行かない方がいい」。

…おみくじはあまり信じません。


また近くには足尾神社のお摩り石や、

福島稲荷神社に伝わる力石もありました。

古峯神社という神社もありました。

神社の境内に神社があることは、ありがちなことなのですかね?

もう一度、福島稲荷神社。

街中にあるにも関わらず、境内が広く、お祭りのときはさぞにぎやかなことではないかと思います。

福島散策記(5)へ続く。

2012/08/21

福島散策記(3)-紅葉山公園

福島散策記(2)からの続き。


阿武隈川沿いの御倉邸をあとにして、次は福島県庁を通り過ぎ、

福島県庁近くの「紅葉山公園」に向かいました。
蝉の鳴き声しか聞こえません。

福島城の二の丸の外庭だったところです。

板倉神社もあったようですが、残念ながら先の東日本大震災により再建中。

若山牧水の歌碑がありました。
つばくらめ/ちゝと/飛びかひ/阿武隈の/
岸の/桃のはな/今/さかりなり
近くにあった立て看板には、
 歌人若山牧水は、大正5年(1916年)4月に福島に来て、この「阿武隈川のうた」を残した。
大正年間には、ここ紅葉山から阿武隈川の岸辺を見渡すと、その岸辺-山麓にかけて桃畑が続いて、その花が美しく咲いていたのであろう。
昭和41年(1966年)になって、この地にこの碑を建て、福島市の生んだ作曲家・古関裕而によって『阿武隈の歌』の曲を得て、永久にここに残ることになった。
歌碑の裏面には、その由来を伝えている。
と書かれてありました。

しかし歌碑の裏面は、
何も書いていないように思います…。

池や小川があったようですが、水の姿はなし。
少し残念です。

近くで出土した宝塔。


ここ紅葉山公園も、前回記事の「御倉邸」と同じく散歩コースですね。

夏の緑と光と蝉の声。

いいところです。

紅葉山という名前なので、紅葉の木もたくさんあり、秋の季節もいいかもしれませんね。


福島散策記(4)へ続く。

2012/08/20

福島散策記(2)-御倉邸

福島散策記(1)からの続き。

無事、自転車を借りることができたので、「御倉邸」に向かいます。

阿武隈川ほとりにあるので、まずは阿武隈川をパチリ。

そして、写真を撮るために自転車を止めた場所の近くにカラフルなマンホールがあったので、こちらもついでに。

「御倉邸」は、日本銀行福島支店の役宅として使用していたものを残したものです。

見渡すも特に受付等があるわけでなく、中へ。

一般開放されているので、中を勝手にウロウロします。

まずは洋間。

中庭を横目で見つつ…。

重そうな扉の倉がありました。
中をのぞいてみると、普通に倉庫として使われていました(^-^;)

そして、庭の見える和室へ。

違い棚のある床の間もあります。

庭の向こうは阿武隈川。

縁側。

電話室というのもありました。
懐かしい黒電話です。
「つながらない」という旨の貼り紙がありました…。

畳の一部が不規則になっていたので、畳をとってみたところ…、
何かがありそうです。

さらにあけると…、何だろうか?
facebookに写真をUPしたところ、「茶室」というコメントがあり、コンロ(というのか?)であることを知りました(^-^;)

最後に庭から。

後でパンフレットを見ると、琴の演奏会やお茶会などに使用されているらしく、また基本使用料なども載っていました。

途中、管理人の方(?)に会い、「見学の方ですか?」と言われ、「そうです」と答えたところ、「どうぞ、どうぞ」とのこと。

どこかにいたであろう管理人の方に一声かけた方がよかったかもしれません。

とりあえず、行ったときには催し物がなくウロウロできました(^-^;)


何か目玉となるようなものはありませんが、のんびりとするにはとてもいいところです。

阿武隈川沿いをしばらく散歩して、御倉邸で一休み、という一日を過ごしたくなります。


福島散策記(3)へ続く。

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