2017/03/15

立体的に世界を見る

最近、日本語と英語の違いについてのブログ記事を2つ見つけた。

ひとつは、シゴタノ!「英語を話せるようになるための第一歩は、日本語と英語の「モノの見方」の違いを知ること」という記事である。日本語は「ドライバーズビュー」、英語は「バードビュー」であると紹介している。
本書(引用注:遠藤雅義『英会話イメージトレース体得法』)では、日本語は「ドライバーズビュー」であり、英語は「バードビュー」であると主張されており、イラストで分かりやすく提示されているのですが、この説明(およびイラスト)を目にしたとき、「うわ、そういうことか!」と激しく腑に落ちました。
もうひとつのブログ記事は、STUDY HACKER「英語職人・時吉秀弥の英文法最終回答 第1回 「日本語と英語 世界のとらえ方」」である。
結論から言うと、日本語は「自分をカメラにして世界を眺める」言語です。(中略)
一方、まるで幽体離脱のように「自分を外から眺めながら話す」言語、それが英語なのです。

どちらの記事でも同じことを言っている。日本語は「ドライバーズビュー」で「自分をカメラにして世界を眺める」言語、英語は「バードビュー」で「自分を外から眺めながら話す」言語であると。もちろん、どちらが優れている言語か、ということではない。日本語と英語は視点・モノの見方が違うと言っている。その違いを認識すると英語がわかりやすく、使いやすくなるという内容である。

わたしが文法を好きな理由は、文法からモノの見方・視点を学びたいためである。STUDY HACKERの記事内で、それを言い表した文章があった。
実は文法というのは人間の感覚が世界を感じた結果が言葉の中に反映される「現象」なのです。
文法は人間の「感覚」そのものでできているのです。文法というのはルールではなく、一種の心理学のようなものだと考えましょう。
つまり、この世界で自分の周りに起きることを、「感覚がどのように捉えているのか」。文法が表しているのはそれです。

ここでは日本語と英語の比較だが、同じ日本語話者でも「文法」が違うと思っている。もちろん言語には伝達するという機能があるので、大部分は似たようなものだろう。しかし個人差はあると思っているし、個人によって世界の捉え方にも差があると思う。

また逆に人間である以上、英語話者でも日本語話者でも共通部分はある。外界を捉える感覚、五感は共通したものだからである。

人間は目が2つあるから立体的に見えるという。2つの視点から世界を見たとき、人間の捉えている世界がさらに立体的に見えると思う。

【参考記事】
シゴタノ!│英語を話せるようになるための第一歩は、日本語と英語の「モノの見方」の違いを知ること
STUDY HACKER│英語職人・時吉秀弥の英文法最終回答 第1回 「日本語と英語 世界のとらえ方」

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