2011/05/31

まだよくわからない

ご存知の方も多いかもしれませんが、クルト・ゲーデルが「不完全性定理」を証明した論文は「『プリンキピア・マテマティカ』やその関連体系での形式的に決定不可能な命題についてⅠ」というタイトルです。「Ⅰ」とついていますが、「Ⅱ」など、続編はありません。

「不完全性定理」という言葉を耳にしたのは大学生の頃で、その頃からずっとこの証明について理解しようとしているのですが、未だにわかったようなわからないような、という印象です。

学生の頃、言語学を学び始め、そこからちょっと手を伸ばしてヴィトゲンシュタインの「言語哲学」に興味を持ち、そこからゲーデルの「不完全性定理」を知りました。

流れとしては、あまりいい流れではありません。

何しろ、現代数学のことは知らないのですから…。

まあ、きちんと勉強はしていませんが、高校生の頃から数学は嫌いではなかったので、理解することはできるかもということで、ゲーデルの不完全性定理の理解に向かいました。

ですが、まだ「理解できた」とは、自信を持って言えない状況です。

2011/05/29

無限に向かう考察

茉崎ミユキさんの『数学ガール ゲーデルの不完全性定理①』を読みました。原作は結城浩さんの「数学ガール」シリーズということですが、原作の方は未読です。

さて、その『数学ガール』の中で、次の数式が正しいことについての説明がありました。
0.999… = 1
0.999…について以下のようにまとめられていました。
  • 0.999…は《ある数》を表している
  • 0.9、0.99、0.999 と進むと、《ある数》に限りなく近づく
  • 0.9、0.99、0.999 と進んでも、《ある数》は出てこない
  • 0.999…が表している《ある数》は1に等しい

イメージとしてはこんな感じです。
0.999… = 《ある数》 = 1
極限の考え方ですね。

また、補足として以下のことも記されていました。
0.999… (1に等しい)
0.999…9 (1より小さい)
無限に続く「…」の後に「9」があるかないかで、「=(等しい)」なのか、「<(より小さい)」なのかが違っています。

ここで思い出したのが、「 0 = 0.000…1 」の話です。

「0.999…9<1」ならば、「0 = 0.000…1」ではなく、「0<0.000…1」ではないのかな、あるいは、「0.999… = 0.999…9」ではないのかな、とちょっと思った次第です。

以下、無限小数に対しての考察です。

ちなみに、私は数学の専門家ではありませんので、表現や厳密性に欠ける場合があります。ご了承ください。

2011/05/28

スマホスマフォ

きっかけは、@dlitさんの以下のツイートでした。

ファ行/ハ行問題は語頭にあるかかどうかも重要そう、というか重要だったら良いな。less than a minute ago via Tween Favorite Retweet Reply


ファ行/ハ行問題は語頭にあるかかどうかも重要そう、というか重要だったら良いな。

さて、「ファ行/ハ行問題」とは何だろう?と思って、@dlitさんのタイムラインを眺めてみると、どうやら「『スマートフォン』を略して『スマホ』と言うけれど、『フォ』が『ホ』になるのはなぜか?」という問題のようです。

興味がわいたので、考えてみたいと思います。

(そのときのツイートのまとめはコチラ

2011/05/26

失敗学をすすめてほしい

5月24日、東京電力福島第一原発、第二原発の事故原因と事故被害の原因を中立的な立場から調査、検証し、被害の拡大防止や同種事故の再発防止に向けた政策提言を行う東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(以下「検証委員会」)の設置が閣議決定され、委員長に「失敗学」で有名な畑村洋太郎氏の起用が決まりました。
NHKニュース「原発事故 検証委員長に畑村氏」
政府は、24日の閣議で、東京電力福島第一原子力発電所の事故で「事故調査・検証委員会」を設置することを決め、委員長には「失敗学」で知られる東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏を起用することになりました。
「事故調査・検証委員会」は、福島第一原発と福島第二原発の事故原因を究明するために調査や検証を行って被害の拡大を防ぐとともに、事故の再発を防止するための政策提言を行うもので、24日の閣議で設置が正式に決定されました。これを受けて、菅総理大臣は検証委員会の委員長に「失敗学」で知られる東京大学名誉教授の畑村洋太郎氏の起用を決め、仙谷官房副長官が発表しました。畑村氏は70歳。東京大学工学部の教授を経て、過去の失敗の背景や組織的原因を究明し、再発防止に役立てようという「失敗学」を提唱して、平成14年には「失敗学会」を設立して理事長を務めています。これまでに、JR西日本の福知山線脱線事故や六本木ヒルズの回転ドア事故など、数多くの事故を調べてきています。委員会のそのほかの委員についても、検証を中立的な立場から多角的に行うために、これまで原子力行政に携わった経験がある人などを極力避けて人選し、できるだけ早く検証作業に入り、年内に中間報告を取りまとめたいとしています。これについて、仙谷官房副長官は、記者会見で「国民の目線に立って開かれた中立的な立場から徹底的に検証を行い、その結果を国内外に明らかにしていく必要がある。東京電力をはじめ、関係の行政機関や、総理大臣を含めた閣僚の行動も聖域なく対象として幅広く検証する」と述べました。

現状の事態の収拾が優先とはなりますが、今後同様なことを起こさないためにも、畑村さんには期待しています。

2011/05/24

成長に目を向ける

まとまった休みが取れたので、久しぶりに帰省していました。

帰省先は、愛媛県の宇和島の近く。町名を挙げても知らない人がほとんどなので、実家を聞かれると、「宇和島市の近く」と答えています。(それでも知っている人の方が少ない気もしますが…)

3日間、実家でのんびりと過ごしておりました。

その中の1日、久しぶりに「南楽園」に行きました。いつ以来なのかは覚えていませんが、10数回は行っているような気がします。

「南楽園」は、南予レクリエーション都市の一環として作られた、池泉回遊式日本庭園です。

おもしろい・楽しい、というところではありません(怒られるかな…)が、のんびりゆったりすることはできます。

5月21日~6月5日まで「花菖蒲まつり」が開かれています。

しかし、あいにくの雨…。

のびのびとすることはできませんでした。

2011/05/20

電話窓口の究極の目標は、顧客からの電話をなくすこと

私は、電話窓口の究極の目標は、「顧客からの電話をなくすこと」だと考えています。

しかし実際問題、顧客からの電話をなくしてしまうことはできない。

それでも「顧客からの電話をなくすこと」を目標とするのは、次のような理由があるからです。

2011/05/17

ハーフマラソンに挑戦

去る3月にマラソン(10km)に挑戦し、無事完走しました。
「淀川国際ハーフマラソンに参加」参照)

今度は、ハーフマラソンにチャレンジです。

おもてなし日本一を目指す。大阪・淀川市民マラソン

開催は11月6日(日)と少し先ですが、エントリーしました。


3月に10kmを走った後、しばらく走るのをサボっていたため、また一からの走り込みです。

先日、久しぶりに走ったときは、5kmでダウン…。


まだ時間には余裕があるので、徐々に身体を慣らしていきたいと思います。


しかし、マラソンの大会というのは、朝が早いな…。

2011/05/10

Google Chrome:新しいタブで検索結果を開く方法

ライフハッカーさんに、「Google Chromeで検索結果を常に新しいタブで開く方法」という記事が載っていたので、早速試してみました。

Webページを見ていてわからない言葉などがあれば検索してみるのですが、その際にアドレスバーに検索ワードを入れてそのまま検索してしまうことがよくあるので、検索結果は新しいタブとして開けないのかな、と思っていたため、重宝しそうです。


記事によると、2つの方法があるようです。

1つは、Chromeの設定変更をせず、「Alter」キー+「Enter」キーで検索結果を表示する方法。

もう1つは、Chromeの検索の設定自体を変更する方法。

いつも新しいタブを開いて、そのタブで検索するという方法をとっていた私は、迷わず後者の設定変更をしてみました。

「Chromeの検索バーを右クリックして『検索エンジンの編集』から設定できます。」と書かれていたので、簡単にできそうだと思いやってみようとしましたが、ちょっと迷いました。設定はできたので、迷った部分をちょっと残しておこうと思った次第です。

2011/05/07

老荘思想についての覚書

先日より、「老荘思想」について勉強中で、今読んでいる本は、森三樹三郎『老子・荘子』(講談社学術文庫)です。

先日の記事にも書きましたが、私は、老子・荘子について名前を知っている程度で、「老荘思想とはどんな思想か?」と問われれば、上手く説明できません。


今までならば、荘子の「胡蝶の夢」の話は知っているので、そこから類推しながらの説明になっていくでしょう。

「胡蝶の夢」は、ご存じの方も多いと思いますが、次のような話です。

いつか壮周(荘子)は、夢のなかで胡蝶になっていた。そのとき私(荘子)は嬉々として胡蝶そのものであった。ただ楽しいばかりで、心のゆくままに飛びまわっていた。そして自分が壮周であることに気づかなかった。
ところが、とつぜん目がさめてみると、まぎれもなく壮周そのものであった。
いったい壮周が夢の中で胡蝶になっていたのか、それとも胡蝶が夢の中で壮周になっているのか、私にはわからない。
けれども壮周と胡蝶とでは、たしかに区別があるはずである。それなのに区別がつかないのは、なぜだろうか。
ほかでもない。これが物の変化というものだからである。
(森三樹三郎『老子・荘子』より)

この話の前半部分は中学(高校?)の漢文の授業で習ったときから、ずっと頭に残っている話です。

壮周と胡蝶を区別するものは何か?
夢と現実を区別するものは何か?
逆に、壮周と胡蝶を同一とするものは何か?
夢と現実をつなげるものは何か?

さらには、この私がいる現実は、ひょっとするとだれかの夢ではないのか?

朝起きたら虫になっていた、というのはカフカの『変身』の世界ですが、「すべての話は夢でした」というようなオチの漫画などもあったと覚えており、物語などではよくあらわれるテーマ・手法でもあります。

ここから話を進めていき、おそらくはメタ的な説明をしていっただろうと思います。

それはそれで間違いではない(と思う)のですが、老荘思想の説明の一部分しかになっていないと思います。


まだ、受け売りの知識が大半となりますが、『老子・荘子』を読んでいくなかで学んだこと・感じたことを覚書として記述していきたいと思います。

2011/05/06

思想系・哲学系の本を読んでみよう

『論語』については、一通り目を通していますが、同時代(?)の老荘思想についてはあまり知りませんでした。老子・荘子の名前くらいは知っていますが、老子で思いつくものは「道」、荘子で思いつくものは「胡蝶の夢」、たったこれくらいのことしか知らないことに、はたと気づきました。(『論語』も目を通しているだけで理解しているとは言い難いです…。)


このゴールデンウィーク期間中は、特に予定がなかったこともあり、読書三昧。積読をしていた本を1冊は読もうと思っていたのですが、手にした本が悪かった(別に悪い本という意味ではないです。はい)。

読み始めた本は、百川敬仁(著)『夢野久作 方法としての異界』。

なぜこの本を手にしたのか、といえば、読書の時間としては結構時間があるので、夢野久作さんの『ドグラ・マグラ』も合わせて読もうと思ったからです。

まずは『ドグラ・マグラ』、そして『方法としての異界』。

『方法としての異界』を読み進むにつれ、私にはついていけないところがたくさんあるな、と感じました。

大きな理由は、夢野久作さんのことをあまり知らないから。夢野久作さんの作品は、『ドグラ・マグラ』と『あやかしの鼓』しか読んだことはありません。そして、もうひとつは、百川敬仁さんの「異界論」も全く知らないから。

じゃあ、なんでそんな本を買ったのか? う~ん、買ったのは5年くらい前のような気がします…。もっと前かも。

まあ、それでも読み進めることはできるので、まとまった時間があるし、読んでみよう、と読み始めました。