曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。論語の中でも比較的有名な文ですね。
人の為に謀りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝えしか、と。
さて、わが身を三省すの「三」は、「忠ならざるか」「信ならざるか」「習わざるを伝えしか」の3つとも取れますが、「多くの」という意味にも取れます(加地伸行『論語』の注にも有り)。
「3」は複数を表わすときがあるのです。
例えば、数字の3を漢字で書くと「参」とも書きます。「参加」「参画」「参観」など、多くの人が集まるときに使いますね。
また「参」は、訓読みで「参る」という動詞でも使います。「行く・来る」の謙譲語です。いろいろな言語の文法を見ると、複数形と尊敬が絡んでいることがわかります(というか、そんなことを何かの本で読んだ記憶があります)。パッと例が思い浮かびませんが、Royal "we"(王族が自分のことを言うときにweを使う)とか、かな(^-^;)
さらには、英語のように単数形と複数形を区別する言語がありますが、単数形(1つ)と双数形(2つ)と複数形(3つ以上)を区別する言語もあります。しかし、単数・双数・参数(?)・複数を区別する言語は聞いたことはありません。3以上は複数です。
「石の上にも三年」と言いますが、これは「三年間」というよりは、「長年」と捉えた方がいいかと思います。
と、まぁこんなことを何かの本で読んだ記憶があるのですが、何の本だったのか覚えていません。言語学系の本のような気がします(^-^;)
「習わざるを伝えしか…」
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