ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2011/03/27

学而第一・13「有子曰、信近於義、~」

有子曰く、信義に近ければ、言復む可し。
恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかる。
因ること其の親を失わざれば、亦宗ぶ可し。

加地伸行氏の『論語』での訳は、
有先生の教え。約束(信)の内容が[仮に良くないとしても、]道義(義)に反するほどのものでないならば、言ったとおりにしてよい。相手への丁寧さ(恭)が[仮に馬鹿丁寧であっても、]作法に反するほどのものでなければ、丁寧にしても恥をかくわけではない。他者への依頼が[仮に度を越していたとしても、]親しむべきありかたにそうはずれていないならば、その依頼する相手への尊敬心を持ち続け、お願いせよ。

一方、斉藤孝氏の『現代語訳 論語』では、
有子がいった。
「約束を守る<信>の心が<義>の精神に沿っていれば、約束を履行できる。丁重に人に接する<恭>の心は、<礼>に沿えば人から軽んじられにくい。人に頼るときは、親しむべき人をまちがえなければ、うまくいく。」

最後の一文の解釈が分かれているようです。

加地伸行氏の『論語』には、次のような脚注があります。
「因」を姻族(配偶者側の一族)、「親」を親族(宗族。自分側の一族)とし、宗族は助け頼りあうが、姻族といえどもしたしむべきありかたを失わないかぎり、助け頼りあうとする(鄭玄)、あるいは「可宗」を「そういうりっぱな人は<宗>一族の長たるべきである」とする『逢原』説もある。
ともあります。
(注:「鄭玄」…鄭玄『論語鄭氏注』、「逢原」…中井履軒『論語逢原』)

以下、漢文や論語の知識がない、私の勝手な考えの記録です…。

2011/02/13

学而第一・8「子曰、君子不重、~」

「君子」とは何か? どんな人か?

その回答のひとつが以下の言葉です。
子曰く、君子重からざれば、則ち威あらず。
学びても則ち固ならず。
忠信を主とし、己に如かざる者を友とする無かれ。
過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。

「君子」は、「重くなければ威はない」「学んでも固くならない」。

さて、どんなことをいっているのか?
訳語をもとにしてはいますが、以下、私なりの解釈です。

2011/02/02

学而第一・7「子夏曰、賢賢易色、~」

子夏曰く、賢を賢として色を易んじ、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わり、言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。
「賢を賢として色を易んじ」の解釈がわかれているようです(加地伸行全訳注『論語』)。1つは一般的な解釈として、「色を易んじ」を「女色を軽んじる」すなわち女性を追っかけたりしない、という解釈。もう1つは、夫婦のあり方として「容姿などは2の次だ」という解釈(加地伸行全訳注『論語』はこちらの解釈を採用)。

「色」が「外見の美しい人」を表わすのであれば、「姿形にとらわれず、賢いものを賢いとする」という意味にとれるでしょう。斉藤孝訳『現代語訳 論語』では、「美人を好むかわりに、賢人を尊敬し、~」となっています。

どちらにしても、「外見でなく中身を見る」ということですね。

ここでのキーワードは、「学ぶ」。

これから論語の言葉の中で、「学ぶ」を追っかけてみたくなりました。

2011/02/01

学而第一・6「子曰、弟子入則孝、~」

子曰く、弟子入りて則ち孝、出でては則ち悌たれ。
謹みて信、汎く衆を愛して仁に親づけ。
行ないて余力あらば、則ち以て文を学べ。
「弟子」は「でし」ではなく「ていし」と読み、若者を指します。

若者は家庭生活では「孝」(親孝行の「孝」)を、社会生活では「悌(てい)」(目上の人を敬うこと)を行いなさい。言行を謹み、言行一致を、そして世間の人々を愛し「仁」に近づきなさい。

「サーバント・リーダー」を思い起こさせる一文(いや、二文)です。

2011/01/28

学而第一・5「子曰、道千乗之国、~」

子曰く、千乗の国を道くには、事を敬して信、
用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。
加地伸行『論語』によれば、「千乗の国」はいろいろな解釈があるそうです(調べてはいませんが…)。ここでは単純に「大国」としておきます。

大まかに言うと、大国を治めるには、「慎重」「信用」「節約」「敬愛」「気遣い」が必要ということ。

大国を治めるときだけでなく、会社でも同じですね。

あまり、この文には魅かれない、と言ったら怒られますかね…。

しかし、「リーダーシップ論」としても読めるので、いい言葉です。

2011/01/25

学而第一・4「曾子曰、吾日三省吾身。~」

曾子曰く、吾日に吾が身を三省す。
人の為に謀りて忠ならざるか、
朋友と交わりて信ならざるか、
習わざるを伝えしか、と。
論語の中でも比較的有名な文ですね。

さて、わが身を三省すの「三」は、「忠ならざるか」「信ならざるか」「習わざるを伝えしか」の3つとも取れますが、「多くの」という意味にも取れます(加地伸行『論語』の注にも有り)。

「3」は複数を表わすときがあるのです。

ブログ アーカイブ