有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、
上を犯すを好む者は鮮なし。
上を犯すを好まずして、乱を作すを好む者は、
未だ之れ有らざるなり。
君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟は其れ仁の本為るか。
学而第一・2の有子の言葉です。
最初の2行。「人柄が孝弟で、目上の人に逆らうことが好きな人は少ない。目上の人に逆らうことを好まない人で、反乱することが好きな人はいない。」「孝弟」の「孝」は、親孝行の孝で、父母に尽くすこと、「弟(悌)」は年長者を敬うことです。
集合論ですね。
まずは、「人と為りが孝弟」で「上を犯すを好む者」は少ない、と言っています。「少ない」というからには、いるにはいるのでしょう。「0」ではない。しかし「上を犯すを好む者」の否定、つまり「上を犯すを好む者」の補集合である「上を犯すを好まない者」については、「乱を作すを好む者」はいない、つまりは「0」だ、と言っています。
ここから考えると、「上を犯すを好む者」の部分集合として「乱を作すを好む者」がある、というわけです。
ということは、ひょっとすると、「人柄が孝弟で、反乱することが好きな人は少なし(しかし「0」ではないかもしれない)。」とも言えそうです。
ベン図にするとわかりやすいかもしれません。
だからどうした、と言われれば、それまでなのですが(^-^;)
さて、後段の部分ですが、キーワードである「君子」が出てきました。
そして、もう一つのキーワード「仁」です。
君子は根本に力を尽くす。根本が確立すると道(道理)が生じる。
孝弟とは仁の根本ではないか。
仁の根本である孝弟にも、君子は力を尽くします。ということは、「上を犯すを好む者」や「乱を作すを好む者」の中には(「0」ではないが、)ほとんどいない、ということですね。
なんとなく、このブログが変な方向に走り出した気がします。。。
なんとなく、です。
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