Is all our Life, then, but a dreamSeen faintly in the golden gleamAthwart Time's dark resistless stream ?Bowed to the earth with bitter woe,Or laughing at some raree-show,We flutter idly to and fro.Man's little Day in haste we spend,And, from its merry noontide, sendNo glance to meet the silent end.あらゆるわれらの人生は、すると夢にすぎないか一条の金色の光の中にかすかに見えるのみか残忍な時の暗流をよぎって暴虐なる憂いに頭をたれ、あるいは浮かれ気分で覗き眼鏡に笑いはしゃぎ漫然とわれらうろつくのみ慌しく人の短き日を過ごしいとも陽気な真昼から、われらざわめきの絶える終わりを一瞥もせず
この詩はアクロスティック(acrostic)になっているという。各行の最初の文字を順に並べると
Isa Bowman となる。Isa Bowman
はキャロルのガールフレンド(少女友達)の名前である。さらに正確には double
acrostic となっていて、各連の最初の三文字をあわせても Isa Bowman
となる。各行の最初の文字を太字に、各連の最初の三文字を赤文字にしたものを以下に挙げる。
Is all our Life, then, but a dreamSeen faintly in the golden gleamAthwart Time's dark resistless stream ?Bowed to the earth with bitter woe,Or laughing at some raree-show,We flutter idly to and fro.Man's little Day in haste we spend,And, from its merry noontide, sendNo glance to meet the silent end.
柳瀬は Isa Bowman
を「アイザ・ボウマン」と読み(正確な読みはわからないらしい。「アイサ」かもしれないし「イサ」かもしれない)、各行の冒頭を「ア・イ・ザ/ボ・ウ・マ・ン/ア・イ・ザ」となるように訳している。
さらに柳瀬は、「こう翻訳した本人が、いまひとつ気に入らない」として、『英語遊び』のなかで「総ひらがな方式」での訳を挙げている。
ありとあらゆるわれらのじんせいはするとはかなきゆめにすぎざるかときのあんりゆうにうすぼんやりひかるがみえるのみかうれいごとにこうべをたれはたまたのぞきめがねにたわむれあんいにひびをおくるわれらなりあわただしくもひをすごしつついちべつすらあたえることをせざるなりおわりなるちんもくに
漢字交じりの文で書くと、「ありとあらゆるわれらの人生は、すると、はかなき夢にすぎざるか、時の暗流にうすぼんやり光るが見えるのみか、憂いごとに頭をたれ、はたまた覗き眼鏡にたわむれ、安易に日々を送るわれらなり、あわただしくも日を過ごしつつ、一瞥すら与えることをせざるなり、終わりなる沈黙に」となる。
こんなものを見せられると、何かつくってみたくなる。「やなせなおき」でつくってみる。
やなせかいとひらがなでかくとやなせかいとよみがちなのであとでせいかくにかんじをかかなければなおきまりわるくぼくのこころはおれそうになるもののかんじをかきあらわすならやなせかいである
まったく詩的ではなく、私的な文章となった。「やなせかいと平仮名で書くと、嫌な世界と読みがちなので、あとで正確に漢字を書かなければ、なおきまり悪く、僕のこころは折れそうになるものの、感じを書き表すなら柳瀬買いである。」
なお「柳瀬買い」は、清水義範さんの短編「船が洲を上へ行く」より拝借した。「船が洲を上へ行く」が収録されている短編集『私は作中の人物である』(講談社文庫)の解説を柳瀬さんが書いていることは知っていたが、柳瀬さんの『英語遊び』(河出文庫)の解説を清水さんが書いていることに驚いた。以下は「船が洲を上へ行く」からの引用である(本文は総ルビで書かれているがここでは省略している)。
この錯品のように是論から書くのではなく、原文にそう胃う意身の多汁性があるのを、こちらの孤島歯に置き帰ていくんだからモノ凄い。多駄田だ、驚学する秤りである。柳瀬買いである。
0 件のコメント:
コメントを投稿