2020/07/15

復本一郎『俳句実践講義』

復本一郎『俳句実践講義』(岩波現代文庫)を読んだ。俳句とはどのような文芸なのかということが俳句の成立の歴史から述べられており、これまでよりも俳句が楽しめそうな気がする。俳句とは、五・七・五の十七文字で表す詩で、季語を入れるという基本的なルールくらいは知っていたが、俳句の良し悪しはどのように判断すればよいのかはあまりわかっていなかった。しかし、この本を読むことで、特に「切れ」について学ぶことで、俳句に対する理解が深まったように思う。「キレがある」という言い方があるが、もしかすると俳句の「切れ」が語源ではないかと思えた。

俳諧・俳句では「切字」が重視されていた。たしかに学校の授業で「切字」というものがあるということは聞いたことがあったが、その機能、役割については全く認識していなかった。この本では、なぜ「切字」が重視されていたのかについて、俳句成立の歴史的な背景とともに、大学生の実作の評価も加えて丁寧に解説されており、俳句が何を目指して発展してきたのかということの理解が深まった。

俳句とは、2つの世界のぶつかり合いだという。「二つの世界が一句の中でぶつかり合って、一つの世界へと融合するのです。二つの事物・事象の「とり合」(取合せ)によってもたらされる「行てかへる」構造を持った五・七・五の十七音(文字)の世界が発句ということになります」という。二つの世界のうちのひとつは、いわば「季語」の世界。「季語」にはその季語がもつ季節感はもちろん、これまでに歌などで読まれてきたイメージ・印象がある。「雅」の世界ともいえる。その世界に、「俗」の世界、身近なあるいは個人的な事物・事象を取り合わせることでぶつかり合い、融合するというということである。まだ上手く説明はできないが、数学で接線(あるいは接点)を求めるような感覚ではないかと思う。

俳人の夏井いつきさんが、季語の入っていない十二音のフレーズ(「俳句の種」と呼んでいる)と五音の季語を合わせたら俳句になるとYouTubeで言っていた。「切れ」を理解することで、この意味するところがより理解できたように思う。


僕は、これまで俳句を作ろうとすると、季語を探してそこからイメージを広げるというようなやり方をしてきた(してきたというほど俳句を作ったことはないけれど……)。それだとありきたりな陳腐な表現、そして月並になりがちであることも理解できた。

月並については、迷亭が「まず年はニ八か二九からぬと言わず語らず物思いの間に寝転んで居て、此日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶ連中」であるとか、「馬琴の胴へメジヨウ、ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包んで置く」とできるとか、「中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上がります」とか言っているので参考にしてほしい。


【書名】 俳句実践講義
【著者】 復本一郎
【出版社】 岩波書店(岩波現代文庫)
【発行年月日】 2012/5/16
(2003年4月、岩波書店より単行本で刊行されたものを文庫化)
【内容】(裏表紙より)
大学生への俳句の実作指導を通して、俳諧・俳句文学の歴史と理論、その味わい方を、具体的かつわかり易く講義する。近世の芭蕉、鬼貫、去来、土芳、近代の子規、虚子、さらに現代俳句の日野草城にいたる代表的な俳論、俳句を広く紹介して、俳句文芸の骨格たる「切字」「季語」「取合せ」「写生」などをテーマにして、俳句の独自性と勘所、その奥深い魅力を解説する。

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