2020/07/19

北村薫『詩歌の待ち伏せ』

本を読んでいると、その著者の語り口が移ってきたように思うときがあります。本を読みながら考えごとをしていると、ふと作者の口調や言葉遣いで考えていることに気づくのです。今回は、そんな余韻に浸りながら書き連ねていきたいと思います。

最近、少しずつではありますが、北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ』を読んでいます。

詩、短歌、俳句などの詩歌について、私はどちらかといえば敬遠していました。何となくいいなと思うものもあれば、よくわからないというものもある。感性が豊かでないと味わえないものではないか。感受性の乏しい私が、詩歌を味わうことは難しいだろう。そのように思い、詩人の感覚や物事の捉え方、言葉の使い方などにあこがれはするものの手の届かぬところにある気がして、なかなか手が出ないのです。

北村さんは、詩歌が待ち伏せをしているといいます。
心魅かれる詩人がいたら、そういう『詩集』で読むのが本筋です。
しかしながら、いきなり、そこに行く読者も少ないと思います。きっかけが必要です。まず、どこかでちらりと出会うのだと思います。
(……中略……)
小説以上に、詩や短歌、俳句は、こういう偶然の出会いから、それぞれにとって大事なものとなることが多いのではないでしょうか。わたしなどは、系統立ててというより、その時々、手に触れたものを読んで行く方だから、なおさらです。
そういったように、いわば心躍る待ち伏せをして、否応無しにわたしを捕らえた詩句について、ここで述べてみたいのです。 
この本は、北村さんが、待ち伏せをしている詩歌に出会い、捕らえられたときの体験をつづったエッセイ集です。

もし、詩歌が待ち伏せをしているならば、手が出ないといって敬遠していると、出会うことはありません。すべての詩歌が私を待ち伏せしているとは言えないでしょうが、私を待ち伏せしている詩歌はひとつもないと言い切ることもできません。

思えば、私の好きな作家とかアーティストとかそういう人たちの作品も、たとえば小説ならばその小説の一部とどこかでちらりと出会い、その小説を読んでみたくなり、その人が書いた他の小説も読んでみたくなり、と広がってきました。詩歌を別物とする理由はありません。

本を読むことの意味の幅が広がります。本を読むことは、その本の作者と出会い、会話することですが、その作者の友人知人と出会うことでもあります。人と人の間に言葉があるのと同じように、本もそこにあるのです。

北村さんの『詩歌の待ち伏せ』に載っている詩歌やその作者の方々について、私はほとんど知りませんでした。しかし、北村さんを介して語られることで、詩人と呼ばれる方々、そしてその作品たちの人柄を少し垣間見ることができました。

読んだのは半分ほどですので、これからまた、まだ出会ったことのない詩歌に出会えるのが楽しみです。


【書名】 詩歌の待ち伏せ
【著者】 北村薫
【出版社】 筑摩書房(ちくま文庫)
【刊行年月日】 2020/7/10
(文藝春秋(文春文庫)より刊行された『詩歌の待ち伏せ1』(2006/2)、『同2』(2006/3)、『同3』(2009/12)の3冊を合本し、加筆訂正を加え文庫化)
【内容】(裏表紙より)
本の達人・北村薫が古今東西、有名無名を問わず、日々の生活の中で出会った詩歌について語るエッセイ集。作品、作家への愛着や思いがけない出会いが、鋭敏な感性や深い想像力とともに丁寧に穏やかに語られるとき“詩歌”の世界の奥深さと溢れる愛情を感じずにはいられない。これまで分冊で刊行されてきたものを1冊に合本し、〈決定版〉としてよみがえる。解説 佐藤夕子

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