2020/07/19

出会えなかったかもしれない

引き続きこの口調で文章を綴っていきたいと思います。

北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ』の冒頭は、こんな文章ではじまっています。
『詩歌の待ち伏せ』が、一冊本としてよみがえります。
最初読んだときには単に文庫化されたんだという意味で読んでいましたが、昨日この本のことについて書いていると、あらためて考えさせられました。

いま手元にある『詩歌の待ち伏せ』は、先日書店で見かけて購入したもので、筑摩書房(ちくま文庫)から発行されたばかりの本です。2020年7月10日の発行となっています。以前は3分冊となって刊行されていましたが、その3冊が合本されて発行されたので「一冊本としてよみがえります」と書かれています。

以前の3分冊版は手元にありませんし、そもそも北村さんがこのような本を出版していることすら知りませんでした。ちくま文庫版が書店に並んでいることで読んでみようと思ったしだいです。

ちくま文庫版には「本書は文藝春秋より刊行された『詩歌の待ち伏せ1』(文春文庫 2006年2月)、『同2』(同年3月)、『同3』(2009年12月)の三冊を合本し、加筆訂正を加え文庫化したものです」と書かれていました。インターネットで調べたところ、文藝春秋からは単行本として『詩歌の待ち伏せ』(上・下)、『続・詩歌の待ち伏せ』が出版されていました。発行は、上巻2002年6月、下巻2003年10月、『続』は2005年4月です。おそらくは雑誌に連載されたものをまとめたもので、上・下巻のあと『続』との間が空いているのは中断期間があったからではないかと思います。(最初は『オール讀物』2000年2月号から連載されていたもののようです。掲載月号の詳細は未確認)

雑誌掲載から単行本として刊行、そして文庫化というのは珍しくない流れで、分冊を合本化することや、逆に分冊化されること、また版元が変わることも珍しいことではありません。ただ、――よみがえるのが早すぎではないですか――と思ってしまいました。

よみがえってくれたことは嬉しいことです。そのおかげで私はこの本を手に取ることができ、紹介されている詩歌の待ち伏せに楽しませてもらっています。しかし、よみがえるということは、その前に一度死んでしまったということです。つまり、よみがえるのが早すぎではなく、――死ぬのが早すぎではないですか――ということです。

文春文庫版(3分冊版)の3巻目の発行は2009年12月。ちくま文庫版が2020年7月。この約10年の間に一度死んでしまったということになります。良書であるからよみがえったのでしょうが、良書にもかかわらず10年ほどの命だったと考えると、少し悲しくなりました。

もちろん完全に死んでしまったわけではなく、本を持っている人は持っているでしょうし、図書館などにも存在しているでしょう。どこかしらで生きのびてはいます。また、本になることなく現れては消えていく文章もあるなかで、単行本化され、文庫化され、再度刊行されること自体が良書であることの証であり、本の命が続いていることの現れであると考えることもできます。

とすれば、悲しくなったというのは、ここで出会えてよかったということの裏返しです。出会えてよかったと思っているからこそ、出会えなかったかもしれないことを考えたときに悲しくなるのではないでしょうか。

これは本のことだけではなく、人についてもいえるのかもしれません。別れがつらい、悲しいのは、その人に出会えてよかったと思っているからではないかと思うのです。


【書名】 詩歌の待ち伏せ
【著者】 北村薫
【出版社】 筑摩書房(ちくま文庫)
【刊行年月日】 2020/7/10
(文藝春秋(文春文庫)より刊行された『詩歌の待ち伏せ1』(2006/2)、『同2』(2006/3)、『同3』(2009/12)の3冊を合本し、加筆訂正を加え文庫化)
【内容】(裏表紙より)
本の達人・北村薫が古今東西、有名無名を問わず、日々の生活の中で出会った詩歌について語るエッセイ集。作品、作家への愛着や思いがけない出会いが、鋭敏な感性や深い想像力とともに丁寧に穏やかに語られるとき“詩歌”の世界の奥深さと溢れる愛情を感じずにはいられない。これまで分冊で刊行されてきたものを1冊に合本し、〈決定版〉としてよみがえる。解説 佐藤夕子


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