英語の tale と tail
は、片仮名で書くと、ともに「テイル」と発音するため、しばしば言葉遊びに用いられる。すぐに思い出されるものは、キャロルの『不思議の国のアリス』にある鼠の尾話である(訳文は柳瀬尚紀訳)。
“Mine is a long and a sad tale!” said the Mouse, turning to Alice, and sighing.“It is a long tail, certainly,” said Alice, looking down with wonder at the Mouse’s tail: “but why do you call it sad?”
「悲しい長いお話でなあ」鼠はいい、アリスを振り向いて溜息をついた。「長い尾は無しですって、あんなに長い尾なのに」アリスは鼠の尻尾を先までしげしげと眺めた。「どうして悲しいなんていうんですか?」
引用した箇所は第3章で、章題は A Caucus-Race and a Long Tale
である。柳瀬はこれを「コーカス競争と長い長い尾話」と訳している。tale と tail
で「尾話」である。
これから書いていくことは、燕の尾話である。
「スワロウテイル」は、swallowtail
と綴る。「揚羽蝶(アゲハチョウ)」のことである。swallowtail は swallow tail
で、swallow は「燕(ツバメ)」、tail
は「尾」、つまり「燕の尾」という意味である。燕の尾のような羽の蝶が揚羽蝶である。
「燕尾服」という服がある。燕の尾のかたちをした服で「モーニング」とも呼ばれる。「燕尾服」を英語でいうと
swallow-tailed coat で、swallow-tailed coat
を訳して「燕尾服」としたともいわれている。しかし、今野真二『振仮名の歴史』を読んでいると、次のような文章に出会った。
この「燕尾服」は「swallow-tailed coat」という英語をそのまま日本語に訳したものだといわれている。しかし「エンビ(燕尾)」という漢語は日本語の中でわりあいと古くから使われており、直訳からできた語と断言しない方がよいようにも思う。
ここでいわれていることは、swallow-tailed
は「燕の尾のかたちをした」だから「燕尾」という漢語を作って訳したというわけではなく、もともと「燕尾」という漢語があって、ちょうど
swallow-tail(ed) に当てはまった可能性があることを述べている。
ためしに手元の漢和辞典で「燕」を引いてみた。「燕」の項には、「燕尾」や「燕尾服」は載っていなかったが、「燕服」という単語が載っていた。「宴服」「讌服」とも書くようで「日常、くつろいだときに着る衣服。普段着」と書いてある。「讌」には「酒盛り、宴会」のような意味がある。「燕」という漢字は鳥である「ツバメ」の意味もあるが、「くつろぎ落ち着いて酒食を楽しむ(こと)」という意味もある。「ゆったりと落ち着く」とか「うちとける」という意味もある。そのため「燕」を、「宴」の字に当てたり「安」の字に当てたりすることもある。
ツバメの特徴のひとつは尾のかたちで、二股に分かれている。swallowtail「燕尾」とはこのかたちを意味していて、裾の後ろが燕の尾のように二股になっている服が
swallow-tailed
coat「燕尾服」である。「燕服」が普段着であることを考えると、「燕尾服」は燕の格好をしようと努力しているようにも思う。揚羽蝶も燕のようになりたいと思っているのかもしれない。
先に『振仮名の歴史』からの引用を挙げたが、ここには振仮名の例として「燕尾服」などが載っていたわけではない。ここで載っていたのは、「断後衣」という漢字に「テイルコート」と振仮名が付けられていることである。現在、振仮名は通常、縦書きであれば、漢字の右側に書かれているが、「テイルコート」は左側に付いている。1876年(明治11年)に出版された丹羽純一郎(訳)『龍動新繁昌記』(「龍動」は「ロンドン」と読む。ジョン・マレイ著『Handbook
to London as it
is』の翻案書)という本の中の例で、この本では漢字の左右に振仮名が付いていて、右振仮名が読み、左振仮名が外来語の振仮名であるという。「断後衣」には右振仮名がなかった。
これは翻訳のためにつくった、漢字による書き方であることを示唆しているのではないだろうか。だから「読みとしての振仮名」を付けなかった。つまり「ダンゴイ」という語は安定してみんなが使うような語ではなかった。もしかすると、ここだけにしかみられないかもしれない。
「テイルコート」は tail coat で、swallow-tailed coat
つまり「燕尾服」のことである。今では「燕尾服」という服も言葉も知っているから
tail coat
は「燕尾服」のことだとわかるが、明治11年ということは、開国後、外国(欧米)の文化が押し寄せている時代である。そこに
tail coat
なる服があり、もちろん日本にはないかたちの服であるのでそれをどのように訳そうかと考えた結果が「断後衣」であると思われる。『振仮名の歴史』の中には書かれていないが、「断後衣」は「裾の後ろが二股に分かれている(断たれている)衣」という意味で付けられたのだろう。tail
coat だけでは、ここの tail は swallow-tail
の略であることを知ることは難しく、当然「燕尾」という訳語を思いつくことも難しい。
ちなみに英語の swallow
には「ツバメ」の他に、「飲み込む」という意味もある。「ツバメ」と「飲み込む」の関係が薄いのか、手元の英和辞典では、「飲み込む」という意味の
swallow と「ツバメ」という意味の swallow
は、別項目として掲載されている。また、日本語に「飲み込む」という意味で「嚥下」という漢語があり、「嚥」という字に「燕」が入っているのだが、手元の漢和辞典で「嚥」の字義をみると「燕は音符で、ツバメという意味とは関係がない。咽と同じ」とあった。
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