『英語遊び』を読んで、もう一つ。予想(というより希望か)はしていたけれども、思いがけず出くわしたもの。「ウーティス」についてである。
ホメロスの『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスの冒険譚のひとつに、キュプロクス挿話がある。キュプロクス(一つ目の巨人)の住む島に流れついたときの話で、オデュッセウス(とその仲間)はキュプロクスのひとりポリュペーモスに捕まるが、うまく逃げだした話である。
話の詳細は省くが、オデュッセウスはポリュペーモスに名前を聞かれ、「ウーティス」と答える。そしてポリュペーモスの一つ目を突き逃げ出す。やられたポリュペーモスは叫び狂う。仲間のキュプロクスたちから「誰にやられた?」と問われたとき「ウーティスにやられた」と答える。しかし「ウーティス」というのは、英語で
Nobody
という意味で、「ウーティスにやられた」というのは「誰にもやられていない」という意味となる。なので、仲間のキュプロクスたちの助けが得られなかった。
この話を読んだとき、おもしろいと思ったのだが、この「ウーティス」を日本語に訳すのはむずかしいと思った。訳注を読んでやっと「おもしろい」と思えたのだ。英語だったら「ノーバディ」という名前はちょっと苦しいかもしれないが、「ノーマン」とすればいいだろう。しかし日本語ではどうか。「名無しの権兵衛」(『ついでにとんちんかん』という漫画に習志野権兵衛というキャラクタがいたと思う)とか「笹内(刺さない)という苗字はどうか」とか考えたが、これといったアイデアは浮かばなかった。
しかし、柳瀬さんの書いた本を読んだとき、柳瀬さんなら訳せるのではないかと思った。というより「もう訳しているはずだ」と勝手に思った。訳すというよりは「もう考えているはず」の方が適切かもしれない。
完訳とはならなかったが、柳瀬さんはジョイスの『ユリシーズ』を訳していた。ユリシーズは、オデュッセウスの英語名である。柳瀬さんが『オデュッセイア』を知らないはずはない。読んでいないとしても、キュプロクス挿話やウーティスの話は有名であるので知っているはずだ。そして知っているならば、考えていないわけがない。
ただ、柳瀬さんがギリシア語を知っていたかどうかは知らないが、「翻訳は実践である」という柳瀬さんが「ウーティス」のところだけ取り出して「こう訳すことができる」と述べることはないだろうとも思っていた。このようにいうときは、ホメロスの『オデュッセイア』を全訳すると決めたときか、まったくの余談としていうかのどちらかであろうと。
そして、『英語遊び』のなかで「ウーティス」に出会った。柳瀬さんは「想像をたくましくして」3通りの訳(訳というよりは、翻訳の方向性みたいなもの)を示していた。どれも、なるほど面白いと思えるものだ。
しかしそれよりも、驚いたことがある。柳瀬さんが書いている次の文である。
名前といえば、話は飛ぶが――というより、話を故意に古代ギリシアへもっていくと、名前を勘違いされたために、危うく危機を逃れた英雄がいる。ホメロスの大叙事詩『オデュッセイア』の主人公、オデュッセウスだ。
名前を勘違いされたために、危うく危機を逃れた?!
私はずっと、オデュッセウスはとっさの機知により「ウーティス」と名乗ったと思っていたが、どうやら、名前を聞かれたオデュッセウスは「名乗るほどの者ではありません」というという意味で「ウーティス」といい、ポリュペーモスが「そうか、ウーティスか」と勘違いをしたということらしい。機知が身を助けたと思っていたが、偶然助かったと考えられるのか……。
ジョイスの『ユリシーズ』第12章は「キュプロクス挿話」と呼ばれていて、柳瀬さんが語り手は犬ではないかという「発犬」をしたことは有名である(『ジェイムズ・ジョイスの謎を解く』参照)。「ウーティス」がオデュッセウスの機知ではなく、ポリュペーモスの勘違いであることを知ったとき、私のなかで「発犬伝」とつながった。だから「キュプロクス挿話」なのだと。(この辺りを書いていると、どんどん長くなりそうなので、今日はこれくらいに)
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