2019/02/19

本の読み方:タイトルから読む

ウンベルト・エーコは、「およそ語り手という者は自分の作品の解釈を提供すべきではない」としたうえで、この原則を実現するのにひとつの障害があるという。その障害というのは、「いずれの小説もタイトルをもたなければならない」ということだ。
不幸なことに、タイトルというものはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である。『赤と黒』とか『戦争と平和』といったタイトルから出てくる示唆からは、誰も逃れることはできない。
――ウンベルト・エーコ『「バラの名前」覚書』
『赤と黒』というのはフランスの作家、スタンダールの小説のタイトルである。スタンダール自身はタイトルの由来を明言していないようだが、「主人公ジュリアンが出世の手段にしようとした軍人(赤)と聖職者(黒)の服の色を表している」とか、「ルーレットの回転盤の色を表し、一か八かの出世に賭けようとするジュリアンの人生をギャンブルにたとえている」という説がある(Wikipedia「赤と黒」より)。『赤と黒』というタイトルから、「赤」と「黒」がそれぞれ何かを指していて(あるいは象徴していて)、その対比が描かれているのではないかと解釈の方向性を示唆する。『戦争と平和』についても同様である。

(ちなみに、私は『赤と黒』も『戦争と平和』も未読。)

これらは小説のタイトルについてのことである。小説は「読む」楽しみ、解釈の楽しみがあるため、エーコは「解釈を提供すべきでない」としている。読者の楽しみを奪わないように、と言っているのだ。そのため、「不幸なことに、タイトルというものはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である」と言う。

しかし、読む楽しみを目的とした読書ではなく、知識や情報を得ることを目的とした読書では、「幸いなことに」タイトルはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である。

たとえば、『読んでいない本について堂々と語る方法』という本がある。タイトルからどのようなことが書かれているか、想像することができる。「まだ読んでいない本について堂々と語る方法が書かれているんだな」と(そのままだが)。

ここからさらに深読みしてみるのである。

さて、読んでいない本について堂々と語る方法が書かれていたとしても、果たしてそれは自分にとって実用的なのだろうか。まだ読んでいない本について語る場面とはどのような状況だろうか。「読んでいない」とはどのレベルの読みなのだろうか。「堂々と語る」というのは「話す」ことなのか、「書く」ことなのか。他にも考えられることはある。

タイトルはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である。


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