2019/02/18

第3週第1日(月)スパルタ対アテネ

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
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「スパルタ」と聞くと、「スパルタ教育」などという言葉を思い出す。厳しい教育訓練というようなイメージだ。

なぜ厳しい訓練ということを「スパルタ」というのかというと、スパルタが厳しい訓練で有名なところだったからだ。


スパルタは、ギリシア南部の都市で、古代世界で最も恐れられていた軍事国家である。兵士は幼いころから厳しい訓練を施される。『世界の教養365』では、「優秀な軍隊を作るため、スパルタの長老たちは、子どもが生まれると、その子に弱いところや欠点がないか検査した。強い兵士になれそうにないとされた赤ん坊は谷に落とされた。検査に合格した者には、過酷で厳しい訓練が待っていた」とある。また、ギリシアの歴史家プルタルコスの言を引き「スパルタ人にとって実際の戦争は、厳しい訓練に比べれば休息も同然であった」と書いている。


アテネはスパルタの隣国で、アテネとスパルタはギリシアの覇権をめぐり争っていた。スパルタは陸上での軍事力が優れていて、アテネは海軍力で対抗したということだ。

表題の「スパルタ対アテネ」というのは、軍事的な争いも意味するだろうが、社会的・文化的対比も意味しているだろう。スパルタは厳しい社会であったが、アテネでは民主政が生まれ、哲学や美術、科学の分野で優れた成果を残している。「劇作家ではアイスキュロス、アリストファネス、エウリピデス、ソフォクレスが、哲学者ではアリストテレス、プラトン、ソクラテスが、アテネの黄金時代にあたる紀元前5世紀に活躍した。」


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