前回、「遊び」について書いたところで、松岡正剛さんの『知の編集術』のことを思い出した。遊びから編集が生まれたということを書いていたからである。
『知の編集術』では、遊びの本質は編集にあり、逆に編集の本質も遊びにあるという。
前回書いた「遊び」は、自動車のハンドルやブレーキについての「遊び」であった。この「遊び」が、どのような経緯で生み出されたのかは知らず、何かの遊びからヒントを得て作られたものなのかは知らない。ただ作ってみて試してみて、乗りやすいように使いやすいように工夫した試行錯誤の上で作られたものではあるだろう。
そして逆に、自動車のハンドルやブレーキの「遊び」から学べることもある。安全性と利便性を両立させるにはどうすればいいかを考えるには格好の材料であると思う。
自動車は人間が作ったもので、人間が考え出したものである。動物も遊ぶことはあるかもしれないが、人間がする遊びは人間が作ったものともいえる。大きくいえば、法律や社会も人間が作ったものである。
昨今、人工知能が話題となっている。学習するとはいえ人工知能も人間が作るものである。
人工知能の開発は、どこまで遊びを取り入れられるかにあると思う。人工知能ではないかもしれないが、今までも機械に「ファジー機能」などの「遊び」を組み込んできたが、まだ遊び足りない。
現在はディープラーニングの手法から「学習」の観点を取り込み人工知能が開発されつつある。安全性と利便性の両立を目指して試行錯誤されている。ここから何が学べるかということが、私にとっての人工知能の関心事である。
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