2017/04/04

心に忘るることなかれ、助けて長ぜしむることなかれ

『孟子』公孫丑上に以下の話が載っている。「助長」の語源ともいわれている話である。(小林勝人訳『孟子(上)』岩波文庫より)

むかし宋の国のある百姓が、苗の成長がおくれているのを心配して、なんとか早めたいものと一本一本引っぱってやった。グッタリ疲れきって家にかえるなり、『ああ、今日は疲れたわい。苗をみんな引きのばしてやったものだから』と家のものに話したので、息子が〔変に思って〕いそいで田圃へかけつけて見たら、苗はすっかり枯れていたとのことだ。世間にはこうした馬鹿げたことをするものが少なくない。

この話が、実際にあった話であるのか、それとも作り話であるのかはわからないが、『孟子』の中ではたとえ話として出てくる。もしかすると、『孟子』のたとえ話のために、「助長」に否定的な意味が付されたのかもしれない。

孟子は「浩然の気」を養うことを説明するために、上記のたとえ話を挙げた。先ほどの引用箇所の続きは以下である。

浩然の気を養うなどとは無益なことだとして〔告子のように〕見向きもしないのは、田圃の草取りをしないようなものだし、また浩然の気を養うことは大切だと知っていても〔北宮黝や孟施舎のように〕早く早くとあせって助長しようとするのは、苗を引っぱるようなものだ。こういうことは無益なばかりか、かえって害になるばかりだ。

「浩然の気」とは何かということはさておき、作物の育て方については当たり前のことを言っている。

無益なこととして見向きもせず、草取りもしないようでは作物は育たないし、早く早くとあせって苗を引っぱるようなことをしては作物にとって害になってしまう。目をかけて育てるが無理をしてはいけないということである。

心に忘るることなかれ。
助けて長ぜしむることなかれ。

これは人の育て方でもいえる。

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