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2012/04/20

為政第二・8「子夏問孝。~」

「孝」とは何か?

「孝行」「親孝行」とはどんな行動を指すのか?

孔子の門人、子夏が「孝」について尋ねたとき、孔子は次のように答えます。
色難し。事有れば、弟子其の労に服す。酒食有れば、先生に饌す。曾て是を以て孝と為さんや。

何事かあれば、弟子は先生のために働く。

お酒や食事があれば、先生に差し上げる。

こういったことで「孝」と言えるだろうか。

色難し。


「色」というのは、「見た目」ともいえると思います。

「孝」というのは、見た目では判断できない。


「孝」を伴った行動が「孝行」。


「孝」という内面があって、「孝行」として現れるのです。


2012/04/05

為政第二・7「子游問孝。~」

さて、『論語』為政篇では、「孝」についての記述が続きます。
子游孝を問う。子曰く、今の孝は、是れ能く養うを謂う。犬馬に至るも、皆能く養う有り。敬せずんば、何を以て別たんや、と。

子游が孔子に「孝」の意味を尋ねたところ、孔子の答えは「最近の孝は、父母を養うことができることをいうようだが、犬や馬に至っても養うことができる。尊敬するということがなければ、どのように区別することができるだろうか」。

ここで、今までの「孝」についてまとめると、
  • 3年の喪が明けるまで、父が定めた家のありかたはそのままにしておくこと(学而11)
  • 父母がお元気なときは、もちろん礼に従ってお仕えし、お亡くなりになれば、礼に従って葬り、また礼を守って、祖先となられた御霊をお祭りすること(為政5)
  • 父母に対して、病気ではあるまいか〔と健康状態を〕ただただ心配すること(為政6)
  • 父母に対して尊敬しつつ養うこと(為政7)
となります(訳は加地伸行『論語』による)。

「孝」の近くには「礼」「敬」が存在するようです。

合わせると「敬礼」。

試しに、Wikipediaで「敬礼」を検索してみると、様々な敬礼がありました。


尊敬とお礼。感謝です。


2012/04/04

為政第二・6「孟武伯問孝。~」

先日、「為政第二・5「孟懿子問孝。~」」の記事を書いた後、facebookでコメントをいただきました。

そのコメントは、今回の論語の言葉に近い言葉。
孟武伯孝を問う。子曰く、父母には唯其の疾を之れ憂えよ。

孟武殿が孔子に「孝」の意味を尋ねたところ、孔子が言うには、「父母には唯其の疾を之れ憂えよ」とのこと。


原文で書くと「父母唯其疾之憂」。

先ほどの書き下し文は加地伸行さんの『論語』によるもので、訳としては次のように書かれています。
「父母に対して、病気ではあるまいか〔と健康状態を〕ただただ心配することだ」

一方で注として、別の解釈があることも述べています。

「其の疾」の「其」を父母ではなく子とする解釈として、「父母をして其の疾を之れ憂えしむ」。

意味としては、「子としては、父母に病気のときにのみ心配をかけるようにして、その他のことでは心配をかけてはならない」との解釈です。


「其」を父母とすると「其の疾」は「父母の病気」。

「其」を子とすると「其の疾」は「子の病気」。

代名詞が何を指すかによって解釈が変わります。


しかし、解釈は変わろうとも、父母には健康でいてほしいと思い、そして、自分のことでも心配をかけたくない。

それが「孝」なのかもしれません。

2012/04/03

為政第二・5「孟懿子問孝。~」

今回は、少し長い文章です。
孟懿子孝を問う。子曰く、違うこと無かれ、と。樊遅御す。子之に告げて曰く、孟孫孝を我に問う。我対えて曰く、違うこと無かれ、と。樊遅曰く、何の謂いぞや、と。子曰く、生けるときは之に事うるに礼を以てし、死せるときは之を葬むるに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。

孟懿子が「孝」の意味を孔子に質問しました。

孔子の回答は「違うこと無かれ」。


そのときか、その後かはわかりませんが、孔子が御者をしていた樊遅にこのことを告げたところ、樊遅は「どういう意味ですか?」と質問します。

孔子が言うには、「父母が生きているときは礼に従いお仕えし、亡くなったときは礼に従って葬り、また礼に従って祭ることである」と。


『論語』でのキーワードでもある「孝」と「礼」。

「孝」は、親孝行の「孝」。「礼」は、礼儀の「礼」。


為政篇ではこれより後、しばらく「孝」についての文言が続きます。

孔子は人を見てふさわしい言葉を投げかけるため一概には言えませんが、ここでの「孝」は「違(たが)うことがないようにすることだ」との回答。


では、何に「違うこと無かれ」なのか?


普通に考えると、父母にそむかないようにすること。

生きている間も、亡くなってからも、父母にそむかないようにすることが「孝」。


もうひとつは、礼にそむかないようにすること。

父母が生きている間も、亡くなってからも、「礼」にそむかないようにすることが「孝」。


今までの『論語』の言葉では、学而篇の11に「孝」のことが出ています(他にもあります)。
父親が存命ならば、父親の志を見よ。父親が亡くなっていれば、父親の行ったことを見よ。三年間父親の道を改めるということをしないならば、「孝」ということができる。

3年間というのは、儒教での喪に服す期間とのこと。

「礼」は誰に対してもあるものですが、その対象が父母となったときに「孝」というのかもしれません。



2011/03/07

学而第一・11「子曰、父在觀其志。~」

子曰く、父在せば其の志を観よ。父没すれば其の行ないを観よ。三年父の道を改むる無くんば、孝と謂う可し。

父親が存命ならば、父親の志を見よ。父親が亡くなっていれば、父親の行ったことを見よ。三年間父親の道を改めるということをしないならば、「孝」ということができる。

私の父は、生きていますので、父親の志を見なければ…。

とはいうものの、父の志がどのようなものか、わかっておりません…。

2011/02/01

学而第一・6「子曰、弟子入則孝、~」

子曰く、弟子入りて則ち孝、出でては則ち悌たれ。
謹みて信、汎く衆を愛して仁に親づけ。
行ないて余力あらば、則ち以て文を学べ。
「弟子」は「でし」ではなく「ていし」と読み、若者を指します。

若者は家庭生活では「孝」(親孝行の「孝」)を、社会生活では「悌(てい)」(目上の人を敬うこと)を行いなさい。言行を謹み、言行一致を、そして世間の人々を愛し「仁」に近づきなさい。

「サーバント・リーダー」を思い起こさせる一文(いや、二文)です。

2011/01/19

学而第一・2「有子曰、其為人也孝弟、~」

有子曰く、其の人と為りや孝弟にして、
上を犯すを好む者は鮮なし。
上を犯すを好まずして、乱を作すを好む者は、
未だ之れ有らざるなり。
君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟は其れ仁の本為るか。

学而第一・2の有子の言葉です。

最初の2行。「人柄が孝弟で、目上の人に逆らうことが好きな人は少ない。目上の人に逆らうことを好まない人で、反乱することが好きな人はいない。」「孝弟」の「孝」は、親孝行の孝で、父母に尽くすこと、「弟(悌)」は年長者を敬うことです。

集合論ですね。


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