2019/02/28

ルイス・ダートネル『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』【未読】

書店で面白そうな本を見つけた。まだ読んではいない。

タイトルがいい。その本のタイトルは『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』である。ルイス・ダートネルという人が書いている(訳:東郷えりか)。河出文庫で出版されている。

裏表紙には次のことが書いてあった。
文明が滅びたあと、あなたはどのように生き残るのか? 穀物の栽培や紡績、製鉄、発電、印刷、電気通信など、人類が蓄積してきた膨大な知識をどのように再構築し、文明を再建するのか? 日々の生活を取り巻くさまざまな科学技術と、その発達の歴史について知り、「科学とは何か?」を考える、世界十五カ国で刊行の大ベストセラー!

現在の生活は自分ひとりで作り上げたものではない。過去の人たちが頭と身体を使って作り上げてきたもので、現在もそうだ。どこかの誰かが作ったものが手に入るような社会で、多くの人の仕事で成り立っている生活である。身近なものひとつとっても、自分ひとりで作り上げられるものはなかなかない。

たとえば、このブログはグーグルのBloggerというサービスを利用しているが、インターネットという仕組みやパソコンという機械がないと利用することができない。インターネットを利用するのも、通信技術やプロバイダなど必要なコト・モノはたくさんある。パソコン1台を作るといっても、さまざまな部品で成り立っているし、CPUなど人間の手で作ることができるのかも疑問である。

生活するだけでも、日々恩恵にあずかっている。食べ物も自分で栽培することなく店で買うことができる。

このような世界で、この世界が消えたあと、どのように生活していけるだろうか。

『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』というタイトルからは、自給自足の生活の方法を書いているわけではないだろう。おそらくは、現在の世の中、社会にある、そして身の周りにある科学技術の紹介という内容だと思うが、ゼロからスタートするような感じである。裏表紙に掲げられている事項からすると、栽培や紡績、発電、印刷、電気通信など。ゼロから再構築できるだろうか。

生きるための科学技術、あるいは知識・知恵ということも考えさせられるような本である。

読むのが楽しみだ。

2019/02/27

第4週第3日(水)ミロのヴィーナス

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------
(と書いておきながら止まってしまっていたので再開。書けていないところは追々)

有名な彫刻である「ミロのヴィーナス」は、1820年にギリシアのメロス島(別名ミロ島)で発見されたことから、そう呼ばれている。ヴィーナスはギリシア神話でのアプロディーテで、ローマ神話ではヴィーナスと呼ばれている女神。ミロのヴィーナスは、ミロ島で発見されたヴィーナス像ということだが、彫られている対象がヴィーナスであるのかどうかも、確証はない。制作者も不詳。Wikipediaでは「アンティオキアのアレクサンドロスと考えられている」とあった。ミロのヴィーナスは現在、パリのルーブル美術館で見ることができる。

ミロのヴィーナスには両腕がない。定説はないが、その腕はリンゴを持っていたのではないかという説がある。トロイア戦争の発端として、パリスがヴィーナスに黄金のリンゴを渡す場面がギリシア・ローマ神話にあり、ミロのヴィーナスはリンゴを受け取ったヴィーナスではないかという説である。

パリスが黄金のリンゴを渡す場面のことを、「パリスの審判」といっている。

ペーレウスとテティスの結婚式にすべての神々が招待されたが、争いの女神エリスは招待されなかった。エリスは怒り、「最も美しい女神へ」と書かれた黄金のリンゴを投げ入れる。「黄金のリンゴは私のもの(=最も美しいのは私)」と3人の女神が争う。ヘラとアテナとアプロディーテ(ヴィーナス)である。大神ゼウスは、その対立の決着を人間に委ねる。選ばれたのがトロイアの王子パリスであった。

ヘラは世界を支配する力を、アテナはいかなる戦争にも勝利を得る力を、ヴィーナスは最も美しい女を、それぞれ与えることをパリスと約束する。パリスが選んだのはヴィーナスだった。ヴィーナスは約束通り、最も美しい女を与える。それがスパルタの王妃ヘレネーだった。パリスがヘレネーをトロイアに連れて帰ったことで、スパルタ(ギリシア)とトロイアの間で争いが起こり、トロイア戦争となった。

どこまでが史実でどこまでが神話なのかはわからない。ただ人間の想像力はすごいと思う。ミロのヴィーナスの両腕がないところからその両腕を思い描く能力、トロイア戦争の原因に神々の争いが絡んでいると考える能力。「ある」はずのものが、あるいはあってほしいものが、「ない」とき、それを塞ごうとする。想像力とはそんな力なのかもしれない。

2019/02/22

ちくま文庫のシェイクスピア全集(2019年1月時点)

以前にも書いたことがあるが、松岡和子さん訳のシェイクスピア全集の一覧をまとめておく(以前の記事は「ちくま文庫のシェイクスピア全集」)。

以前と同じではあらためて書く必要はあまりないので、英語での原題とシェイクスピアの執筆時期も追加した(執筆時期は確定されていないものもあるので、ここでは、Wikipediaより作成。Wikipediaは『リヴァーサイド版シェイクスピア』による)。記載の順番はちくま文庫のシェイクスピア全集での順番。

  1. Hamlet(1600-01)
    ハムレット(1996年1月)
  2. Romeo and Juliet(1595-96)
    ロミオとジュリエット(1996年4月)
  3. Macbeth(1606)
    マクベス(1996年12月)
  4. A Midsummer Night's Dream(1595-96)、Comedy of Errors(1592-94)
    夏の夜の夢・間違いの喜劇(1997年4月)
  5. King Lear(1605)
    リア王(1997年12月)
  6. Twelfth Night, or What You Will(1601-02)
    十二夜(1998年9月) 
  7. Richard III(1592-93)
    リチャード三世(1999年4月)
  8. The Tempest(1611)
    テンペスト(2000年6月)
  9. The Merry Wives of Windsor(1597)
    ウィンザーの陽気な女房たち(2001年5月)
  10. he Merchant of Venice(1596-97)
    ヴェニスの商人(2002年4月)
  11. Pericles, Prince of Tyre(1607-08)
    ペリクリーズ(2003年2月)
  12. Titus Andronicus(1593-94)
    タイタス・アンドロニカス(2004年1月)
  13. Othello(1604)
    オセロー(2006年4月)
  14. Coriolanus(1607-08)
    コリオレイナス(2007年4月)
  15. As You Like It(1599)
    お気に召すまま(2007年6月)
  16. Love's Labour's Lost(1594-95)
    恋の骨折り損(2008年5月)
  17. Much Ado About Nothing(1598-99)
    から騒ぎ(2008年10月)
  18. The Winter's Tale(1610-11)
    冬物語(2009年1月)
  19. Henry VI(1589-91)
    ヘンリー六世 全三部(2009年10月)
  20. Taming of the Shrew(1593-94)
    じゃじゃ馬馴らし(2010年8月)
  21. Antony and Cleopatra(1606-07)
    アントニーとクレオパトラ(2011年8月)
  22. Cymbeline(1609-10)
    シンベリン(2012年4月)
  23. Troilus and Cressida(1601-02)
    トロイラスとクレシダ(2012年8月)
  24. Henry IV(1596-98)
    ヘンリー四世 第一部、第二部(2013年4月)
  25. Julius Caesar(1599)
    ジュリアス・シーザー(2014年7月)
  26. Richard II(1595)
    リチャード二世(2015年3月) 
  27. The Two Gentlemen of Verona(1594)
    ヴェローナの二紳士(2015年8月)
  28. Measure for Measure(1604)
    尺には尺を(2016年4月)
  29. Timon of Athens(1607-08)
    アテネのタイモン(2017年10月)
  30. Henry V(1599)
    ヘンリー五世(2019年1月)

残り作品(戯曲)は、『ジョン王』『ヘンリー八世』『終わりよければすべてよし』『二人のいとこの貴公子』(だと思う)。

第3週第5日(金)和声(ハーモニー)

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

和声はハーモニーとも呼ばれ、音楽の三要素のひとつ。

音楽の三要素は「旋律(メロディ)」「和声(ハーモニー)」「リズム」。旋律と和声の違いは、「旋律では個々の音がひとつひとつ順に演奏されるのに対し、和声では複数の音が同時に演奏される点」である。和声とは、ふたつ以上の異なる高さの音を同時に響かせたもの。

以下、「きらきら星」を例に。

まずは、旋律(メロディ)のみ(「ド・ド・ソ・ソ・ラ・ラ・ソー」だけのもの)

基本形


続いて、基本形に4度下の音を加えたもの(「ドドソソララソー」に「ソソレレミミレー」を追加。5度上の音と音名は同じ)。

4度下追加



続いて、基本形に5度下の音を加えたもの(「ドドソソララソー」に「ファファドドレレドー」を追加。4度上の音と音名は同じ)。

5度下追加


基本形でファのとき(5度下の音はシ)に違和感を感じる。「ファ(高)」と「シ(低)」の間は、「シ・ド・ド♯・レ・レ♯・ミ・ファ」と半音6個分の幅だが、他の組み合わせ、たとえば「ド(低)」と「ソ(高)」ならば、「ド・ド♯・レ・レ♯・ミ・ファ・ファ♯・ソ」と、半音7個分の幅となる。半音7つの幅の5度音を完全5度、半音6個分の幅の5度音を減5度という。(4度音をベースに考えると、「シ―ファ」の組み合わせのみが増4度(半音6個)となる。他のところは完全4度(半音5個))。この旋律では「シーファ」の組み合わせのところだけが減5度(増4度)となるので違和感を感じる。

もう少しわかりやすく書きたいところ。


最後に、基本形を三和音にしたもの(基本形の「ド」の音を「ドミソ」に)。

三和音



2019/02/21

第3週第4日(木)太陽系

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

太陽の周りを、地球を含め、惑星が回っている。太陽から近い順に惑星を列挙してみると、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星。学校で習ったときは海王星のあと冥王星と続いたが、2006年に冥王星は準惑星に分類された。

現在は地球は太陽の周りを回っていると認識されているが、昔は太陽や月、星々が地球の周りを回っていると考えられていた(いわゆる天動説。太陽を中心に地球が回っているというのが地動説)。しかし惑星は、地球から見て複雑な動きをしていた。太陽は東から昇って、西に沈むという動きだが、惑星は西から東に動いているように見える。プラプラしているプラネット(planet)と覚えている。「planet」のもともとの意味が「さまよう者」という意味である(だから、惑星。惑う星)。この動きを説明するために、周転円が導入されたりしていた。

地球以外の惑星(準惑星)の英語表記には、ギリシア・ローマ神話の神々の名前がついている。

水星 Marcury マーキュリー(メルクリウス)、ヘルメス
金星 Venus ウェヌス(ヴィーナス)、アプロディーテ
火星 Mars マーズ(マルス)、アレス
木星 Jupiter ジュピター(ユピテル)、ゼウス
土星 Saturn サターン(サートゥルヌス)、クロノス
天王星 Uranus ウラノス
海王星 Neptune ネプチューン、ポセイドン
冥王星 Pluto プルート、ハデス

水星から土星までの5つの惑星は肉眼で見ることができる。日本では五行説に基づき命名されている(と思われる)。ちなみに曜日はこの5つに太陽(日)と月を加えている。天王星、海王星、冥王星は、英語の命名を訳したものが用いられている(ウラノスは天、ネプチューンは海、プルートは冥府を司る)。

惑星の周りを衛生が回っている。地球の衛星が月である。衛生の名前にもギリシア・ローマ神話の名前が付けられていることが多い。

惑星の順序を覚える方法として、リズムよく「すい・きん・ち・か・もく・どっ・てん・かい・めい」と言っていた。どこで聞いたか忘れてしまったが、「最近痴漢も減ったんかいねぇ」という言い回しも思い出される。

2019/02/20

第3週第3日(水)パルテノン神殿

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

パルテノン神殿の説明については『世界の教養365』の本文、あるいはWikipedia「パルテノン神殿」に譲る(手抜き、です)。

パルテノン神殿で思い出すことは、柱の太さが上の方が細く、下の方が太くなっているということをどこかで聞いたことがある。高く見せるという視覚効果を狙って、だったと思う。Wikipediaを眺めていると「エンタシス」というらしい。古代ギリシャの神殿建築で用いられたものが有名だが、東アジアの伝統建築でも似たようなテクニックが用いられており、日本語で「胴張り」というようだ。


2019/02/19

第3週第2日(火)ハーレム・ルネサンス

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

初耳。

ハーレム・ルネサンスとは、1920年代から1930年代初頭にかけて、ニューヨークのハーレム地区で花開いたアフリカ系アメリカ人の文学・芸術運動のこと。当初はニュー・ネグロ・ムーヴメントと呼ばれていた。

背景として以下のことが書かれていた。
南部で新たに開放された数百万の黒人たちが、奴隷制度と南北戦争後の南部再建時代の苦難に耐えた後、いわゆる「黒人の大移動」によってニューヨークなど北部の大都市に大量に移り住んだことが挙げられる。第一次世界大戦が終わったころには、貧しいながらも文化的な活気に満ちた黒人コミュニティがハーレムに根づいていた。

アメリカの歴史については詳しくない。(歴史自体が詳しくない。。。)

1861年から1865年にかけて、南北戦争があった(詳しくないので西暦などについてWikipediaを参照)。「南北戦争」と言われ知っていることといえば、「リンカーン」と「奴隷解放宣言」くらいしか思いつかない。アメリカの北部(リンカーンはたしか北部だったと思う)と南部との争いで、南部での奴隷制度に北部が反対したために起こった戦争であるという認識。Wikipediaを確認し、間違ってはいないようだが、乏しい知識である。

その南北戦争後に開放された黒人たちが北部に移動(黒人の大移動。Wikipediaでは「アフリカ系アメリカ人の大移動」。年代としては「1914年から1950年まで」とあった)。

第一次世界大戦が1914年から1918年(こちらもWikipedia「第一次世界大戦」)。

いちいちWikipediaを確認しなければ流れがわからない(まだわかっていない)。

ハーレム・ルネサンスについて、まとめてみると、
  • ハーレム・ルネサンスの基礎を築いたのはW・E・B・デュボイス(歴史学者・社会理論家)。論文『黒人のたましい』(1903)。NAACP(全米黒人地位向上協会)を創設(1909)。
  • デュボイスは、従来とは違う黒人の文化意識と誇りを訴えた。
  • ハーレム・ルネサンスの中心的作家のひとりがジェイムズ・ウェルドン・ジョンソン。小説『Autobiography of an Ex-Colored Man』(1912)、韻文説教集『God's Trombones』(1927)
  • ジョンソンに続くのが、ネラ・ラーセン『白い黒人』(1929)、ゾラ・ニール・ハーストン『彼らの目は神を見ていた』(1937)。
  • ラングトン・ヒューズは、当時新たに生まれつつあったジャズ音楽のリズムを詩作品に取り込んだ。
  • ハーレム・ルネサンスでは、音楽と文学は切っても切れない関係
  • 1930年代に入ると、大恐慌のため、ハーレム・ルネサンスは下火に
というところだろう(『世界の教養365』より)。

個人的には、ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンの韻文説教集『God's Trombones』(1927)が気になった。直訳すると「神のトロンボーン」。金管楽器のトロンボーンだと思われる。WEB検索してみると、『God's Trombones』(英語版Wikipedia)はすぐに見つかったが英語。。。日本語サイトでは見つからなかったが、代わりに(?)ヤマハのサイトで「トロンボーンには神が宿る」というコラムを見つけた。トロンボーンが教会音楽と密接な関係を持っていたらしい。

本の読み方:タイトルから読む

ウンベルト・エーコは、「およそ語り手という者は自分の作品の解釈を提供すべきではない」としたうえで、この原則を実現するのにひとつの障害があるという。その障害というのは、「いずれの小説もタイトルをもたなければならない」ということだ。
不幸なことに、タイトルというものはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である。『赤と黒』とか『戦争と平和』といったタイトルから出てくる示唆からは、誰も逃れることはできない。
――ウンベルト・エーコ『「バラの名前」覚書』
『赤と黒』というのはフランスの作家、スタンダールの小説のタイトルである。スタンダール自身はタイトルの由来を明言していないようだが、「主人公ジュリアンが出世の手段にしようとした軍人(赤)と聖職者(黒)の服の色を表している」とか、「ルーレットの回転盤の色を表し、一か八かの出世に賭けようとするジュリアンの人生をギャンブルにたとえている」という説がある(Wikipedia「赤と黒」より)。『赤と黒』というタイトルから、「赤」と「黒」がそれぞれ何かを指していて(あるいは象徴していて)、その対比が描かれているのではないかと解釈の方向性を示唆する。『戦争と平和』についても同様である。

(ちなみに、私は『赤と黒』も『戦争と平和』も未読。)

これらは小説のタイトルについてのことである。小説は「読む」楽しみ、解釈の楽しみがあるため、エーコは「解釈を提供すべきでない」としている。読者の楽しみを奪わないように、と言っているのだ。そのため、「不幸なことに、タイトルというものはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である」と言う。

しかし、読む楽しみを目的とした読書ではなく、知識や情報を得ることを目的とした読書では、「幸いなことに」タイトルはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である。

たとえば、『読んでいない本について堂々と語る方法』という本がある。タイトルからどのようなことが書かれているか、想像することができる。「まだ読んでいない本について堂々と語る方法が書かれているんだな」と(そのままだが)。

ここからさらに深読みしてみるのである。

さて、読んでいない本について堂々と語る方法が書かれていたとしても、果たしてそれは自分にとって実用的なのだろうか。まだ読んでいない本について語る場面とはどのような状況だろうか。「読んでいない」とはどのレベルの読みなのだろうか。「堂々と語る」というのは「話す」ことなのか、「書く」ことなのか。他にも考えられることはある。

タイトルはそれ自体すでに解釈への一つの鍵である。


2019/02/18

第3週第1日(月)スパルタ対アテネ

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

「スパルタ」と聞くと、「スパルタ教育」などという言葉を思い出す。厳しい教育訓練というようなイメージだ。

なぜ厳しい訓練ということを「スパルタ」というのかというと、スパルタが厳しい訓練で有名なところだったからだ。


スパルタは、ギリシア南部の都市で、古代世界で最も恐れられていた軍事国家である。兵士は幼いころから厳しい訓練を施される。『世界の教養365』では、「優秀な軍隊を作るため、スパルタの長老たちは、子どもが生まれると、その子に弱いところや欠点がないか検査した。強い兵士になれそうにないとされた赤ん坊は谷に落とされた。検査に合格した者には、過酷で厳しい訓練が待っていた」とある。また、ギリシアの歴史家プルタルコスの言を引き「スパルタ人にとって実際の戦争は、厳しい訓練に比べれば休息も同然であった」と書いている。


アテネはスパルタの隣国で、アテネとスパルタはギリシアの覇権をめぐり争っていた。スパルタは陸上での軍事力が優れていて、アテネは海軍力で対抗したということだ。

表題の「スパルタ対アテネ」というのは、軍事的な争いも意味するだろうが、社会的・文化的対比も意味しているだろう。スパルタは厳しい社会であったが、アテネでは民主政が生まれ、哲学や美術、科学の分野で優れた成果を残している。「劇作家ではアイスキュロス、アリストファネス、エウリピデス、ソフォクレスが、哲学者ではアリストテレス、プラトン、ソクラテスが、アテネの黄金時代にあたる紀元前5世紀に活躍した。」


2019/02/17

第2週第7日(日)ノア

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

文学部に入学したので、少しは本を読んでおいたほうがいいと思い、本を読みはじめた。本をあまり読んでいないのに文学部に入学したことは、このブログでの数回述べているが、本を読みはじめたころのことはあまり書いていない。

英米文学科を専攻予定であったため(英米文学科のなかに英語学専攻があった)、英米文学関係の本を読むにあたり考えたことは、ギリシア・ローマ神話と聖書を読んでおけば何とかなるのではないか、ということだった。

ギリシア・ローマ神話に関しては、大学に入学前、ブルフィンチの『ギリシア神話と英雄伝説』を読んだ。神話はロールプレイングゲームや漫画などで触れられることも多く、また物語要素が強いので苦もなく読めた。そして聖書のほうは、岩波文庫の『創世記』から読みはじめた。大学に入学したころだと思う。

挫折した。

「誰それは誰それの子である」とか人名が多く、よくわからなかった。

それでも、バベルの塔の話や、ノアの方舟の話は、少し聞きかじっていたこともあり読んだように思う(目を通した、くらい)。

結局、聖書に関しては『創世記』のみで、未だに『出エジプト記』他の旧約聖書も読んだことがなく、新約聖書ももちろん読んでいない。キリスト教についてもあまりよく知らない。

2019/02/16

第2週第6日(土)ソクラテス

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

ソクラテスは西洋哲学の祖と言われている。

有名なのは「無知の知」である。

ソクラテス自身の著作物はなく、ソクラテスのことは弟子のプラトンの著作から知ることができる。プラトンの著作は「対話篇」と呼ばれている。


近年、「対話(ダイアローグ)」が脚光を浴びている。対話の重要性が相対的に高まってきているように感じる。

対話の重要性を確認するために、プラトンの著作を読み返してみるのもいいかもしれない。

2019/02/15

第2週第5日(金)旋律

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

旋律はメロディとも呼ばれ、音楽の三要素のひとつ。

音楽の三要素は「旋律(メロディ)」「和声(ハーモニー)」「リズム」。旋律と和声の違いは、「旋律では個々の音がひとつひとつ順に演奏されるのに対し、和声では複数の音が同時に演奏される点」である。

ときどき作曲をしているが、ネット上で「作曲のしかた」のようなサイトや動画を見ると、基本的にはどこから作ってもいいが、上記の三要素のどれかから作曲をすることが書かれている。自分の場合も、メロディから作ることもあれば、ハーモニー(コード進行と言い換えてもいいだろう)からや、リズムから作ることもある。しかしどれかひとつの要素を作り上げてから次の要素を作る(たとえば、メロディを作り上げてからコードをつける)というやり方はしたことがなく、メロディ(あるいはフレーズ)を2~4小節作ってコードとリズムをつけて、など、この三要素を行き来しながら作ることがほとんどである。

2019/02/14

第2週第4日(木)エラトステネス

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

『世界の教養365』では、エラトステネスは地球の大きさを測った人として書かれている。

毎年、一年で最も長い日の正午になると太陽の光が底まで届く井戸が、エジプトのシエネという町の近くにあった。そこでシエネで太陽が真上に来るときに、シエネの真北に位置するアレクサンドリアで太陽が真上からずれている角度を測ることができれば地球の大きさを推定できるのではないかとエラトステネスは考え、実際に測ってみた。

地球の大きさを推定したいと思い、その方法を考えたのか、それとも方法を思いついたのでやってみたいと思ったのか。どちらにせよ、こういった発想の話は好きである。

『世界の教養365』の豆知識欄に書いてあるが、エラトステネスは地球の大きさを測る以外でも名を残している。そのひとつが「エラトステネスの篩(ふるい)」だ。

「エラトステネスの篩」というのは、素数を見つけ出す古典的な方法で、自然数から合成数を取り除けば(篩にかければ)、残りが素数であるというものである。たとえば、1から100までの自然数があるとして、そこから、最初の素数2の倍数を取り除く、次に3の倍数を取り除く、次に5の倍数を取り除く、…というように小さい素数の倍数から順番に取り除いていけば合成数が取り除かれていく。そうやって小さい素数から順に特定していくやり方である。(言葉では説明しにくいし、わかりにくいですね…。詳しくはWikipediaなどでご確認ください。)

2019/02/13

第2週第3日(水)ネフェルトイティの胸像

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

初耳。

Wikipediaを検索すると、項目名は「ネフェルティティの胸像」となっていた。画像を見ると、どこかでちらっと見たことがあるような気がする(教科書か何かだろう)。古代エジプト美術で最も知られている作品のひとつで、女性美のひとつの典型であるという。

ネフェルトイティは、エジプトを紀元前1353年から前1335年まで支配したファラオ、アメンヘテプ四世の王妃である。ネフェルトイティについて詳しいことはわかっていない。アメンヘテプ四世は太陽神アテンを唯一神とする一神教を採用したことで有名(らしい)。

ネフェルトイティの胸像の作者は、古代の彫刻師トトメスとされている。1912年にドイツの考古学者ルートヴィヒ・ボルハルト(Wikiではボルヒャルト)が発見し、現在は独ベルリンの新博物館にある。

エジプト側は、ドイツに不正に持ち出されたということで返還を求めているようだ。

Wikipediaに「文化財返還問題」の項があり、そちらに文化財の返還にかかわる主な文化財が記載されていた。このようなことは全く知らなかったので、関心の幅を拡げておきたい。

『薔薇の名前』の名前について

『薔薇の名前』という書名(タイトル)について、ウンベルト・エーコは『「バラの名前」覚書』で、次のように述べている。
『バラの名前』を書いてから、私は読者の方々から多数の手紙を受け取った。巻末のラテン語の六脚韻詩句の意味は何か、またなぜこのタイトルがそれから暗示を受けたのかを知りたいというものだった。
私が答えたのは、この詩句が、12世紀のベネディクト会修道士、モルレーのベルナールの『俗世蔑視について』から採られていること、この詩が「いずこにありや」(Ubi sunt)テーマの一つの異形である(ヴィヨンの「されど去年の雪は今いずこにかある」もやがてここから派生することになる)こと、ただし、ベルナールはありふれたトポス〔共通表現〕(往年の偉人たち、有名な都市の数々、美しい王女たち、すべてが露と消え去る)にさらに、消え失せるすべてのもののうちただ名辞だけは残存するとの考え方を付加していること、である。
アベラールが "nulla rosa est" 〔いかなるバラも(存在し)ない〕なる句を用いたのは、言葉が消え失せた物についても、存在せざるものについても語りうることを示すためだったことにも私は言及しておいた。
(『「バラの名前」覚書』p.3)
『薔薇の名前』の最後の文章はラテン語で書かれた詩句である。邦訳ではカタカナで「〈過ギニシ薔薇ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ〉(下、p.383)」と訳されている。邦訳版ではこの箇所のラテン語は載っていない。

最近、『薔薇の名前』のブログ記事を書き、そこにamazonへの書籍リンクを貼っていたためだろう。amazonからのオススメとして、エーコの『「バラの名前」覚書』の邦訳が紹介されており、購入してしまった。そして同じように紹介されていた、A.J.ハフト(他)『「バラの名前」便覧』も合わせて購入した。

『「バラの名前」便覧』には、該当のラテン語が載っていた(その訳と、注もあった)。
【本文】stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus.
【訳】きのうのバラはただその名のみ、むなしきその名をわれらは手にする。
訳者が異なるので日本語訳が異なるのはしかたのないことであろう。

さて『薔薇の名前』の書名について話を戻すと、エーコが読者から受けた質問は「巻末のラテン語の六脚韻詩句の意味は何か」、また「なぜ『薔薇の名前』というタイトルがそのラテン語の詩句から暗示を受けたのか」を知りたいというものだった。

それについてエーコは、「(このラテン語の詩句は)ベルナールの『俗世蔑視について』から採っていること」、「この詩が「いずこにありや」(Ubi sunt)テーマの一つの異形であること」、そして「(この詩句の作者である)ベルナールはありふれた表現に、消え失せるすべてのもののうちただ名辞だけは残存するとの考え方を付加していること」、そして「アベラールが"nulla rosa est" 〔いかなるバラも(存在し)ない〕なる句を用いたのは、言葉が消え失せた物についても、存在せざるものについても語りうることを示すためだったこと」を答えたと、『「バラの名前」覚書』に書いている。

「いずこにありや」(Ubi sunt)テーマというのがよくわからないが、ここには「名前」あるいは「言語」「記号」の特徴が表れている。

この世の中に実物として残っていないものでも、その名前だけが残っているものがある。たとえば(乱暴な例だが)ウンベルト・エーコは2016年に亡くなったが、「ウンベルト・エーコ」という名前は残っている。あるバラの花が枯れてしまったとしても、「バラ」という言葉はある。

言葉が消え失せた物についても、存在しないものについても、「言葉が消え失せた物」「存在しないもの」という言葉で表現できる。

『薔薇の名前』という書名がエーコの念頭に浮かんだのは「ほとんど偶然だった」という。しかし、気に入っている理由として、「薔薇(バラ)」という言葉には様々な比喩的な意味や象徴が含まれ(過ぎ)ていて、そこから本の内容が推測しづらいことを挙げている。最終行のラテン語の詩句で唯名論的な読みができるとしても、それは読み終わりの最後である。

『薔薇の名前』の本のカバーのソデに、エーコ自身がしたためた惹句があるという(『100分de名著』2018年9月)。「理論化できないことは物語らなければならない」と。

1980年出版の『薔薇の名前』の前に、エーコは『開かれた作品』(1962)や『記号論』(1975)など、理論的な書物を出版している。それらに書ききれなかったことを書こうとして書いた物語が『薔薇の名前』であるとも言える。


2019/02/12

第2週第2日(火)アーネスト・ヘミングウェイ

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

ヘミングウェイの小説は読んだことがない。

ヘミングウェイの小説として有名なものは、『日はまた昇る』(1926)、『武器よさらば』(1929)、『誰がために鐘はなる』(1940)、『老人と海』(1952)などがある。

『世界の教養365』には、「反復を多用しつつ、無駄を削り落として、男らしさを前面に出し、単純そうな見掛けの裏に真意を隠す散文体を完成させた。」とあった。

興味を引いたのは、ページ下部の豆知識欄で、「毎年「イミテーション・ヘミングウェイ・コンテスト」が開かれていて、特徴的なヘミングウェイの文体にパロディという形で敬意を表した作品が数百点集まる」と書かれていたこと、そして、過去の受賞作に『老人と蚤』や『誰がために金はうなる』というものがあると書かれていたことである。

日本語で『老人と海』→『老人と蚤』、『誰がために鐘はなる』→『誰がために金はうなる』と対応させているが、英語ではどうなのだろうか。

気になったので調べてみた。

まずは、ヘミングウェイの小説タイトルの原題。

『老人と海』 The Old Man and the Sea
『誰がために鐘はなる』 For Whom the Bell Tolls

つぎに、イミテーション・ヘミングウェイ・コンテストだが、英語版Wikipediaに「International Imitation Hemingway Competition」の項目があった。そこに、2002年のWinnerとして"The Old Man and the Flea"があることが書かれていた。これが『老人と蚤』だろう。『誰がために金はうなる』に対応しそうなものはWikipediaにはなかった。

しばらくWebを探してみたところ、2001年から2005年のイミテーション・ヘミングウェイ・コンテストの受賞作が掲載されているサイトをみつけた。
2001年のfirst runner-upに、"Dead Com or For Whom the Cash Flows"とある。これがおそらく『誰がために金はうなる』だろうが、英語タイトル前半の「Dead Com」というのがしっかりとはわからなかった("コンピュータが死んだ、もしくは、誰かために金が流れる"という意味だろうか?)。2002年受賞作には"The Old Man and the Flea"もある。

どちらも本文は読んていない。

ちなみに、イミテーション・ヘミングウェイ・コンテストは、2005年で終了した模様。『世界の教養365』の原本(原題:The Intellectual Devotional)は2006年の出版で、日本語の翻訳は2018年なので、「毎年」開催されていると書かれていても、いたしかたなしか。

2019/02/11

第2週第1日(月)ハンムラビ法典

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

ハンムラビ法典は、「現存する史上最古級の成文法」で、「国民が守るべき規則と、法を破った者が受ける罰」を明確にしている。ハンムラビとはバビロニア(現在のイラクあたり)の王様の名前。ハンムラビ法典は、石柱に楔形文字で刻まれている。

ハンムラビ法典で思い起こすことは、「目には目を、歯には歯を」という文句である。「やられたらやり返せ」という意味に取られるが、Wikipediaに、
現代では、「やられたらやりかえせ」の意味で使われたり、復讐を認める野蛮な規定の典型と解されたりすることが一般的であるが、「倍返しのような過剰な報復を禁じ、同等の懲罰にとどめて報復合戦の拡大を防ぐ」すなわち、あらかじめ犯罪に対応する刑罰の限界を定めること(罪刑法定主義)がこの条文の本来の趣旨であり、刑法学においても近代刑法への歴史的に重要な規定とされている。
とも記載がされており、単純に「やられたらやり返せ」とは考えないほうがよさそうだ。

わたしの方は、とんちんかんな考えだが「埴輪ハォ!」が最初に浮かぶ。

2019/02/10

第1週第7日(日)トーラー

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

日曜日は宗教。「トーラー」について。

「トーラー」という名前は知っていたが、具体的に何を指すのか、どのようなものなのかは知らなかった。ユダヤ教に関する文書で、ミステリーの影響だろうが暗号とか隠されたメッセージというイメージがある。

「トーラーとは、ヘブライ語の聖書にある五つの書、いわゆるモーセ五書を指す名称」ということで、この五書に他のユダヤ教文書を加えたものを旧約聖書というらしい。また、「口伝のほか数点の文書で伝えられている膨大なユダヤ教の立法全体を指すこともある」らしい。

モーセ五書は、「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」。



2019/02/09

第1週第6日(土)現象と実在

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

土曜日は哲学分野。

現象と実在の違いは、哲学の歴史で大きなテーマとして存在している。

ソクラテス以前の哲学者がどのように考えていたかを紹介している。

タレス、ヘラクレイトス、パルメニデスの例。


今まで読んだ本で思い出したのが、『ソクラテス以前以後』と『ソフィーの世界』。


哲学を英語でいうと、philosophy(フィロソフィー、希:philosophia)。原義は「知(sophia、ソフィア)を愛する(philein、フィレイン)」。


2019/02/08

第1週第5日(金)音楽の基礎

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

金曜日の分野は音楽。

音楽とは「模倣や楽譜によって再現できる、組織化された音のこと」とあった。「組織化された音」というのはなんとなくイメージできていたが、「模倣や楽譜によって再現できる」という視点(聴点?)はなかった。

音楽の音を分析する際の基本的な要素として、「音高(ピッチ)」「音階(スケール)」「調(キー)」が挙げられている。

音高や音階の説明のなかで、「ハニホヘトイロハ」という記号が使われていた。最近使う人はいるのだろうか。「ドレミファソラシド」のほうが通じやすいと思うのだが。嬰(シャープ)や変(フラット)という表現は初めて見た。

最近、曲を作りはじめ、このブログでもいくつか投稿している。そのため「ドレミファソラシド」ではなく「CDEFGAB」という記号の方にも少し慣れてきた。

2019/02/07

第1週第4日(木)クローン技術

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

木曜日は科学の分野。科学分野の最初は「クローン技術」。

『世界の教養365』では、1997年のクローン羊ドリーの誕生について書かれていた。ドリー誕生が衝撃的だった理由のひとつとして「個体の特定の部位から取った細胞を使っても、まったく新たな個体を作ることができると、科学の世界で証明されたから」としている。それまでは「細胞は特定の組織に分化した後では特定の細胞にしか分化できない」と思われていたからだ。

クローン技術は、理論的にはヒトでも応用可能である。しかし、倫理的な問題を中心に、ヒトに対してクローン技術を用いることは様々な問題がある。

これらの問題を解決する手段として注目されているのが、京都大学の山中教授が開発(なんと言えばいいのだろう?)した「iPS細胞」だ。

クローン技術をヒトに応用する目的のひとつとして、極端な表現をすると、臓器移植のようなものがあると思っている。再生医療として、自分自身のクローンをつくり、そこから必要な部位を移植する。しかしそこには技術的な問題とともに倫理的な問題が発生する。クローン技術で作られたとはいえ、一人の人間として扱わなければ(扱うという表現もおかしいが)ならないのではないかということだ。もちろん一人の人間のクローンを完全につくってから臓器移植ということは効率が悪いのでないだろうが。

iPS細胞については、少し方向が異なっている。先の極端な臓器移植のたとえで続けるなら、クローン技術を用いた方法は一人の人間を作りそこから部分を取り出すという方向だが、iPS細胞では部分を直接作り出すという方向だ。私はこのように大雑把に理解している。技術的なところはわかっていない。

まだ先は読んでいないが、『世界の教養365』には「iPS細胞」も載っているだろうか。

異なる印象の曲、3曲。

異なる印象の曲、3曲。

習作27(3:52)
オーソドックスな曲。ピアノでいう白鍵を多用する傾向が高いので、作る曲はハ長調が多いです。


習作28(2:12)
実験作。ちょっと不気味な曲。ロールプレイングゲームのダンジョンをイメージ。


習作29(4:45)
サビの部分からつくったが、Aメロ、Bメロを作っている最中に調が変わってしまった模様。黒鍵を使用しとうと思い作成。Bメロからサビがうまくつなげられず苦労した。後半、ピアノの音だけが暴れている。しかし暴れきってはいない。


2019/02/06

第1週第3日(水)ラスコー洞窟の壁画

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

Lascaux painting

視覚芸術分野、最初の項目は「ラスコー洞窟の壁画」(画像はWikipediaより)。

ラスコー洞窟は、フランスのモンティニャックという村にある。1940年、4人の少年がたまたま洞窟に入って発見された。1万5000年から1万7000年前(旧石器時代)に描かれたものだという。

1948年に一般公開されたが、壁画が傷んできたため1963年に閉鎖。現在はレプリカの洞窟がつくられ、そこで閲覧可能である。

壁画が描かれた目的については諸説ある。「この洞窟の形状を見て動物の形に似ていると考え、そのイメージをほかの人に伝えようとして目立つ印を付け加えた」「呪術的な儀式に使われた」など。


日本においては、洞窟壁画でぱっと思い浮かぶものはない。

壁画というもう少し大きなくくりにすると、有名なのは高松塚古墳やキトラ古墳の石室に描かれた壁画ではないだろうか。時代でいえば、飛鳥時代か奈良時代あたりだろうか。

2019/02/05

『薔薇の名前』下巻目次

薔薇の名前 *下巻目次* (上巻目次はこちら

第四日
讃課 ウィリアムとセヴェリーノがベレンガーリオの死体を調べてみると、舌が黒くなっている。溺死者にしては解せない反応だ。それから二人の話は毒物のことになり、遠い以前に起こった盗難事件が話題になる
一時課 ウィリアムはまずサルヴァトーレに、ついで厨房係に、曰く付きの過去を、それぞれに白状させる。盗まれたレンズをセヴェリーノが見つけ出し、新しいレンズをニコーラが持ってきたので、ウィリアムは六個の目玉でヴェナンツィオの書き残した紙片の解明に取りかかる
三時課 アドソが愛に苦しみ悶ていると、ウィリアムがヴェナンツィオの紙片を持ってやって来る。謎を解いたあとにも、なお謎めいたものとしてそれは残る
六時課 アドソが松露を探しに行くと、小さき兄弟会士の一行が到着する。彼らはしばらくのあいだウィリアムやウベルティーノと話しあっていたが、ヨハネス二十二世をめぐるまことに憂うべき事態が明らかになる
九時課 ポッジェットの枢機卿、ベルナール・ギー、その他アヴィニョンの一行が到着し、その後は各人が思い思いに行動する
晩課 アリナルドがどうやら貴重な情報をもたらしてくれる。ウィリアムは一連の試行錯誤の後に、真実と思われるものへ達するための独自の方法を明らかにする
終課 サルヴァトーレが不思議な魔術について語る
終課の後 ふたたび迷宮に入りこみ、<アフリカノ果テ> の敷居に達するが、四つのうちの第一と第七が何であるのかわからないため入れない。そして最後にアドソが、今度は非常に学問的な形ではあったが、愛の病のなかへまたしても倒れこむ
深夜課 サルヴァトーレが惨めにもベルナール・ギーに見つけ出され、アドソの愛する娘は魔女として捕えられて、誰もがいっそう滅入った落着かない気持で眠りにつく

第五日
一時課 キリストの清貧をめぐって忌憚のない意見が交わされる
三時課 セヴェリーノが奇妙な書物のことをウィリアムに告げ、ウィリアムは世俗権力をめぐる奇妙な考え方を双方の使節団に語る
六時課 セヴェリーノが惨殺死体で発見され、彼が見つけたはずの書物はもう見当たらない
九時課 審問が行なわれ、間違っているのはすべての人間ではないかという混乱した印象を抱く
晩課 ウベルティーノが逃亡し、ベンチョが僧院の規則を守りはじめ、ウィリアムはこの日に巡り合った様ざまな型の欲望について考察を加える
終課 反キリスト到来の説教に一同が聞き入り、アドソは名前の持つ力を発見する

第六日
朝課 <坐セリ> 王侯たちはと歌声の流れるなかで、マラキーアが床に倒れる
讃課 厨房係は新たに選び出されるが、文書館長は新たに選任されない
一時課 地下聖堂の宝物庫を訪ねているうちに、ニコーラが多くのことを物語る
三時課 死者のミサ「ディエス・イレ〔怒りの日〕」を聞きながら、アドソが夢もしくは幻とでも呼ぶべきものを見る
三時課の後 ウィリアムがアドソの見た夢の謂れを解き明かす
六時課 歴代文書館長の人脈を辿り返すうちに、謎の書物についても新たな情報を得る
九時課 僧院長はウィリアムの話に耳を貸そうとせずに、宝石の言語について語り、あの痛ましい一連の事件にはもう立ち入らないでよいと言明する
晩課と終課のあいだ 長びいた混乱状態が手短に物語られる
終課の後 ほとんど偶然に、ウィリアムが <アフリカノ果テ> に入る秘密を発見する

第七日
深夜課 ここで暴露された驚くべき秘密の物語を要約しようと思えば、この小見出しは章全体の長さにも等しくなりかねない。だが、それでは従来の慣習に反してしまう
深夜課 世界燃焼が生じて、徳が満ちあふれたために、地獄の力が勝利を収める

最後の紙片

解説 河島英昭

*上巻目次*

第1週第2日(火)『ユリシーズ』

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

第1週第2日(火)は、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』。読みたいけれど読んでいない本のアンケートをとると上位に必ず入るのではないでしょうか。私は読んでいません。

ただ、ジェイムズ・ジョイスの他の作品ならば、見たことはあります(読んだとは言い難いです)。

見たことのある作品は、『若き芸術家の肖像』『ダブリン市民』『フィネガンズ・ウェイク』の3つ。

『若き芸術家の肖像』と『ダブリン市民』は学生時代に読んではみたものの、つまらないと思い古本屋へ。本を読みはじめたばかりのときで、英米文学科に入ったのだから文学作品くらいは読んでおこうと思ったのがきっかけです。小説自体もあまり読んだことがない時期に読んだので、よくわからずつまらないと思ってしまいました。今読んだらおもしろいのですかね。

『フィネガンズ・ウェイク』は柳瀬尚紀さんの訳であることから、ジョイスにもう一度挑戦してみようと思い読みはじめたのですが、時折思い出したように手にとるも通読できておりません。

今回の項目である『ユリシーズ』にも興味はありますが、まずは『フィネガンズ・ウェイク』の方を読みたいということ、そして、いろいろなところで『ユリシーズ』の粗筋や解説文を読むことがありますが、内容的にはあまりおもしろくなさそうであることから、しばらくは読まないと思います。

タイトルの「ユリシーズ」というのは、ギリシアの神話的英雄であるオデュッセウス(Odysseus)の英語形(Ulysses)。ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』の主人公です。『オデュッセイア』は、トロイア戦争の後のオデュッセウスの冒険の話で、神話的な物語もありおもしろい(『オデュッセイア』自体は読んだことはないですが、ギリシア神話は好きで、ホメロスの『イリアス』『オデュッセイア』はよく言及されます)のですが、ジョイスの『ユリシーズ』はなんとも言えません。

『世界の教養365』で書かれているストーリーを箇条書きで要約してみると、
  • ホメロスの『オデュッセイア』をダブリンのある一日(1904年6月16日)の出来事として作り変えたもの
  • 主人公レオポルド・ブルームが長い一日を送り、家に帰るまでのストーリー
  • ブルーム日常的ヒロイズムを実践している人物
とのこと。

『ユリシーズ』が有名な理由としては、
  • 登場人物を丹念に描写していること
  • 他の文学作品や芸術作品にそれとなく触れた箇所が多いこと
  • 言葉の斬新な使い方にあふれていること
の3つが挙げられていました。「言葉の斬新な使い方」については興味がありますが、『フィネガンズ・ウェイク』で充分かな(充分以上)と思っています。

あと、ジョイスのキーワードとしては「意識の流れ」という表現技法と、「エピファニー(顕現)」ですかね。

『薔薇の名前』上巻目次

薔薇の名前 *上巻目次* (下巻目次はこちら

手記だ、当然のことながら

プロローグ

第一日
一時課 僧院の麓に着くと、ウィリアムが鋭い推理の一端を窺わせる
三時課 ウィリアムが僧院長と教訓的な会話を交わす
六時課 アドソが聖堂の正面扉口を眺めて賛嘆し、ウィリアムはウベルティーノ・ダ・カサーレと再会する
九時課の前 ウィリアムが薬草係の学僧セヴェリーノと博識な会話を交わす
九時課の後 写字室を訪れて、多数の学僧をはじめ、写字生や写本装飾家、さらには反キリストの到来を待ち受ける盲目の老人と知りあう
晩課 僧院の残りの敷地を見てまわり、ウィリアムがアデルモの死に関して若干の推論を試みたのちに、字を読むためのガラス片と読書欲の過剰な者に現われる幻覚とについてガラス細工僧と語りあう
終課 ウィリアムとアドソが僧院長から温かいもてなしを受け、ホルヘからは棘のある会話の応酬を受ける

第二日
朝課 法悦のひとときが血腥い事件によって中断される
一時課 ベンチョ・ダ・ウプサラがかなりの事実を打ち明け、ベレンガーリオ・ダ・アルンデルのほうも別の事実を打ち明ける。アドソは真の悔悛が何かを納得する
三時課 卑しい身分の者同士の争いを私たちが見守っていると、アイマーロ・ダ・アレッサンドリアが近づいてきて、いくつかの事実をほのめかした。アドソは写字室へ戻ったが、ウィリアムは興味深いものを見つけ、笑いの正当性に関して三たび議論を交えたが、結局のところ念願の場所を覗くことはできない
六時課 ベンチョの語る奇妙な話から僧院生活の芳しくない実態がわかる
九時課 僧院の財宝を自慢してから、院長が異端の恐ろしさを述べたてる。しまいにアドソは自分が広い世間を見るために旅へ出たのは間違っていたのではないかと疑ってしまう
晩課の後 短い章ではあるが、ここでは長老のアリナルドが迷宮とそのなかへ入る方法について非常に興味深い事柄を口走る
終課 異形の建物に入ると、正体不明の人物が先に入っていた。妖術使の記号めいたものが書きつけてある秘密のメッセージが見つかる。今後も数多くの章にわたって探索の対象となる書物が、見つかったかと思うと、たちまちに失われてしまう。そしてウィリアムは大切なレンズを盗まれるが、変転する事件はそれに留まらない
深夜課 ついに迷宮のなかへ入って、不思議な幻に出遭い、迷宮のつねとして、そこで迷ってしまう

第三日
讃課から一時課まで 行方不明になったベレンガーリオの僧房で、血痕のついた布切れが見つかる。しかしそれ以上の手掛かりはない
三時課 写字室でアドソが、自分の修道会の歴史について、また蔵書の運命について、思いをめぐらす
六時課 アドソはサルヴァトーレから過去の身の上を打ち明けられる。それは短い言葉で語り尽くせるものではなく、逆に数多くの気掛かりな問題について考えさせられてしまう
九時課 ウィリアムはアドソに異端の大河のことを、協会における平信徒の役割のことを、普遍的法則の可知性に疑問を抱いていることを語って、そのあとヴェナンツィオが残した妖術使の記号の秘密をどのようにして解いたかを、さりげなく語る
晩課 ふたたび僧院長と語りあった。迷宮の謎を解くためにウィリアムは卓抜な考えをつぎつぎに思いつき、いちばん理に叶った方法でこれに成功する。そのあとでチーズの焼菓子を食べる
晩課の後 ウベルティーノが修道士ドルチーノの事件をアドソに物語る。アドソは別の事件を思い出したり、文書館のなかで勝手な読書に耽ったりする。が、そのあとで、戦闘態勢を整えた軍隊のような美しくも恐ろしい娘に出会う
深夜課 アドソは取り乱してウィリアムに告白し、天地創造の企てのなかで女に課された役割に思いをめぐらすが、そのあとで男の死体を発見する

*下巻目次*


2019/02/04

第1週第1日(月)アルファベット

デイヴィット・S・キダー&ノア・D・オッペンハイム、小林朋則(訳)
『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』からテーマをいただき、
毎日更新中。
----------

第1週第1日(月)の項目は「アルファベット」。

歴史分野の最初の項目が「アルファベット」というのは興味深く思う。「初めに言葉ありき」といったところだろうか。歴史的な出来事の表現とするならば「文字の発明」としてもいいかもしれない。

この本の内容では、歴史分野について「西洋文明の発展に貢献した人々や出来事を探る」としている。だから「アルファベット」ということであるが、「文字の発明」とすれば、日本における文字について、つまり「ひらがな」「カタカナ」「漢字」について連想してもいい。

まずは「漢字」について。これは中国からの輸入品である。

日本語は最初、文字を持っていなかった。必要にかられてなのか、便利だと思ったからなのかは知らないが、漢字を借りて日本語の文字(仮借文字)とした。漢字は表意文字(表語文字といったほうがいいか)であるので、事物の名称などはそのまま使えるが、中国語とは文法が違うので、すべてをそのままで使うことができなかった。その際には同じ(似たような)音の漢字を借りて、いわば当て字のように使った。そのような文字は、日本最古の歌集『万葉集』にちなんで(だと思う)「万葉仮名」と名づけられている。

そして、万葉仮名から「ひらがな」と「カタカナ」を作り出した。

ひらがなは、漢字をくずした形(草書体)から生まれている。

(画像:Wikipediaより)

カタカナは、漢字を略した形から生まれている。

(画像:Wikipediaより)

現在日本語は主に、ひらがな・カタカナ・漢字の3つの文字体系を使っている。アルファベットも使えなくはない(ローマ字)。

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』(今後『世界の教養365』と表記)のアルファベットの項では、ヒエログリフ(神聖文字)が複雑で文字も何千個とあるため、簡略版を作ったこと、そしてそれがアルファベットの起源であることが述べられている。それによって覚えるのが楽になり、使いやすく広まったということだ。

一方、日本においては、漢字・ひらがな・カタカナと、アルファベットに比べて数が多い。英語のアルファベットが26文字であるのに対して、ひらがなだけでも46文字(濁点・半濁点除く)、カタカナも同じく46文字、漢字は常用漢字だけで2136文字(2010年改定)もある。

文字の違いによるメリット・デメリットをまとめるのもおもしろいかもしれない。

2019/02/03

1年間続けること

毎日のブログ更新を目標としたいと思っている。
しかし、書くことが見つからなかったりすると途切れてしまう。無理なく続けるにはどうすればいいだろうか、と考えていた。
多少の強制力は必要だろうが、プレッシャーで書けなくなってはいけない。自分にも他人にも、書きたい読みたいと思うようなことは何か。そんなものが毎日書けるのか。

そもそも自分が興味を持つことはどのようなことなのか。

そんな中、自分の興味の範囲は「リベラル・アーツ」にあるのではないかと思い至った。
ギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことである。具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学・音楽の4科のこと。
Wikipedia「リベラル・アーツ」より
まだ範囲が広すぎるのだが、ひとまず仮置きとしてリベラル・アーツを興味の対象としておこうと思った。

最近売れている本のひとつに『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』がある。自分の興味の対象を「リベラル・アーツ」としたとき、「教養」のことを連想し、そこからこの本のことを思った。

1日1ページ、365日のテーマが得られるのではないか。
早速本屋へ行き、購入した。

『1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365』では、364個の項目を取り上げている。1日1ページ、曜日ごとに7つの分野を52週間で読めるようにしている(7×52=364)。曜日ごとの分野は以下の通り。
  • 月曜日――歴史
  • 西洋文明の発展に貢献した人々や出来事を探る。
  • 火曜日――文学
  • 偉大な作家の生涯と、その代表作――現在も多くの読者をとりこにしている詩や小説――のあらすじを見る。
  • 水曜日――視覚芸術
  • 世界で最も影響力の大きい絵画・彫刻・建築作品を生み出した芸術家や芸術運動を紹介する。
  • 木曜日――科学
  • ブラックホールの起源から電池の仕組みまで、科学の不思議を簡単に解説する。
  • 金曜日――音楽
  • 偉大な作曲家たちにインスピレーションを与えたもの、楽譜の読み方、モーツァルトがこれほど人気がある理由など、音楽の遺産を概観する。
  • 土曜日――哲学
  • 古代ギリシアから20世紀まで、人類最高の思想家たちが、人生と宇宙の意味を解明しようとしてきた努力を取り上げる。
  • 日曜日――宗教
  • 世界のおもな宗教とその教義を概説する。
この本の項目にしたがって、毎日のブログ更新を1年間続けてみようと思う。

2019/02/02

お蔵入り曲から再編

使う楽器の音が、ヴィブラフォン、ピアノ、ベース、ドラムと決まってきました(音質はよくないですが)。

ジャズっぽい曲を作りたいですが、ジャズ特有の音とリズムがまだつかめていません。

習作26(4:37)
お蔵入り03を再編しました。


お蔵入り03(3:17)※再掲(参考:お蔵入り作品2

ブログ アーカイブ