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2020/08/03

続・頓珍漢仮説

「とんちんかん」の意味をあらためて手元の辞書で引いてみると、以下のように書かれていた(『三省堂国語辞典』第五版)。
①つじつまのあわないこと(をする人)
②わけのわからないこと。
WEB で語源を調べると、鍛冶屋の音が由来であることが書かれている。鉄を打つときの槌の音で、揃っていないズレた音を「トンチンカン」という擬音語で表したことから、ちぐはぐであるとか、辻褄の合わないというような意味となったらしい。

相槌がズレているということであろうか。

漢字で「頓珍漢」と書くが、これは当て字ということらしい。しかしこの漢字のために、頓珍漢が人(漢)を表すようになったのではないかとも思う。

さて、『吾輩は猫である』で「頓珍漢(とんちんかん)」が使われているところは、3ヵ所あった。「頓珍漢」が含まれている文を抜き出してみる。文末につけた括弧つきの漢数字は、該当の文がある回(章)の数である。
これで懸合をやった日にや頓珍漢なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔を一寸見上げた。(二)

是で考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的作用によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。(七)

世の中にはこんな頓珍漢な事はままある。(九)
まず「頓珍漢」が現れるのは小説の第2回(第2章)で、越智東風が先生宅にやってきて、次回の朗読会に参加してほしいと依頼している場面である。2回目は、銭湯で裸体の人間を見て、衣裳哲学らしきものを考えている最中。3回目は泥棒逮捕の報告を受けたときの先生と迷亭の様子である。

こじつけ感はあるが、名前の登場と頓珍漢の出現回をみると、なんだか符合しているように思える。
第1回 先生登場(名前はまだない)
第2回 寒月登場、東風登場、「頓珍漢」出現
第3回 苦沙弥先生(名前初出)
……
第7回 「頓珍漢」出現
……
第9回 珍野(姓初出)、「頓珍漢」出現
……
さらに言うと、これもこじつけ感があるが、第2回において、バルザックが小説中の人間の名をつけるために友人を連れて歩きまわったという逸話が書かれている。

水島寒月は、漱石の弟子でもある寺田寅彦がモデルであるといわれている。『定本漱石全集』の注解には、明治38年2月13日付の寺田寅彦宛書簡に「時に続々篇には寒月君に又大役をたのむ積りだよ」とあること、また寅彦には、明治34年2月に「寒月」(冬の季語)を詠んだ句が3句あることが書かれていた。

越智東風のモデルについては『定本漱石全集』には書かれていない。私は勝手に「あちこち」から名付けたと思っている。越智東風は小説内で「おちとうふう」という読みの他に「おちこち」という読みもつけていてる。「あちこち」→「おちこち」→「越智東風」ではないだろうか。バルザックが登場人物の名前をつけるために友人とパリの街をあちこち歩き回った話を知っていた漱石は「あちこち」から名前をつけたのではないだろうか。
(もうひとつ、捨てがたい案に「おっちょこちょい」→「おちこち」がある。)

そして、寒月の「かん」、東風から「とん」、あとは「珍」があれば「とんちんかん」になると第9回で「珍野」と姓を付けたと考えることはできないだろうか。

直接的な証拠はないが、否定する理由もないので、そう思っておく。

2020/08/02

頓珍漢仮説

夏目漱石『吾輩は猫である』の登場人物の名前の由来のひとつに「とんちんかん」があるのではないか。越智東風の「とん」(「とうふう」と振仮名が振ってあるが、東を「とん」として)、珍野苦沙弥の「ちん」、水島寒月の「かん」で、「とんちんかん」となるのではないか。

こんな頓珍漢なことを考えている。

この3人の名前の由来について、どのように付けられたのかということは知らない。漱石自身がどこかに書いているとは聞いたことも読んだこともなく、また他の誰かが書いていたとも記憶にない。

ただ、特定の人物ではないが、小説の人名について漱石自身が語っている「小説中の人名」という文章がある。明治41年10月21日付『国民新聞』に掲載されたもので、短い文章なので、以下に全文引用する(新仮名遣いに改めている)。
 小説中の人物の名は、却々うまく附けられないものだ。場合によると、あれもいかぬ、之れもいかぬで、二日も三日も、考えてみることもあるが、凝っては思案に能わぬで、大抵はいい加減に附けて了う。
 恁ういう人物には恁ういう名でなければならぬというような、所謂据わりのいい名というものは、却々無いものだ。早い話が自分の子供の名を附ける場合でも、矢張これならばというような名は、容易に附けえられない。
 この頃は可成判りやすい名を附けるようにしている。源義経とか何の何雄とか、やかましい名は嫌いだ。三四郎とか与次郎とか普通の名の方がいい。
明治41年(1908年)10月というと、『三四郎』が新聞連載中の頃で、三四郎という名が引用文中にも挙げられている。「この頃は可成(なるべく)判りやすい名を附けるようにしている」ということは、以前はいろいろと考えていたことを示していて、それこそ「二日も三日も、考えてみる」こともあったのだろう。

『吾輩は猫である』の中で、名前のない猫の主人である先生は最初から登場しているが、苦沙弥先生という名前が出てくるのは第三回で、珍野という姓がわかるのは第九回である。水島寒月と越智東風は第二回に名前付きで登場している。珍野という姓が出てくる場面は、先生宛にいくつか郵便物が届き、それを読んでいる場面であるが、その郵便物の中に「大日本女子裁縫最高等大学院」からの書面があり、その校長の名が「縫田針作」であることがおもしろい。

苦沙弥先生の姓を付けるにあたり、「ちん」をつければ、東風の「とん」と寒月の「かん」で「とんちんかん」になると、「珍野」という姓を付けたのではないかというのが、私の(まあ、どうでもいいような)仮説である。

(次回につづく)


2020/08/01

ついでに頓珍漢

『オデュセイア』での「ウーティス」から、「名無しの権兵衛」を連想し、『ついでにとんちんかん』のキャラクタである「七志野ゴンベエ」を思い出した(先日の記事では「習志野権兵衛」と書いたが、Wikipedia で「七志野ゴンベエ」ということを確認した)。

そして、「とんちんかん」と「名無し」から、夏目漱石『吾輩は猫である』を連想する。そして、自分のなかにある、ある仮説を思い出す。

『吾輩は猫である』の登場人物に、越智東風と水島寒月という人物がいるが、そこに苦沙弥先生を合わせると「とんちんかん」になる。越智東風、珍野苦沙弥、水島寒月という登場人物の名前の由来のひとつに「とんちんかん」があるのではないか、という仮説である。

漫画『ついでにとんちんかん』では、怪盗とんちんかんという名前は、そのメンバの名前から取られたという設定になっていた。Wikipedia でメンバのフルネームを確認すると、中東風(ちゅん・とんぷう)、発山珍平(はつやま・ちんぺい)、白井甘子(しらい・かんこ)であった(麻雀牌の白撥中でもあったのですね)。「とんぷう」「ちんぺい」「かんこ」の頭文字で「とんちんかん」となる。

同様に、とはいえないが、越智東風の「東」、珍野苦沙弥の「珍」、水島寒月の「寒」で「とんちんかん」だと思ったことがあった。いつ思いついたのかは覚えていないし、ひょっとするとすでに誰かが言っているのを聞いたり読んだりしたのかもしれないが。

この仮説が正しいかどうかなど、わかったところで何の足しにもならないけれど、せっかく思い出したことなので、どうにか検証できないかと考えてみる。とりあえず Web で、「とんちんかん」と「吾輩は猫である」とか登場人物の名前で AND 検索してみるが、それらしき記述は見当たらなかった。

そこでまずは、せっかく手元に『定本漱石全集』があるので、名前の由来がどこかに書いていないか探してみようと思う。おそらくはないだろうから、次は『吾輩は猫である』を読みなおして、登場人物の名前の初出箇所を確認することにしてみたい。猫に名前がないように、苦沙弥先生も最初は「主人」とだけで、固有名詞はなかったと思う。寒月と東風は同じくらいに初登場だったはず。

そして、『吾輩は猫である』での「とんちんかん(頓珍漢)」の出現ヵ所の確認。何度か出て来たように覚えているが、どこで使われていたのかは覚えていない。

ひとまず今回は仮説検証の方向性のみ書いておく。


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