有子曰く、礼の用は、和もて貴しと為す。
先王の道は斯を美と為す。
小大之に由れば、行なわれざる所有り。
和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、
亦行なう可からず。
「和をもって貴しとなす」は、聖徳太子の「十七条の憲法」にある言葉ですが、ここから来たのですかね?
とりあえず、Wikipediaで「十七条憲法」を調べたところ、日本書紀での原文と書き下し文がありました。
(原文)
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。
(書き下し文)
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。
とここまで書いたところで、Wikipedeia「十七条の憲法」の脚注に、
例えば第1条の「以和爲貴」(和を以て貴しと為す)は、孔子の『論語』第1卷 学而第1「有子曰 禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す) が引用元である。
ちょっとした疑問は解決してしまいました(^-^;)
(気を取り直して、)さて、ここでは「礼」と「和」のバランスの話です。
「親しき仲にも礼儀あり」という諺(?)があります。
礼儀作法は、和(なごやか)であることが大切。しかし和(なごやか)であるだけでは礼儀作法は崩れてしまう。
堅苦しくならず、かといって、なあなあ的にもならず、相手を尊敬した振る舞いが必要。
節度を守って。
自分ができているかどうかは、さておき…。
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