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2012/04/03

為政第二・5「孟懿子問孝。~」

今回は、少し長い文章です。
孟懿子孝を問う。子曰く、違うこと無かれ、と。樊遅御す。子之に告げて曰く、孟孫孝を我に問う。我対えて曰く、違うこと無かれ、と。樊遅曰く、何の謂いぞや、と。子曰く、生けるときは之に事うるに礼を以てし、死せるときは之を葬むるに礼を以てし、之を祭るに礼を以てす、と。

孟懿子が「孝」の意味を孔子に質問しました。

孔子の回答は「違うこと無かれ」。


そのときか、その後かはわかりませんが、孔子が御者をしていた樊遅にこのことを告げたところ、樊遅は「どういう意味ですか?」と質問します。

孔子が言うには、「父母が生きているときは礼に従いお仕えし、亡くなったときは礼に従って葬り、また礼に従って祭ることである」と。


『論語』でのキーワードでもある「孝」と「礼」。

「孝」は、親孝行の「孝」。「礼」は、礼儀の「礼」。


為政篇ではこれより後、しばらく「孝」についての文言が続きます。

孔子は人を見てふさわしい言葉を投げかけるため一概には言えませんが、ここでの「孝」は「違(たが)うことがないようにすることだ」との回答。


では、何に「違うこと無かれ」なのか?


普通に考えると、父母にそむかないようにすること。

生きている間も、亡くなってからも、父母にそむかないようにすることが「孝」。


もうひとつは、礼にそむかないようにすること。

父母が生きている間も、亡くなってからも、「礼」にそむかないようにすることが「孝」。


今までの『論語』の言葉では、学而篇の11に「孝」のことが出ています(他にもあります)。
父親が存命ならば、父親の志を見よ。父親が亡くなっていれば、父親の行ったことを見よ。三年間父親の道を改めるということをしないならば、「孝」ということができる。

3年間というのは、儒教での喪に服す期間とのこと。

「礼」は誰に対してもあるものですが、その対象が父母となったときに「孝」というのかもしれません。



2012/03/29

為政第二・3「子曰、道之以政、~」

いつまで続くかわかりませんが、『論語』についての記事を書くペースを上げていきます。

本日は、為政篇の3つ目。
子曰く、之を道くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格し。

大まかな意味としては、「法制や刑罰のみで民衆を導いたりまとめたりしようとすると、民衆は規制されていなければ恥じることはない。しかし、徳や礼で導いたりまとめたりすると、己の身を恥じ正しくなる」ということです。


例えていえば、ここでいう「政」や「刑」は権限のようなもの。

ここから先はやってはいけない、でもここまではやってもいい、という境界線みたいなものです。

「政」や「刑」のみだと、やってはいけないことをやらなければ大丈夫、となってしまう可能性があります。


一方、「徳」や「礼」は理念や指針のようなもの。

このようにやっていこうという中心線のようなものです。

「徳」や「礼」があることで、そこから外れてしまった、という意識が芽生える。


私は電話窓口でスーパーバイザーの仕事をしていますが、オペレーターからたまに「ここまではやっていいという基準を明確にしてほしい」と言われることがあります。

しかしそれは「政」や「刑」を設けること。

「徳」や「礼」で以て説明していきたいところです。


2011/06/05

学而第一・15「子貢曰、貧而無諂、~」

久々の『論語』です。まだ学而第一。先は長い。

学而第一・15です。
子貢曰く、貧にして諂うこと無く、富みて驕ること無くんば、如何、と。子曰く、可なり。未だ貧にして楽しみ富みて礼を好む者には若かざるなり、と。子貢曰く、詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し、と。其れ斯の謂いなるか、と。子曰く、賜や、始めて与に詩を言う可きのみ。諸に往を告げて、来を知る者なり、と。
子貢は孔子に、「貧乏でもへつらうことなく、裕福でも驕ることがない、というのはいかがでしょうか?」と尋ねました。孔子の回答は、「まあまあだな。貧乏でもその道を楽しみ、裕福でも礼儀を好む者には及ばない」

すると、子貢は次のように返します。

「『詩経』でいう、『切磋琢磨』とはこのことをいっているのですね」

孔子は子貢の言葉を聞いて、「子貢よ、それでこそはじめてともに『詩経』の話ができる。君は一度話を聞くと、わかってくれる」と言いました。


「切磋琢磨」という語を聞くと、本間正人先生の話を思い出します。

2011/03/27

学而第一・13「有子曰、信近於義、~」

有子曰く、信義に近ければ、言復む可し。
恭礼に近ければ、恥辱に遠ざかる。
因ること其の親を失わざれば、亦宗ぶ可し。

加地伸行氏の『論語』での訳は、
有先生の教え。約束(信)の内容が[仮に良くないとしても、]道義(義)に反するほどのものでないならば、言ったとおりにしてよい。相手への丁寧さ(恭)が[仮に馬鹿丁寧であっても、]作法に反するほどのものでなければ、丁寧にしても恥をかくわけではない。他者への依頼が[仮に度を越していたとしても、]親しむべきありかたにそうはずれていないならば、その依頼する相手への尊敬心を持ち続け、お願いせよ。

一方、斉藤孝氏の『現代語訳 論語』では、
有子がいった。
「約束を守る<信>の心が<義>の精神に沿っていれば、約束を履行できる。丁重に人に接する<恭>の心は、<礼>に沿えば人から軽んじられにくい。人に頼るときは、親しむべき人をまちがえなければ、うまくいく。」

最後の一文の解釈が分かれているようです。

加地伸行氏の『論語』には、次のような脚注があります。
「因」を姻族(配偶者側の一族)、「親」を親族(宗族。自分側の一族)とし、宗族は助け頼りあうが、姻族といえどもしたしむべきありかたを失わないかぎり、助け頼りあうとする(鄭玄)、あるいは「可宗」を「そういうりっぱな人は<宗>一族の長たるべきである」とする『逢原』説もある。
ともあります。
(注:「鄭玄」…鄭玄『論語鄭氏注』、「逢原」…中井履軒『論語逢原』)

以下、漢文や論語の知識がない、私の勝手な考えの記録です…。

2011/03/09

学而第一・12「有子曰、禮之用、和爲貴。~」

有子曰く、礼の用は、和もて貴しと為す。
先王の道は斯を美と為す。
小大之に由れば、行なわれざる所有り。
和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、
亦行なう可からず。

「和をもって貴しとなす」は、聖徳太子の「十七条の憲法」にある言葉ですが、ここから来たのですかね?

とりあえず、Wikipediaで「十七条憲法」を調べたところ、日本書紀での原文と書き下し文がありました。
(原文)
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。
(書き下し文)
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。

とここまで書いたところで、Wikipedeia「十七条の憲法」の脚注に、
例えば第1条の「以和爲貴」(和を以て貴しと為す)は、孔子の『論語』第1卷 学而第1「有子曰 禮之用和爲貴」(礼を之れ用ふるには、和を貴しと為す) が引用元である。

ちょっとした疑問は解決してしまいました(^-^;)


(気を取り直して、)さて、ここでは「礼」と「和」のバランスの話です。

「親しき仲にも礼儀あり」という諺(?)があります。

礼儀作法は、和(なごやか)であることが大切。しかし和(なごやか)であるだけでは礼儀作法は崩れてしまう。

堅苦しくならず、かといって、なあなあ的にもならず、相手を尊敬した振る舞いが必要。

節度を守って。


自分ができているかどうかは、さておき…。

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