2011/03/01

「聞く」とは、裸になって飛び込むこと

本日(正確に言うと昨日…0時を回ってしまったので)、クレーム対応で電話を代わりました。

お客様は、外国人の方らしく、片言の日本語で話をされていました。怒っていらっしゃるのでとても早口です。正直、聞き取りづらい…。しかし、聞き流すわけにもいきませんので、集中して聞いていました。

無事、対応はできたのですが、非常に疲れました。30分以上にわたる電話対応です。その間、ずっと聞くことに集中していたためだと思います。


「聞く」という行為が、受動的なことではなく、能動的な行為であると知ったのはコーチングを知ってからです。ただ、そのときは「なるほどな」と思っただけですが、そのうちに能動的な行為であることがわかり始めました。

しかし私は、本当に聞くことができているか、と問われれば、まだできていないと思っています。


この記事の『「聞く」とは、裸になって飛び込むこと』のタイトルは、鈴木義幸さんの『成功者に学ぶ「決断」の技術』(講談社+α文庫)の章題からとったものです。

本当の「聞く」行為について思い出すとき、考えるとき、私はいつもこの箇所を思い出します。



ここでは、鈴木さんがある会社でコーチング・トレーニングを行っていたときのエピソードが書かれています。

鈴木さんが質問はないかと尋ねたところ、40代後半くらいの男性から「結局、ほめるっていうことが大事なんでしょ」と戦闘モードの口調で言われました。鈴木さんとその男性とのかみ合わない議論が続きます。

そんな中で、鈴木さんは別の角度から質問。そしてやりとりがあった後、
「話、聞いていないんじゃないですか?」
「少なくともこの瞬間、僕はあまり聞かれている気がしませんけどね」

ひやッとする言葉です。野球で例えると、内角高めのストレートを投げたような。

しかし、そこから男性は変わり始めます。というよりは、鈴木さんが聞かれている気がしなかった、その理由を聞いた後からでしょうか。
「僕が話をしている瞬間に、よく目が動くんですね。左右に、せわしなく。話しているときは、そんなことはないのに。だから思うわけですよ、聞いているときは頭がぐるぐるせわしなく動いているんだろうな、と。それはなんなのかな、と」

そこから、本当に聞いている状態とはどんな状態なのかについて話が進んでいきます。

次の言うことを何も考えずに聞く。

このレベルまで「聞く」行為をした経験は、私にはありません。

今日のクレーム対応でも、聞くことに集中はしているつもりですが、頭の中はぐるぐるといろんなことを考えていました。

次にどんな言葉を言おうか。
今、何と言ったのだろう。
もうちょっとゆっくり話してくれればいいのに。
その話は、今は関係ないだろう。
いつ話が終わるのだろう。


まだまだ、修行が足りません。

自分自身が本当に聞いている感覚を知りたいと思いながらも、できていないのが現状です…。

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