学而第一・15です。
子貢曰く、貧にして諂うこと無く、富みて驕ること無くんば、如何、と。子曰く、可なり。未だ貧にして楽しみ富みて礼を好む者には若かざるなり、と。子貢曰く、詩に云う、切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し、と。其れ斯の謂いなるか、と。子曰く、賜や、始めて与に詩を言う可きのみ。諸に往を告げて、来を知る者なり、と。子貢は孔子に、「貧乏でもへつらうことなく、裕福でも驕ることがない、というのはいかがでしょうか?」と尋ねました。孔子の回答は、「まあまあだな。貧乏でもその道を楽しみ、裕福でも礼儀を好む者には及ばない」
すると、子貢は次のように返します。
「『詩経』でいう、『切磋琢磨』とはこのことをいっているのですね」
孔子は子貢の言葉を聞いて、「子貢よ、それでこそはじめてともに『詩経』の話ができる。君は一度話を聞くと、わかってくれる」と言いました。
「切磋琢磨」という語を聞くと、本間正人先生の話を思い出します。
「切磋琢磨」の「切」「磋」「琢」「磨」のそれぞれの字は、装飾品や宝石を作る・きれいにする作業を表しています。「切」は骨や象牙を切ること。「磋」はそれらを研ぐこと。「琢」は石や玉を叩くこと。「磨」はきれいに磨くこと。
装飾品などの細工は、手間がかかる作業ですし、緻密な作業でもあります。「切磋琢磨」は、このことから、勉強したり道徳に励んで人間を成長させることや、競い合い励まし合って互いをみがくことのたとえとなりました。
本間先生は、ここから次のように話します。
「松下幸之助さんは『人間は磨けば光るダイヤモンドの原石のようなもの』と表現していました。ダイヤモンドを磨くには、ダイヤモンドを使います。つまり、人間を磨くのは人間です。」
ここからコーチングの話につながっていきます。
子貢の問いに対する孔子の回答も、子貢を磨いています。子貢の問いに回答することで、物質的な面よりも精神的な面の方が大切だと気付かせ、子貢はそれに気付き、『詩経』から「切磋琢磨」を引用し、孔子はそのことを承認しています。
『詩経』にいう、「切磋琢磨」とはこのことをいっているのですね。
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