偶然というか、必然というか。
無意識なものが意識上にのぼってくることを、いつの頃からか、わもん関係者のなかでは「ミジンコが跳ねる」という表現をしています。
@3chuuu ぴょんと跳ねた音… 2012年のわもん流行語大賞にノミネートするであろう 「ミジンコ跳ねた」 直感がこころの湖面から ジャンプする瞬間を 表します。(笑)
— 川窪財(たからちゃん)さん (@kawakubotakara) 4月 4, 2012
そして、意識化・言語化することを「ミジンコを捕まえる」と。
無意識という心の湖で、ミジンコがぴょんと跳ねる。
跳ねたミジンコは何もなければそのまま無意識の湖へと戻ります。
そのミジンコを捕まえる。
広大な心の湖面で小さな小さなミジンコがぴょん。
跳んでいるのさえ気が付かないこともあります。
そのミジンコの捕まえ方はまだまだ修行する必要がありますが、まずはミジンコが跳ねていることに気付くことが重要です。
では、ミジンコが跳ねていることに気付くにはどうするか。
それには「完全沈黙」が関係しています。
実家に帰っていたときに読んでいた本は、ソローの『森の生活』。
『森の生活』は、ソローのウォールデン湖畔での自給自足の暮らしの記録です。
「湖」という章では、ウォールデン湖について、水の色や、風景や、そこに住む魚をはじめとする動植物について事細かに書かれています。
その「湖」の章からの一節。
丘の上からだと、どこで魚が跳ねてもたいていは目にはいる。カワカマスにしろシャイナーにしろ、このなめらかな水面に浮かぶ虫を一匹でも捕らえようとすれば、湖全体の平衡を大きくかき乱さずにはおかないからだ。……(中略)…… いや、四分の一マイルも離れたなめらかな水面を、ミズスマシ(Gyrinus)がたえず動きまわっているのさえ発見することができる。というのは、彼らは水面にかすかな溝を掘りながら進むので、二本の分岐線を境界とする、くっきりとしたさざ波が立つからである。
ウォールデン湖について、ソローは「鏡のような湖面」と表現している箇所もあります。
そのような波風立っていない湖面ならば、四分の一マイル(約400m)離れたところからでもミズスマシの動いているところが発見できるといいます。
心の湖面がぴたっと止まった静寂の中でミジンコが跳ねれば、その跳ねた小さな波紋、小さな音に気付くことができるのかもしれません。
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