実家に帰るまでは「法事」としか聞いていなかったのですが、実家ではその法事のことを「おせがき」と言っており、「おせがき」とはどんなものだろうと疑問に思っていました。
そんななか、新聞の折り込みチラシで「お施餓鬼」という文字があったので、母親に「おせがき」とはこのような漢字(「お施餓鬼」)か尋ねたところ、「たぶん、そう」と。
「餓鬼に施す」と書いて「施餓鬼」
由来を知りたくなりました。
WEB検索すると、当然のことながら(?)、Wikipedia「施餓鬼」がヒット。
どうやら、釈迦の十大弟子のひとりである阿難の話に起源があるようです。
阿難の施餓鬼は「救抜焔口陀羅尼経」に依るものである。釈迦仏の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼であった。その餓鬼が阿難に向かって『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。驚いた阿難が、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に問うた。餓鬼は『それにはわれら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう』と言った。しかしそのような金銭がない阿難は、釈迦仏に助けを求めた。すると釈迦仏は『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼」』(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』と言われた。阿難が早速その通りにすると、阿難の生命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源とされる。しかし、これがなぜ「お盆」と関係しているのか?
同じくWikipedia「施餓鬼」の項には、以下の目連(こちらも釈迦の十大弟子のひとり)の話と混同されたという説明がありました。
目連の施餓鬼は「盂蘭盆経」によるといわれる。この経典によると、釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。すると釈迦は『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』として、『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の起源とされる(ただしこの経典は後世、中国において創作された偽経であるという説が有力である)。
ちなみに、今回参加(「参加」という言い方が適当かどうかは疑問)した「お施餓鬼」を行ったお寺は天台宗のお寺でしたので、「天台宗 施餓鬼」で検索すると、天台宗の公式ホームページを発見。
このようなページもあるのですね。
そこでは、「施餓鬼会」として、先に挙げた阿難の話が書かれていました。
「お施餓鬼」のことを調べる前までは、「初盆にある法事」と思っていましたが、どうやら初盆の法事というわけではないようです。
そして、もともとはお盆とも関係がなく、長寿延命のための法事のようです。
「お盆」にもいろいろありますし、なかなか難しいですね。
それはそうと、今回「お施餓鬼」を行ったお寺(等妙寺)、けっこう歴史のあるお寺のようです。
知りませんでした(^-^;)
案外、身近なものほど知らないことが多いのかもしれません。
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