2012/04/28

為政第二・10「子曰、視其所以、~」

「みる」という言葉にあてる漢字がいくつかあります。

「見る」「観る」「診る」「視る」「看る」など。

以下は、PC上で「みる」を変換したときに出てくる辞書のキャプチャです。

為政篇の次の言葉を初めて読んだときは、「視」と「観」がでてきていたので、その違いが気になっていました。
子曰く、其の以うる所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋さんや、人焉んぞ廋さんや。

加地伸行さんの『論語 全訳注』(講談社学術文庫)の注には、
「視」は、注目して見る。「観」は、広く眺める。「察」は、細かく見る。
とあります。

しかし、何度かこの文章を読んでいるうちに、当然と言えば当然ですが、視る対象、観る対象、そして、察する対象というものが何なのかが気になり始めました。

同書では、
その人物の日常生活の現在をしっかりと視る。その人物が経てきた過去を観(なが)めみる。その人物が落ちつこうとしている未来の着地点を察する。そうすれば、その人物は自分を隠すことはできぬ。本当の姿が分かるわな。
と訳されています。

その人の「以(もち)うるところ」を「視て」、その人の「由るところ」を「観て」、その人の「安んずるところ」を「察すれ」ば、どうやって隠すことができようか、隠せるわけがない、ということですが、「以うるところ」というのは、「日常生活の現在」ということなのか、「由るところ」とは「経てきた過去」なのか、「安んずるところ」は「落ち着こうとしている未来の着地点」なのか…。

もちろん、意訳ということではあるでしょう。


もうひとつ、加地伸行さんの『論語 全訳注』(講談社学術文庫)には注がついています。
「以」は、行為、「由」は、動機、「安」は、信念あるいは目的とし、内面的なものを表わすとする解釈がある。
これは宋の朱子(「朱子学」の朱子です)が論語の解釈として注を書いた『論語集注』での解釈とのこと。

「由るところ」というのは「拠りどころ」ともつながり、原点とか出発点、あるいは基盤とも考えられます。

「由る」の「由」という漢字は、「由来」とか「自由」のように、起点を表わすという意味があります。

また、「安んずるところ」というのは、「安心するところ」「満足するところ」「安定するところ」と考えられ、行きつくところ、あるいは行きたいところ、「着地点」「目標」や「目的」とも考えられます。


では、「以うるところ」とは?

「以うる」は「用いる」ともつながります。

「使う」といった意味もあるでしょう。

「使用」の「用」ですね。

「~を以て」というと、「~を使って」と言い換えることもできます。

また「用いる」というのは、「登用」とか「重用」とか、人を使うという意味もあります。

自分の身を使うと考えれば、朱子のいう「以」は「行為」ともいえます。


時間軸でとらえれば、「現在」を視て、「過去」を観て、「未来」を察すれば、その人のことがわかる。

あるいは、「行為」を視て、「動機」を観て、「目的」を察すればわかる。


何となく、コーチングのエッセンスが詰まった言葉に感じます。

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