そして、ほぼ毎日ざーっと流し読みをして、読みたい記事のページを開きます。
本日、RSSリーダーで見つけた記事の中に、以下の記事がありました。
「きく」を究めよう!広場●きくスキル研究会「目指せ!ヤマアラシ夫婦」
面白そうなタイトルです。
記事自体も興味深いものでしたが、「ヤマアラシ」という言葉から、いくつかイメージの連鎖がありました。
まずは、ヤマアラシの姿をイメージしました。
実物は見たことがありませんが、特徴はやはり刺(とげ)ですね。
そこで「ブクログのパブー」のキャラクターが浮かびます。
しかし、ふと思います。
こいつは「ハリネズミ」だ、と。
たしか、ブクログのブログの名前が「ハリネズミ通信」だったな、と。
となると、「ヤマアラシ」と「ハリネズミ」の違いは?となり、今度は京極夏彦さんの中編小説「山嵐」が頭に出てきます。
たしか、この小説の中に「ヤマアラシ」と「ハリネズミ」の違いが書いてあったな、と。
で、本を手に取って探し始めると…、
読んでしまいます。
首尾よく「ヤマアラシ」と「ハリネズミ」の違いが書かれたところを見つけます。
動物分類学上で違うのですね。
と、まあ穏やかな一日を過ごしたのですが、このような連鎖反応が起こると、京極夏彦さんの小説を読んだことも相まって、記憶というものは自分の外にもあるのではないか、ということを考えます。
例えていえば、人間には無意識というデータベースがあって、検索ワードは外から入力する。
データベースには何が入っているのかわからないけれども、何かの知覚として検索ワードが入ってくると瞬時に検索する。
記憶には、短期記憶と長期記憶があると言われています。
長期記憶というのは、ショートカット、ブックマークのイメージです。
無意識のデータベースを記憶といってもいいかもしれませんが、外界の検索ワード、あるいはスイッチがないと記憶と呼べないような気もします。
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