2012/04/10

「二のこし」の拍子

『五輪書』水の巻「二のこしの拍子の事」より。
二のこしの拍子、我打ちださんとする時、敵をはやく引き、はやくはりのくるやうなる時は、我打つとみせて、敵のはりてたるむ所を打ち、引きてたるむ所を打つ、是二つのこしの打ち也。此書付斗にては、中々打得がたかるべし。をしへうけては、忽ち合点のゆく所也。

この「二のこしの拍子」「二つのこしの打ち」という原文を読んだとき、「二残しの拍子」「二つ残しの打ち」と読みました。

しかし、訳文では、「二の腰の拍子」「二つの腰の打ち」。


訳文を引用すると、
「二の腰の拍子」というのは、自分が打ち出そうとしたとき、敵がより早く退こうとしたとき、はやく打ってくるようなときは、まず打つとみせ、敵が緊張したあとのわずかな気のゆるみが出たところを、すかさず打ち、引いて気のゆるみがでたところを打つ、これが二の腰の打ちである。

フェイントのようなものですかね。


自分が打ち出そうとしたときに、敵がそれよりも先に退こうとした場合、あるいは早く張り退けようとした場合、つまりは、自分が打ち出そうとしていることを相手に察知されたとき、そんなときは、打つと見せかけて、敵が自分の打ちを張り退けた、あるいはよけたと思って油断したところを打つ。

そんな打ちが「二のこしの打ち」。


この項「二のこしの拍子の事」の前項は、先日の記事で触れた「敵を打つに、一拍子の打の事」でしたので、ひとつ目の拍子でフェイントとして打ち、2つ目の拍子を残しておくのが「二残しの拍子」「二つ残しの打ち」だと思いました。


なので、訳文の「二の腰の拍子」「二の腰の打ち」という漢字を見たとき、「この漢字なのか」と驚きました。


ひょっとすると、私以外でも疑問に思った人がいるかもしれない、と思って、Google先生に尋ねてみると、「宮本武蔵」というサイトを見つけました。

そこでは、「二の重」という漢字。(「五輪書 水之巻4」参照)


どうやら、「二のこし」の漢字や意味についても諸説あるようです。

上記サイトでは、「二残し」「二の腰」「二の重」「二の越」の4つの漢字が挙げられ、
我々は、この「二のこし」を、「二の重」、二層の意味と解しておいた。二拍子だから、拍子の重層ということである。
としています。

しかし、どうも、決定打がないように思います。


「二残し」ではないとしている理由は、「やや語呂が悪い。」

「二の越」は、写本にこの漢字をあてているものがあることを述べた上で、
たとえば、筑前系では、早川系は《二のこし》とするが、立花=越後系の諸本には、《二の越》と記す。「こし」を「越」と漢字で書いたのである。またこれは、肥後系でも、丸岡家本・田村家本・富永家本なども同じく《二の越》と記している。つまり、この《二の越》もまた、筑前系/肥後系を横断してあらわれているのである。
このように、《二のこし》も《二の越》も、両方とも筑前系/肥後系に共通する。すると校異の所在によってのみでは、いづれを是とすることもできない。
しかしながら、前条との連続で、ここは「一拍子」に対する「二拍子」についての話である。すでに上記に述べたように、「二のこし」は実は、「二の重〔こし〕」の意である。つまり、二層、二重ということである。
したがって、「二のこし」という文字は、本来「二の重」と書くべき語句なのである。おそらく武蔵が、「二のこし」と仮名で書いたのだろう。だが、そのため、門流末葉の間で、「重」〔こし〕の語義が忘却されて不明になってしまい、この「こし」に「越」と当て字するようになってしまったというのが、その経緯であろう。

「二の腰」は「現代語訳に関連していえば、あろうことか、既成訳はたいてい「二のこし」について「二の腰」と誤訳している。」として、
これはどこから生じた誤謬かと云えば、戦前の岩波版五輪書(高柳光壽校訂)が、この「こし」に「(腰)」と傍注している、そのあたりが起源であろう。高柳は「二の越」とする写本が多数あるのも知らなかったとみえる。かくして、岩波版五輪書において、細川家本の「二のこし」の「こし」に、「腰」という漢字をあてがってしまったのである。しかるに、戦前戦後を通じて五輪書現代語訳はすべてこれに準拠し、「二の腰」と誤解する仕儀になってしまったのである。
しかし、そもそも「二の腰」は明らかに間違いで、「腰」という解釈は、文脈からして何の根拠もない。これが「こし」だとするかぎりは、諸写本が当て字した「越」の方がまだしもである。もとより、既成現代語訳の「二の腰」は論外である。
としています。


文献資料として表れている文字は、「二のこし」とひらがなで書かれているか、「二の越(あるいは、二の越し)」と書かれているかのどちらか。

さて、宮本武蔵はどのような意図で「二のこしの拍子」と言っているのか?

興味深いところです。

まあ、「二の腰」ではなさそうなので、私の読みもあながち悪くはないかも。


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