2019/08/25

戸籍をさかのぼってみた

お盆で実家に帰っておりました。それを機に、長年少し気になっていたことを調べてみました。

それは、自分のルーツがどこなのか、ということです。ご先祖はどんな人なのか、代々さかのぼるとどこに行き着くのか。知ってどうなるわけでもないのでそのままにしていましたが、気にはなっていました。

気になっていた理由はいくつかあります。

実家は愛媛県にあります。私の名字は「佐野」ですが、愛媛の実家がある町内には、佐野姓が3軒しかありません。そしてその3軒は親族です。小中学の友人や町内の知り合いの方々には、同じ姓の人が多いのに、なぜ佐野姓はうち(と親戚)だけなのか。

また、数年前に父方の祖父母が相次いで亡くなり、その際に実家にも家紋があることを知りました。遺影の袴姿を合成するときに母が家紋を確認していたり、お墓を新しくした際に、その新しいお墓に家紋が彫られていたりして、実家の家紋を目にする機会がありました。その家紋は「三つ巴」で、下野国を中心に栄えていた佐野氏の家紋です。現在の栃木県佐野市が佐野氏のはじまりです。栃木と愛媛は離れています。愛媛の実家は佐野姓だから佐野氏の家紋にしたのか、それとも、さかのぼれば栃木の佐野氏に行き着くのか。実家には家系図などないので、由緒正しき佐野氏の末裔というようなことはないでしょうが、関係あるのかないのかというちょっとした疑問がありました。



そして、ここ数年、自分の生い立ちを振り返ったり、自分史を作成したりする機会が多く、長年の小さな疑問がちょこちょこと顔を上げていました。


そういうわけで、せっかく実家に帰ったので、ついでに町役場に行って、戸籍をさかのぼって調べてもらいました。お願いしたのは、父方の祖父から戸籍をさかのぼれるところまでさかのぼってほしいということです。実家の佐野家を調べるので、今回は父系のみ。

結論からいうと、6代さかのぼることができました。6代前から同じ場所に住んでいたようです。町村名が変更していたり、区画整理があったりするので、厳密にずっと同じ土地であるとは確認はしていませんが、役場に6代前(戸籍は5代前まで。6代前は前戸主として名前だけ判明)まであったということは、その管轄地域にはずっといたということになります。

年月のわかる一番古い戸籍の記載事項は、6代前(清吉)から5代前(の兄、彦蔵)への家督相続の記載で「明治7年2月5日相続」というものでした。

家系図を略して書けば以下のような感じです。

清吉┬彦蔵
  └兵吾―(高祖父)―(曽祖父)―(祖父)―(父)―(私)

日本で戸籍法が制定されたのは、Wikipedeliaによれば1871年(明治3・4年)のことであるようなので、ほぼ制定以来の戸籍をさかのぼったことになります。ここから先は調べるのが難しそうです。清吉さんは前戸主として名前だけ出てくる人物なので詳しくはわかりません。彦蔵さんは嘉永4年生まれの方。ペリーの黒船来航がたしか嘉永年間の出来事です。この頃から実家の佐野家があるのですね。

下野国の佐野氏は平安末期から江戸時代初期に栄えたようで、いろいろと分家があり、詳細は調べておりません。うちの実家は江戸時代は宇和島藩の管轄だったと思われ(ここも詳しくは調べておりません)、宇和島藩には伊達家が入っているので、そんなときに佐野家のご先祖様がやってきたとも考えられますが、想像でしかありません。


今回戸籍をさかのぼってみて、あまり考えることのない、いわば「縦のつながり」を感じることができました。記録もなく誰かわからないなどあるかもしれませんが、誰にも父母はいて、その父母にもまた父母がいて、と命がつながっていきます。実感することは少ないのかもしれませんが、今回戸籍をさかのぼることで、少なくとも6代前まではご先祖様はやはりいたんだと認識はできました。子どもがいればまた違う認識や実感が湧いてくるのかもしれません。現在一緒に暮らしている人、同時代に生きている人など、横のつながりは意識することが多いと思います。そんな中で、縦のつながりの最小単位である親子関係について、これは同時代を生きているという横のつながりでもあります。あるいは家族のかたちとは。

長年の疑問についてはまだわかっておりませんが、さまざまな事を考えるいい機会となりました。

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